大正通り電車道復活の会

大正通り電車道復活の会 地域活性化団体 大正区を愛する市民団体です

日本初のデモ行進、大正橋架橋運動と大阪市電の開通(偉大な大正区物語より)(1) 大正橋(初代)とは大正デモクラシーのきっかけとされている富山の米騒動(1918年、大正7年)をさかのぼること3年前の1915年(大正4年)8月3日、大正区住民の...
27/08/2025

日本初のデモ行進、大正橋架橋運動と大阪市電の開通
(偉大な大正区物語より)

(1) 大正橋(初代)とは
大正デモクラシーのきっかけとされている富山の米騒動(1918年、大正7年)をさかのぼること3年前の1915年(大正4年)8月3日、大正区住民の悲願であった橋が完成し、大阪市電が開通した。(道路部分の開通式は8月31日午前9時)
当時日本一の支間長を誇る鉄骨アーチ橋である。
完成時の住民の喜びは尋常ではなく、1932年(昭和7年)の大阪市による区制定時にも、この大正橋がある地域ということで、圧倒的な住民の要望は「大正橋区」であったが、名称が長すぎるということで最終的に「大正区」に決まったほどである。
 しかし、それも住民の決意と努力、そして大いなる行動による成果であったことは案外知られていない。
それは、大阪デモクラシーの幕開けであった。
なお、同年の3月1日に茨城県の日立鉱山において、公害に悩む住民運動と会社側の英断により高さ155.75メートル、当時世界一の煙突が完成して公害問題の解決が進んだ。
(今年平成30年4月から新田次郎の小説『ある町の高い煙突』をもとに映画化の予定。)
大正橋架橋運動も映画化が期待されてもいいと思われる。

(2) 架橋運動の背景
明治時代後期、大正区は「東洋のマンチェスター(大英帝国の工業都市)」といわれた大阪の工業の中心地であり、三軒家紡績をはじめとする工場群で働く多数の工員・労働者が住みつき、その食料や日用品をまかなうため、商店も集まってくるなど人口が急激に増加した。
そして、商店主や地域住民により、三泉同志会が結成され、市場の請願運動が開始、明治43年7月、三軒家と泉尾の境界に、百四十業者が参加して西大阪最初の問屋市場「三泉共同市場」(現三泉商店街)が発足した。
そして、買物あるいは工場への通勤など住民の不便を解消すべく、架橋を希望する住民運動の素地ができつつあり、ついに大正橋架橋運動が始まった。

(3) 大阪瓦斯の横ヤリ
明治45年1月16日の大阪南の大火(4885戸焼失)により、大阪市電の路線計画が変更され、当時の大阪市長(第四代目)植村俊平によって同年大正橋の架橋が決定された。
しかし、川沿いで操業していた大阪瓦斯が、この決定を覆させてしまったのである。
当時の都市ガスは現在の天然ガス(水素・炭化水素)と異なり、水性ガスと呼ばれ、真っ赤に焼いたコークスに水を掛けるなど、水蒸気を反応させて得られた一酸化炭素と水素の混合ガスを使用していたのであるが、原料である石炭コークスの運搬をマストに帆を掲げる機帆船に頼っていたためである。
会社側は当時親密だった大阪府知事に働きかけ、知事の具申によって内務省を動かし、架橋を阻止すべく、横ヤリを入れようとした。
一方、住民側は三泉同志会(写真)を中心にして、大正橋期成同盟を結成、植村市長を応援し、国への陳情に住民代表が市長と同行するなど、巻き返しに出たのである。
双方の運動合戦の結果として、内務省は、賑橋・上本町6丁目間の路線許可だけで、湊町以西の路線は不許可とする裁定を下してしまった。
元鉄道庁理事であり市電の整備を信条としていた植村市長としては、屈辱なりしと、明治45年7月25日(1912年)引責辞任してしまった。
それを見て会社側は、我勝てりと、ほくそ笑んだ。

(4) 架橋運動白熱、官憲の弾圧と逆転勝利
内務省の不許可決定に住民側は激憤した。
とはいっても、頼みの大阪市長は辞任し、再任の要請も固辞され、住民側は孤立無縁となってしまったのである。
しかし、会社側は大正区住民のパワーを見くびっていた。
市長辞任を境に、住民側は関係機関への陳情や内務省・府批判の住民集会だけでなく、直接行動に出たのである。
そう、「街頭デモ行進」である。
多数の大正区住民が結束し、ムシロを旗としてひるがえし、猛烈なる抗議行動を開始したのである。
打ちこわしはなかったので、一揆とはいえないが、百姓一揆と同様の決死の覚悟であった。
デモを権利として憲法で保障されている現代の世と違い、当時の内務省及び官憲はお上にたてつく騒乱とみなし、これを抑えるべく、デモの参加者を片っ端から逮捕拘束し、警察留置場にしょっぴいたのである。
しかし、それにめげるどころか、大正区住民あげての大運動へと広がった。
とうとう、そのあまりにも激しい住民パワーに恐れをなし、会社側も折れ内務省及び大阪府側もかぶとを脱ぎ、住民運動の軍門に下った。
石炭船(だるま船)の通行障害にならぬよう橋桁のない鉄骨アーチ橋となったのも大阪瓦斯と住民側の妥協の産物であるといえる。
市電の賑橋-安治川2丁目間につづき、大正4年8月、大正橋が完成した。

QRコードシステム(特許公開)で地下鉄ホームドアが普及相互乗り入れなど異なる会社の車両でも、ホーム側に設置されたQRコードを読み込むことで、連動開閉操作ができるシステムだ。おかげで数十億円のコストを必要としなくなったため、急速に普及したとい...
20/01/2024

QRコードシステム(特許公開)で地下鉄ホームドアが普及
相互乗り入れなど異なる会社の車両でも、ホーム側に設置されたQRコードを読み込むことで、連動開閉操作ができるシステムだ。
おかげで数十億円のコストを必要としなくなったため、急速に普及したという。
「まさに資源は有限だが、人知は無限なり」

 都営浅草線西馬込駅のホームドア運用開始により、東京都が管理する地下鉄全駅でのホームドア設置が完了した。  また、京成電鉄と共同で整備を進めている押上駅へのホームドア設置も2025年2月20日に完

選出した政治家には地域のためにしっかりはたらいてもらう。叱咤激励、そして監視は有権者たりうる者の責任だ!
03/04/2023

選出した政治家には地域のためにしっかりはたらいてもらう。
叱咤激励、そして監視は有権者たりうる者の責任だ!

住所

住之江区粉浜2-11-15行政書士藤原潤一郎事務所内
Osaka, Osaka
559-0001

ウェブサイト

アラート

大正通り電車道復活の会がニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

その団体に問い合わせをする

大正通り電車道復活の会にメッセージを送信:

共有する

カテゴリー