23/04/2026
「春のミズムスビ・キャラバン」を終えて
2026年3月20日、愛知県豊田市の清らかな空気を皮切りにスタートした「春のミズムスビ・キャラバン」。
愛知、岐阜、奈良、そして福井へと、大地を巡り、地下水
を繋いできたこの旅も、4月20日の福井県坂井市にて、無事に全行程を締めくくることができました。
一カ月という時間は、何気ない日々の中では一瞬の時間かもしれません。
しかし、今回のミズムスビで刻まれた記憶は、私の拙い語彙では到底表現しきれないほどのドラマの連続でした。
🍀︎大地を穿ち、生命の源流と対話する
私たちは、時に大地に穴を穿(うが)ち、時に雨水や山水をいただき、生命の根源である「お水」をいただきます。
それは単なる井戸掘りという作業や、資源の採掘といった次元の話ではありません。
硬い地層を一枚ずつ紐解いていく課程には、その土地が数万年かけて積み上げてきた記憶~成り立ち、地質、歴史、そして幾重にも折り重なった風土史そのものと対話する儀式のようなものでもあります。
地底深くから、永い眠りを経て地上へと湧き出した水。
その清冽な輝きに触れた瞬間、私たちの魂は、かつて野生に近く生きていた頃の根源的な喜びを思い出すように思います。
「お水をいただく」という行為は、大袈裟な言い方をすれば、私たちが地球という大きな生命体の一部であることを再確認する、聖なる瞬間でもあるようにも感じます。
🍀︎「結び」が産まれる場所:失われた豊かさの再発見
何より胸を打ったのは、
「お水をいただく」
という一点の純粋な目的のもとで、人々の心が一つに溶け合っていく光景でした。
その日初めて出会い、名前さえ知らなかった人同士が、呼吸を合わせ、汗を流す。
そして、やがて水に出会ったとき・・・。
そこには地位も名誉も、国籍も人種も、政治も宗教も、敵も味方も…。
何の垣根もありません。
ただ、一つの奇跡を共有した人間としての、魂の共鳴があるだけです。
分断された現代社会において、これほどまでに強烈で美しい「結び」が、他にあるでしょうか。
1887年、横浜から始まった「近代水道」の歴史。
蛇口をひねれば無色透明な水が手に入る。
日本の水道普及率約99%という、世界でも稀な安定を私たちは手に入れました。
しかし、光が強ければ影もまた濃くなるように、利便性の代償として、私たちは何か大切なものを置き忘れてきたのかもしれません。
かつて日本のあちこちにあった「共同井戸」は、単なる水汲み場ではありませんでした。
そこは、集落の人々が集い、笑い、時に涙を分かち合う、地域の「心臓部」でした。
ベテランの知恵が若き世代へと継承され、悩みや愚痴さえもが水の流れと共に浄化されていく…。
そんな和気あいあいとした「絆」の風景が、私たちのDNAには刻まれているはずなのです。
🍀︎「ミズムスビ」——祈り、産み出し、繋ぐこと
「過ぎたるは及ばざるが如し」
現代の私たちは、便利さの頂点に立ちながら、どこかで渇望しています。
物事には常に表と裏があり、大切なのはそのどちらかに偏ることのない「中庸(ちゅうよう)」すなわち、便利さを享受しながらも、自然への畏敬の念を忘れない「中心」の在り方ではないでしょうか。
私たちの活動名「ミズムスビ」には、重層的な祈りを込めています。
・水結び:人と人、人と土地を、水の縁で結ぶこと。
・水蒸(むす)び:水が蒸気となり天へ昇り、雨となって還る循環の神秘。
・水産霊(みずむすび):万物を産み出し、育む創造のエネルギー。
分断され、乾いてしまった現代の「ムスビ」を、もう一度、私たちの手で取り戻したい。
今回のキャラバンは、その決意を、参加してくださった皆さんの熱量によって、より強固な確信へと変えてくれる旅となりました。
🍀︎未来への志:足元を愛でる生き方
お世話になった皆さま、共に汗を流した参加者の皆さま、そして旅先で出会ったすべての方々に。
お一人おひとりのお名前をここに挙げることは叶いませんが、目を閉じれば、今も皆さんの輝かしい笑顔が、万華鏡のように鮮やかに浮かび上がります。
本当に、
心から、ありがとうございました。
日本は、世界的に見ても驚くべきほど豊かな自然の恩恵に満ちた島国です。
遠くの理想を追う前に、まず自分の立っている「足元」を見つめ直し、そこにある奇跡を慈しむこと。
それこそが、次の世代に誇れる「未来志向」な生き方であると、私は固く信じています。
水は止まれば淀みます。
しかし、流れ続ければ、必ず海へと至り、また新しい雲となって大地を潤します。
ミズムスビの活動もまた、止まることなく、皆さんと共にさらなる大きな循環を創り出していくことでしょう。
あらたな巡り合わせに、心からの期待を込めて。
令和八年四月吉日