20/03/2026
国分町駆け込み寺時代(2012年-2017年)の経験を振り返って記録を残しておけば、誰かの役に立つかもしれない。そう思ってこのFacebookページを再開したけれど、たまたまその時期に大阪ミナミ駆け込み寺の開設に関わることになった。今日も大阪にいる。
国分町時代の経験を大阪で活かせる。国分町時代の経験が「誰かの役に立つかも」ではなく、時間と空間を越えて自分のために役立っている。
そういった意味で、現在の私は過去の私に支えられている。あの頃の私が様々な場面で恥をかいてくれたおかげで、いまの私が恥をかかずにすんでいる。(正確に言うと、恥をかかなくなったのではなく、上手に恥をかけるようになった)
日本駆け込み寺のスローガンは「たった一人のあなたを救う」である。その「あなた」の中には、実は未来の自分も含まれていた。駆け込み寺で相談員の活動を10年続けていたら、それがほんの少し見えてきた。ほんの少しだけれど。
ここで思い出したエピソードがある。国分町時代、ある男性の相談を受けた。離婚したばかりの元妻と復縁したいという。私が同席する形で、3人で何度か話し合った結果、復縁することになった。
それから10年近くなるが、彼はいまでもたまにメールを送ってくれる。「うちの夫婦のことを一番良くわかっているのは中島さんだ」と言ってくれる。
当たり前の話だけれど、相談員の活動をするうえで、感謝の言葉を求めてはいないし、見返りがほしいわけでもないし、誰かに褒めてほしいわけでもないし、応援してほしいわけでもない。社交辞令を鵜呑みにするほど馬鹿でもない。
それでも、2019年の大動脈解離の手術後、深夜の病院のベッドの上で絶望していたとき、「うちの夫婦のことを一番良くわかっているのは中島さんだ」という言葉を思い出して少し嬉しくなった。患部の激痛が少し軽くなった。
昔、自分なりに「たった一組の夫婦を救う」に尽力した。それが結果的に自分を救うことにもなった。繰り返すけれど、「たった一人のあなたを救う」の「あなた」の中には未来の自分も含まれている。含まれているとしか思えない。