21/08/2026
「六字乃弥勒」という不思議な掛軸
先日、町内の閻魔堂に伝わる一幅の掛軸を改めて調べています。
この掛軸の裏には、
「六字乃弥勒」
「長寿寺宝物」
と記されています。
この場所には、かつて長寿寺という天台宗のお寺がありました。
川尻町史によると、長寿寺は廃仏毀釈によって廃寺となりましたが、現在の閻魔大王像も、もともとはこの長寿寺に安置されていたものと考えられます。
そして、この掛軸には非常に興味深い特徴があります。
描かれている仏の身体、衣、そして大きく描かれた後光まで、ほぼすべてが小さな文字の「南無阿弥陀仏」で描かれています。
ところが、目だけは文字ではありません。
また、髪は螺髪(らほつ)、眉間には白毫(びゃくごう)があり、蓮華の上に座っています。
そこで、ふと疑問が湧きました。
「弥勒」と書かれているので、普通なら「弥勒菩薩」を思い浮かべます。
しかし、弥勒菩薩は現在は菩薩であり、未来に成仏して弥勒仏になるとされています。
この掛軸は、菩薩像というよりも、螺髪・白毫・蓮華座など、如来の姿に近い表現になっています。
そこで現在、私は一つの仮説を考えています。
「これは弥勒菩薩ではなく、未来に成仏した『弥勒仏』を表しているのではないか」
そして、さらに興味深いのが裏書の
「六字乃弥勒」
という言葉です。
六字とは、おそらく「南無阿弥陀仏」の六字名号。
つまり、
「南無阿弥陀仏」という六字によって、弥勒を表現した
という意味なのではないか。
天台宗では、阿弥陀信仰と弥勒信仰は必ずしも対立するものではなく、古くから両方が信仰されてきたことも分かってきました。
そう考えると、
阿弥陀の六字「南無阿弥陀仏」に包まれた弥勒
そして、未来に成仏する弥勒仏
という、この不思議な掛軸の姿が少しずつ理解できるような気がします。
特に、
身体=南無阿弥陀仏
後光=南無阿弥陀仏
目=文字ではなく弥勒自身
という構成には、何か意味が込められているのではないかと思っています。
この掛軸は、熊本地震後に傷みが激しく、広げるだけでも風化していく状態だったため、表装を行いました。
その際、裏書は貴重な資料として切り取らず、元の位置関係を保ったまま新しい表装の裏側に貼り付けています。
まだ分からないことばかりですが、こうした地域に残る小さな文化財を一つずつ調べていくことで、廃寺となった長寿寺の歴史や、この地域の仏教文化が少しずつ見えてくるのではないかと思っています。
「六字乃弥勒」とは、一体何を意味するのか。
そして、なぜ「南無阿弥陀仏」で弥勒を描いたのか。
これからも資料を探しながら、一つずつ解明していきたいと思います。
皆さんは、この掛軸をどのように思われますか?
【表装前の掛軸】
最後の写真は、熊本地震後に表装する前の状態です。
ご覧のように、本紙はかなり傷んでおり、広げるだけでも表面が剥がれ、文字や絵が失われていくような状態でした。
このままでは、貴重な「六字乃弥勒」の文字も含め、将来残すことが難しくなると判断し、表装を行いました。
その際、掛軸の裏に残されていた「六字乃弥勒」などの文字は、単なる古い掛軸の裏書ではなく、この掛軸と長寿寺との関係を示す貴重な資料と考え、切り取って捨てることはせず、元の位置関係を保ったまま新しい掛軸の裏側に移して保存しています。
【最後に】
今になって改めてこの掛軸を見ると、「六字乃弥勒」という言葉だけでなく、螺髪、白毫、蓮華座、そして全身を覆う「南無阿弥陀仏」の文字にも、何か意味が込められているように思えてきます。
これは弥勒菩薩なのか、それとも未来に成仏した「弥勒仏」なのか。
なぜ弥勒を「南無阿弥陀仏」で表現したのでしょうか。
まだ私自身の仮説に過ぎませんが、長寿寺が天台宗であったことも含め、少しずつ調べていきたいと思います。