熊本ふるまち・五福蓄音器を楽しむ会

熊本ふるまち・五福蓄音器を楽しむ会 毎月第4日曜日の午後、熊本城内の熊本市立博物館で蓄音機でレコードを聞くコンサートを開催。現在は五福公民館に場を移し2015年4月で通算325回を数えます。

―8月14日―ルーマニア生まれの指揮者・チェリビダッケが没した日(1996年)。暗譜による演奏、徹底したリハーサル、禅への傾倒、歯に衣着せぬ物言い…様々な逸話が今もなお語り継がれるのも、巨匠たる所以とも言える。ミュンヘン・フィルとの優れた録...
14/08/2026



8月14日



ルーマニア生まれの指揮者・チェリビダッケが没した日(1996年)。暗譜による演奏、徹底したリハーサル、禅への傾倒、歯に衣着せぬ物言い…様々な逸話が今もなお語り継がれるのも、巨匠たる所以とも言える。ミュンヘン・フィルとの優れた録音多数。

DE DECCA SXL6169 ヘルベルト・フォン・カラヤン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ドヴォルザーク/交響曲第8番

ヴィンテージ盤レコード→DE(ドイツ)/黒地に金文字レーベル。1961年の録音です。優秀録音。

DECCAでの短いが幸福な時期。オーケストラを信頼しきった芸術家本来の姿が感じられる。

― 優美な歌と音色の魅惑に満ちた、ヘルベルト・フォン・カラヤンのウィーン時代の最高の成果の一つ。戦前は弦の黄金美の放射が凄まじかったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。この〝ウィーンの香り〟と喩えられる、絹のような弦楽器、チャルメラのようなオーボエ、まろやかなフルートの音色、柔らかでフワッとしながらも力強いウィンナ・ホルンの音が何とも優雅な、独特の音色を保っていた楽団をカラヤンの指揮で聴くことが出来たのは幸福なことだ。レコード録音に対して終生変わらない情熱を持って取り組んだカラヤンが、一時代を画した事になったのが英デッカでのウィーン・フィルとのステレオ録音プロジェクト。1959年、カラヤンはウィーン・フィルとのインド、日本、アメリカへの40日間の演奏旅行を控え、とくにアメリカでの自らのLPレコードの販路強化のために、米RCAと提携したばかりの英デッカと契約を結びます。カラヤン&ウィーン・フィルが演奏旅行の曲目としていたベートーヴェンの交響曲第7番、ブラームスの交響曲第1番などが事前にセッション録音され、日本やアメリカを訪れたタイミングでそのLPレコードが発売される、といういかにもカラヤンらしいスケジュールが組まれ、実行されました。演奏内容も50歳代前半の颯爽としたカラヤンの指揮に黄金時代のウィーン・フィルが最高のアンサンブルで応え、それを英デッカの優秀録音で存分にとらえきった名曲・名盤・名演奏揃いとなっています。当曲が録音された1961年は、5月にマリオ・デル=モナコ、レナータ・テバルディとのヴェルディの歌劇「オテロ」全曲盤、6月にレオンティン・プライスとのクリスマス・アルバムという名盤を相次いで録音し、9月にウィーン国立歌劇場のシーズンが始まると、オペラ上演と平行してウィーン・フィルとは、当アルバムのみならず、チャイコフスキー「くるみ割り人形」、グリーグ「ペール・ギュント」、アダン「ジゼル」、ホルスト「惑星」など、LPレコードにして実に5枚分に相当する録音を集中的に行なっています。同じ時期の定期演奏会では録音曲目であるドヴォルザークの交響曲第8番《イギリス》を取り上げています。LP初発はSXL-6169 (1965年4月、日本盤初発は翌66年4月)。この1961年9月~10月のセッションのあと、米RCAのために録音されたプッチーニの歌劇「トスカ」とビゼーの歌劇「カルメン」の全曲盤を除くと、ウィーン・フィルとは1965年までにLP2枚分を録音したにすぎず、1961年暮れから始まるベートーヴェンの交響曲全集、1963年に始まるブラームスの交響曲全集など、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのドイツ・グラモフォンへの録音により大きな比重が置かれるようになっていきました。名プロデューサー、ジョン・カルショーとのコラボレーションによってウィーン・フィルと進められた英デッカへの録音は、ちょうどステレオ録音が導入されて活気付いていたレコード市場を席巻する形になりました。その中でも特に充実した演奏と評価の高い1961年録音のドヴォルザークの交響曲第8番《イギリス》です。指揮者のニコラウス・アーノンクールがインタビューに答えて言っていたことによると、若い時のドヴォルザークは次々とメロディが湧き過ぎて困り、かえって良い曲が書けなかったのではないかと思うそうです。それを抑えて制御する術を身に付けてはじめて大作曲家になったのだと。天上からインスピレーションが降ってきても、それを見事に活かせるのは才能と技術の習熟のタイミングが大事でしょう。ブラームスが嫉妬しつつも尊敬していたというドヴォルザークのメロディを生み出す才能、それは「新世界」交響曲にも、弦楽四重奏曲「アメリカ」にも見られますが、一曲の中に次々と惜しげなく印象的なメロディーが出て来てもったいないぐらいの曲が、交響曲第8番《イギリス》です。その制御する術をドヴォルザークが身に付けるのが、交響曲第7番からだと、わたしは考える。カラヤンの天才は、機をとらえる巧さにある。英EMIのウォルター・レッグが、戦後にロンドンで新設されたフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者の地位を提供したとき、カラヤンは一瞬もためらわずに引き受けた。彼のことをまったく知らない国に活動の場が与えられるだけではない。レッグが選りすぐった ― おそらくはロンドン史上最高のオーケストラの実権が与えられ、さらにオーケストラ曲とオペラを望むだけ録音できる、ほとんど無限の機会が与えられたのだ。ウィーン・フィルと専属関係を結んだ英デッカは、この結束を強めるためには、デッカが何か大きな仕掛けをすることが必要だった。中でもいちばん効果的なのは、ウィーン・フィルも含めた全員が不可能だと考えていたこと、すなわちカラヤンを獲得することだった。カラヤンは、アドルフ・ヒトラーの死によって生じた、指導者を渇望するドイツ人の魂の空白を、無意識のうちに埋めていた。彼のしぐさは型にはまっていた。気まぐれで無慈悲で、無遠慮だった。並はずれて聡明で、見栄えをよくすることに神経を注いでいた。言葉を変えれば、洗練された、あるいはわざとらしいオーラを放っていて、胸がむかつくほどだった。見栄えをよくすることに心血を注いだカラヤンの演奏が、「悪かろう」はずがない。その上、カルーショーの理解も手伝って、その録音群は、いかにもカラヤンらしい「完璧な」録音であると同時に、音楽を知るという意味ではもちろんのこと、音楽を堪能するという意味においても50年を経た今もまったく色褪せない。

第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」から終楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」まで、どの瞬間においてもドヴォルザークの旋律は美しい。特に、チェコの民族的要素も十分に示されるアントニン・ドヴォルザークの第8交響曲《イギリス》は、彼の最高傑作の一つだと思うが、そこにヘルベルト・フォン・カラヤンとジョン・カルーショーの魔法が掛け合わされるのだから奇蹟が起こるのも頷ける。英デッカは、このカラヤンでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を完全掌握したと云えよう。『このウィーン・フィルとのドヴォルザークの8番は、高度なアンサンブルに加えて、優美な歌と音色の魅惑に満ちていた。カラヤンがウィーン国立歌劇場に在任して、ウィーン・フィルと緊密な仕事を続けていた時代の最高の成果の一つであると思う。その後の録音も見事だが、この演奏には華がある。ずっと後のベルリンのより数段も上等な演奏である。ベルリンでの演奏の、技に溺れた、やけに強弱の差を強調した、それでいて甘い砂糖漬けのような気持ち悪さは、このウィーンの演奏からはいっさい聴こえてこない。豊かに歌うヴァイオリンはウィーン・フィルならではの妙音で、それがあってはじめてこの交響曲の甘美さが本物になるのだ。また御近所ボヘミアのカラー表出にも土地柄が出ている。カラヤンも作品を尊重し、オーケストラを信頼しきった芸術家本来の姿が感じられる。この時期のウィーンのカラヤンは、彼としてももっとも良い演奏を残した年代にいた。優美な歌と音色の魅惑に満ちた、カラヤンのウィーン時代の最高の成果の一つ。その後の録音も見事だが、この演奏には華がある。』と評価されています。仮に、翌日ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデンで振ったとしても同様な演奏をしたであろうと思わせるほど自信をもって展示している。ウィーン・フィルは、特徴たる馥郁たる音質、個性を少しく捩じ伏せてでもカラヤンの斬新な解釈に全力で応えている。第二次世界大戦は日本軍の無条件降伏、ポツダム宣言で集結したが終わっていない戦いもあった。戦後、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの勢力下、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルで演奏することさえ制限されたカラヤン。そこへ救いの手を差し出したのがイギリスEMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグだった。カラヤンのレコーディング専用オーケストラ、フィルハーモニア管弦楽団でたくさんのレコードを発売。劇場での指揮は出来ずとも、レコードでカラヤンの名前は全世界に知られるようになる。ただカラヤンの悪い虫が騒いだというのか、オーディオへの関心を深めることになった。そして彼はステレオ録音を希望したが、折り悪く英EMIの経営陣はステレオ録音に懐疑的だった。不満を払拭できないままカラヤンはEMIとの契約更新を曖昧に引き伸ばしていた。そうこうしていると、フルトヴェングラーが急死。カラヤンはウィーン・フィルに復帰できた。これはやがて帝王と呼ばれるようになる躍進の始まりでした。1955年にベルリン・フィルの常任指揮者、翌1956年にザルツブルク音楽祭およびウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任し、文字通りヨーロッパ・クラシック音楽界の「帝王」と目されていた時期でした。以来、名門ウィーン・フィルとも生涯深い関係を築く事になった。1959年秋にはウィーン・フィルとの日本も含むアジア、アメリカ、カナダへの大規模な演奏ツアーに同行、1960年のザルツブルク音楽祭では祝祭大劇場の柿落としで共演、またリヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」の映像も収録するなど、カラヤンとウィーン・フィルとの関係が急速に接近していました。録音面でも、1950年代初頭から継続しているロンドンでのフィルハーモニア管とのEMIへの録音、ベルリン・フィルとは1959年からドイツ・グラモフォンでスタートしていましたが、ウィーン国立歌劇場の芸術監督としてウィーン・フィルを指揮してお互いに良い関係が気づけているのでレコード録音して世界中のファンに聴かせたい。ところがウィーン・フィルはイギリス・デッカと専属関係にあったので、カラヤン指揮ではレコードを作れない。ちょうどステレオ録音が導入されて活気付いていたレコード市場を席巻すべく接近してきたのは英デッカ社でした。遂に、1959年にEMIと契約の切れたカラヤンと契約。そのことでカラヤンは、この愛すべきオーケストラとの録音をドイツ・グラモフォンではなく、英デッカと行いました。その録音セッショッンの合い間にカルーショーは有名管弦楽曲の録音。何れも全体に覇気が漲っていて、弦も管も美しく技巧的にも完成度は高い名盤を量産。斯くて、1965年まで英デッカ&カルーショーが後世に伝えるに相応しいカラヤン&ウィーン・フィルの名盤をこの6年間で製作することになる。

ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。第2次世界大戦勃発直後の1941年頃に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その際に、潜水艦の音を聞き分ける目的として開発された技術が、当時としては画期的な高音質録音方式として貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSP盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLP盤を発売する。特にLP時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。日本では1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLP盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。

Record Karte

1961年9月&10月、プロデュースと録音はショルティの《ニーベルングの指環》製作者のジョン・カルーショー、ゴードン・パリー、そしてセッションは音響抜群のゾフィエンザール。

CDはアマゾンで

Legendary Decca Recordings

Vpo

Decca

2008-03-11

ドヴォルザーク:交響曲第8番、他

カラヤン(ヘルベルト・フォン),ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ユニバーサル ミュージック クラシック

2007-12-12

ドヴォルザーク:交響曲第8番&第9番《新世界より》(SHM-CD)

ヘルベルト・フォン・カラヤン

Universal Music

2011-09-07

ドヴォルザーク:チェロ協奏曲/チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲 (SHM-CD)

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ

Universal Music

2023-04-12

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

カラヤン(ヘルベルト・フォン)

ユニバーサル ミュージック

2014-03-12

https://analog.blog.jp/B%C3%A4renplatte-Vintage-LP-Karajan-Dvo%C5%99%C3%A1k-DE-DECCA-SXL6169-STEREO-91620517.html

豊麗・優美なウィーン・フィルの響きを生々しく捉えた王道デッカ・サウンドの真髄。オーケストラを信頼しきった芸術家本来の姿が感じられる 、歌と音色の魅惑。

【独初期盤】カラヤンのドヴォルザーク/交響曲第8番 DE DECCA SXL6169 STEREO「 【独初期盤】カラヤンのドヴォルザーク/交響曲第8番 DE DECCA SXL6169 STEREO」を通販レコードとしてご案内します。 ―...
14/08/2026

【独初期盤】カラヤンのドヴォルザーク/交響曲第8番 DE DECCA SXL6169 STEREO

「 【独初期盤】カラヤンのドヴォルザーク/交響曲第8番 DE DECCA SXL6169 STEREO」を通販レコードとしてご案内します。 ― 8月14日 ― ルーマニア生まれの指揮者・チェリビダッケが没した日(1996年)。暗譜による演奏、徹底したリハーサル、禅への傾倒、歯に衣着せぬ物言い…様々な逸話が今もなお語り継がれるのも、巨匠たる所以とも言える。ミュンヘン・フィルとの優れた録音多数。 DE DECCA SXL6169 ヘルベルト・フォン・カラヤン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ドヴォルザーク/交響曲第8番 ヴィンテージ盤レコード→DE(ドイツ)/黒地に金文字レーベル。1961年の録音です。優秀録音。 DECCAでの短いが幸福な時期。オーケストラを信頼しきった芸術家本来の姿が感じられる。 ― 優美な歌と音色の魅惑に満ちた、ヘルベルト・フォン・カラヤンのウィーン時代の最高の成果の一つ。戦前は弦の黄金美の放射が凄まじかったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。この〝ウィーンの香り〟と喩えられる、絹のような弦楽器、チャルメラのようなオーボエ、まろやかなフルートの音色、柔らかでフワッとしながらも力強いウィンナ・ホルンの音が何とも優雅な、独特の音色を保っていた楽団をカラヤンの指揮で聴くことが出来たのは幸福なことだ。レコード録音に対して終生変わらない情熱を持って取り組んだカラヤンが、一時代を画した事になったのが英デッカでのウィーン・フィルとのステレオ録音プロジェクト。1959年、カラヤンはウィーン・フィルとのインド、日本、アメリカへの40日間の演奏旅行を控え、とくにアメリカでの自らのLPレコードの販路強化のために、米RCAと提携したばかりの英デッカと契約を結びます。カラヤン&ウィーン・フィルが演奏旅行の曲目としていたベートーヴェンの交響曲第7番、ブラームスの交響曲第1番などが事前にセッション録音され、日本やアメリカを訪れたタイミングでそのLPレコードが発売される、といういかにもカラヤンらしいスケジュールが組まれ、実行されました。演奏内容も50歳代前半の颯爽としたカラヤンの指揮に黄金時代のウィーン・フィルが最高のアンサンブルで応え、それを英デッカの優秀録音で存分にとらえきった名曲・名盤・名演奏揃いとなっています。当曲が録音された1961年は、5月にマリオ・デル=モナコ、レナータ・テバルディとのヴェルディの歌劇「オテロ」全曲盤、6月にレオンティン・プライスとのクリスマス・アルバムという名盤を相次いで録音し、9月にウィーン国立歌劇場のシーズンが始まると、オペラ上演と平行してウィーン・フィルとは、当アルバムのみならず、チャイコフスキー「くるみ割り人形」、グリーグ「ペール・ギュント」、アダン「ジゼル」、ホルスト「惑星」など、LPレコードにして実に5枚分に相当する録音を集中的に行なっています。同じ時期の定期演奏会では録音曲目であるドヴォルザークの交響曲第8番《イギリス》を取り上げています。LP初発はSXL-6169 (1965年4月、日本盤初発は翌66年4月)。この1961年9月~10月のセッションのあと、米RCAのために録音されたプッチーニの歌劇「トスカ」とビゼーの歌劇「カルメン」の全曲盤を除くと、ウィーン・フィルとは1965年までにLP2枚分を録音したにすぎず、1961年暮れから始まるベートーヴェンの交響曲全集、1963年に始まるブラームスの交響曲全集など、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのドイツ・グラモフォンへの録音により大きな比重が置かれるようになっていきました。名プロデューサー、ジョン・カルショーとのコラボレーションによってウィーン・フィルと進められた英デッカへの録音は、ちょうどステレオ録音が導入されて活気付いていたレコード市場を席巻する形になりました。その中でも特に充実した演奏と評価の高い1961年録音のドヴォルザークの交響曲第8番《イギリス》です。指揮者のニコラウス・アーノンクールがインタビューに答えて言っていたことによると、若い時のドヴォルザークは次々とメロディが湧き過ぎて困り、かえって良い曲が書けなかったのではないかと思うそうです。それを抑えて制御する術を身に付けてはじめて大作曲家になったのだと。天上からインスピレーションが降ってきても、それを見事に活かせるのは才能と技術の習熟のタイミングが大事でしょう。ブラームスが嫉妬しつつも尊敬していたというドヴォルザークのメロディを生み出す才能、それは「新世界」交響曲にも、弦楽四重奏曲「アメリカ」にも見られますが、一曲の中に次々と惜しげなく印象的なメロディーが出て来てもったいないぐらいの曲が、交響曲第8番《イギリス》です。その制御する術をドヴォルザークが身に付けるのが、交響曲第7番からだと、わたしは考える。カラヤンの天才は、機をとらえる巧さにある。英EMIのウォルター・レッグが、戦後にロンドンで新設されたフィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者の地位を提供したとき、カラヤンは一瞬もためらわずに引き受けた。彼のことをまったく知らない国に活動の場が与えられるだけではない。レッグが選りすぐった ― おそらくはロンドン史上最高のオーケストラの実権が与えられ、さらにオーケストラ曲とオペラを望むだけ録音できる、ほとんど無限の機会が与えられたのだ。ウィーン・フィルと専属関係を結んだ英デッカは、この結束を強めるためには、デッカが何か大きな仕掛けをすることが必要だった。中でもいちばん効果的なのは、ウィーン・フィルも含めた全員が不可能だと考えていたこと、すなわちカラヤンを獲得することだった。カラヤンは、アドルフ・ヒトラーの死によって生じた、指導者を渇望するドイツ人の魂の空白を、無意識のうちに埋めていた。彼のしぐさは型にはまっていた。気まぐれで無慈悲で、無遠慮だった。並はずれて聡明で、見栄えをよくすることに神経を注いでいた。言葉を変えれば、洗練された、あるいはわざとらしいオーラを放っていて、胸がむかつくほどだった。見栄えをよくすることに心血を注いだカラヤンの演奏が、「悪かろう」はずがない。その上、カルーショーの理解も手伝って、その録音群は、いかにもカラヤンらしい「完璧な」録音であると同時に、音楽を知るという意味ではもちろんのこと、音楽を堪能するという意味においても50年を経た今もまったく色褪せない。 第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」から終楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」まで、どの瞬間においてもドヴォルザークの旋律は美しい。特に、チェコの民族的要素も十分に示されるアントニン・ドヴォルザークの第8交響曲《イギリス》は、彼の最高傑作の一つだと思うが、そこにヘルベルト・フォン・カラヤンとジョン・カルーショーの魔法が掛け合わされるのだから奇蹟が起こるのも頷ける。英デッカは、このカラヤンでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を完全掌握したと云えよう。『このウィーン・フィルとのドヴォルザークの8番は、高度なアンサンブルに加えて、優美な歌と音色の魅惑に満ちていた。カラヤンがウィーン国立歌劇場に在任して、ウィーン・フィルと緊密な仕事を続けていた時代の最高の成果の一つであると思う。その後の録音も見事だが、この演奏には華がある。ずっと後のベルリンのより数段も上等な演奏である。ベルリンでの演奏の、技に溺れた、やけに強弱の差を強調した、それでいて甘い砂糖漬けのような気持ち悪さは、このウィーンの演奏からはいっさい聴こえてこない。豊かに歌うヴァイオリンはウィーン・フィルならではの妙音で、それがあってはじめてこの交響曲の甘美さが本物になるのだ。また御近所ボヘミアのカラー表出にも土地柄が出ている。カラヤンも作品を尊重し、オーケストラを信頼しきった芸術家本来の姿が感じられる。この時期のウィーンのカラヤンは、彼としてももっとも良い演奏を残した年代にいた。優美な歌と音色の魅惑に満ちた、カラヤンのウィーン時代の最高の成果の一つ。その後の録音も見事だが、この演奏には華がある。』と評価されています。仮に、翌日ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデンで振ったとしても同様な演奏をしたであろうと思わせるほど自信をもって展示している。ウィーン・フィルは、特徴たる馥郁たる音質、個性を少しく捩じ伏せてでもカラヤンの斬新な解釈に全力で応えている。第二次世界大戦は日本軍の無条件降伏、ポツダム宣言で集結したが終わっていない戦いもあった。戦後、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの勢力下、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルで演奏することさえ制限されたカラヤン。そこへ救いの手を差し出したのがイギリスEMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグだった。カラヤンのレコーディング専用オーケストラ、フィルハーモニア管弦楽団でたくさんのレコードを発売。劇場での指揮は出来ずとも、レコードでカラヤンの名前は全世界に知られるようになる。ただカラヤンの悪い虫が騒いだというのか、オーディオへの関心を深めることになった。そして彼はステレオ録音を希望したが、折り悪く英EMIの経営陣はステレオ録音に懐疑的だった。不満を払拭できないままカラヤンはEMIとの契約更新を曖昧に引き伸ばしていた。そうこうしていると、フルトヴェングラーが急死。カラヤンはウィーン・フィルに復帰できた。これはやがて帝王と呼ばれるようになる躍進の始まりでした。1955年にベルリン・フィルの常任指揮者、翌1956年にザルツブルク音楽祭およびウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任し、文字通りヨーロッパ・クラシック音楽界の「帝王」と目されていた時期でした。以来、名門ウィーン・フィルとも生涯深い関係を築く事になった。1959年秋にはウィーン・フィルとの日本も含むアジア、アメリカ、カナダへの大規模な演奏ツアーに同行、1960年のザルツブルク音楽祭では祝祭大劇場の柿落としで共演、またリヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」の映像も収録するなど、カラヤンとウィーン・フィルとの関係が急速に接近していました。録音面でも、1950年代初頭から継続しているロンドンでのフィルハーモニア管とのEMIへの録音、ベルリン・フィルとは1959年からドイツ・グラモフォンでスタートしていましたが、ウィーン国立歌劇場の芸術監督としてウィーン・フィルを指揮してお互いに良い関係が気づけているのでレコード録音して世界中のファンに聴かせたい。ところがウィーン・フィルはイギリス・デッカと専属関係にあったので、カラヤン指揮ではレコードを作れない。ちょうどステレオ録音が導入されて活気付いていたレコード市場を席巻すべく接近してきたのは英デッカ社でした。遂に、1959年にEMIと契約の切れたカラヤンと契約。そのことでカラヤンは、この愛すべきオーケストラとの録音をドイツ・グラモフォンではなく、英デッカと行いました。その録音セッショッンの合い間にカルーショーは有名管弦楽曲の録音。何れも全体に覇気が漲っていて、弦も管も美しく技巧的にも完成度は高い名盤を量産。斯くて、1965年まで英デッカ&カルーショーが後世に伝えるに相応しいカラヤン&ウィーン・フィルの名盤をこの6年間で製作することになる。 ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。第2次世界大戦勃発直後の1941年頃に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その際に、潜水艦の音を聞き分ける目的として開発された技術が、当時としては画期的な高音質録音方式として貢献して、レコード好きを増やした。繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。 この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSP盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLP盤を発売する。特にLP時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。日本では1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLP盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。 Record Karte 1961年9月&10月、プロデュースと録音はショルティの《ニーベルングの指環》製作者のジョン・カルーショー、ゴードン・パリー、そしてセッションは音響抜群のゾフィエンザール。 CDはアマゾンで Legendary Decca Recordings Vpo Decca 2008-03-11 ドヴォルザーク:交響曲第8番、他 カラヤン(ヘルベルト・フォン),ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ユニバーサル ミュージック クラシック 2007-12-12 ドヴォルザーク:交響曲第8番&第9番《新世界より》(SHM-CD) ヘルベルト・フォン・カラヤン Universal Music 2011-09-07 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲/チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲 (SHM-CD) ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ Universal Music 2023-04-12 ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」 カラヤン(ヘルベルト・フォン) ユニバーサル ミュージック 2014-03-12 from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード via IFTTT

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「 【独初期盤】カラヤンのドヴォルザーク/交響曲第8番 DE DECCA SXL6169 STEREO」を通販…

―8月13日―フランスの作曲家、マスネが没した日(1912年)。グノーの流れを受け継ぎ、オペラの作曲技法においてはワーグナーの影響も受ける。オペラの代表作は《マノン》、《ウェルテル》、《タイス》など。中でも《タイスの瞑想曲》は間奏曲でありな...
13/08/2026



8月13日



フランスの作曲家、マスネが没した日(1912年)。グノーの流れを受け継ぎ、オペラの作曲技法においてはワーグナーの影響も受ける。オペラの代表作は《マノン》、《ウェルテル》、《タイス》など。中でも《タイスの瞑想曲》は間奏曲でありながら単独でも演奏機会が多い。生涯で、約40近いオペラ作品(未完・未発表作品も含む)を発表した。

DE DGG 139 001 SLPM ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト/交響曲第8番「未完成」, ベートーヴェン/「フィデリオ」序曲、「レオノーレ」序曲第3番、序曲「コリオラン」

ヴィンテージ盤レコード→DE(ドイツ)/チューリップレーベル(ALLE)。1964-65年の優秀録音。この時期のLPで、「ALLE」レーベルは珍しいです!

― 139 001~44番までは、カラヤンの為だけに与えられた番号で1枚目の音源となります。1964~68年の間に録音した名演ばかりです。カラヤンが愛した交響曲。冒頭からゾクッとするサウンドで、冷静沈着なカラヤンにしては「熱い」演奏である。同世代の指揮者のように自分で作曲をしなかったカラヤンは、自分の感性を演奏という形で表現したかったのが1960年代のレコードではないだろうか。シューベルトがスコアにしたものから、別の音楽を立ち上らせようとしている。否、オーソドックスな解釈ですがシューベルトの音楽作りを解明して聴かせている。ベルリンのダーレム地区にあるイエス・キリスト教会を終戦直後から70年代にかけてベルリン・フィルの録音場所としてたびたび使われました。外装の印象とは裏腹に内装は大分こじんまりとしている建物で、大きすぎないことが録音に適していたのかもしれません。ここで数々の名録音が生み出されました。ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルと1964年に録音した「未完成」もここでのもの。いかにもカラヤン&ベルリン・フィルとわかるレガートが際立った分厚い音が響いてきます。狭めの教会だからでしょうか、割りと残響が残っています。弦楽器全体が分厚いことに加えて低弦がしっかりベースラインを響かせて、木管、ティンパニーが生み出す重厚感が素晴らしい。兎角、カラヤンの演奏の色気やレガートを強調して軽んじられていますが、カラヤンのこだわりが絶賛された《未完成》です。シューベルトの楽譜の書き癖で課題となるのが「松葉」。中途半端なのでアクセントなのかクレッシェンドなのか指揮者の判断次第ですが、カラヤンのダイナミクスへの持って行き方がこだわり。フォルテで一様に音量を強めずに、チェロの旋律をはっきり聞こえるバランスを保っているので極端さや無理も無く、音量が一気に増して聞こえる効果を作っています。こうした弦楽器の高音部と低音部の音の鳴りのタイミングを一音単位でスイッチさせる腕前はチャイコフスキーの《白鳥の湖》組曲で顕著です。

CDはアマゾンで

交響曲名演集

カラヤン(ヘルベルト・フォン)

ユニバーサル ミュージック クラシック

2000-12-20

シューベルト:交響曲第8番「未完成」第9番「ザ・グレイト」

ヘルベルト・フォン・カラヤン

Universal Music

2023-09-06

シューベルト : 交響曲第8番ロ短調「未完成」

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ポリドール

1996-12-02

カラヤン/6大交響曲集

カラヤン(ヘルベルト・フォン),ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ユニバーサル ミュージック クラシック

2008-03-19

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」/シューベルト:交響曲第8番「未完成」

カラヤン(ヘルベルト・フォン),ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ユニバーサル ミュージック クラシック

2008-03-19

カラヤンが愛した交響曲。細部まで非常にこだわって組み立てられている《未完成》交響曲の決定版。感動できなきゃ不感症だ。反復をカットしているのは残念。

カラヤンのシューベルト/交響曲第8番「未完成」ほか DE DGG 139 001 SLPM STEREO「 カラヤンのシューベルト/交響曲第8番「未完成」ほか DE DGG 139 001 SLPM STEREO」を通販レコードとしてご案内...
13/08/2026

カラヤンのシューベルト/交響曲第8番「未完成」ほか DE DGG 139 001 SLPM STEREO

「 カラヤンのシューベルト/交響曲第8番「未完成」ほか DE DGG 139 001 SLPM STEREO」を通販レコードとしてご案内します。 ― 8月13日 ― フランスの作曲家、マスネが没した日(1912年)。グノーの流れを受け継ぎ、オペラの作曲技法においてはワーグナーの影響も受ける。オペラの代表作は《マノン》、《ウェルテル》、《タイス》など。中でも《タイスの瞑想曲》は間奏曲でありながら単独でも演奏機会が多い。生涯で、約40近いオペラ作品(未完・未発表作品も含む)を発表した。 DE DGG 139 001 SLPM ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト/交響曲第8番「未完成」, ベートーヴェン/「フィデリオ」序曲、「レオノーレ」序曲第3番、序曲「コリオラン」 ヴィンテージ盤レコード→DE(ドイツ)/チューリップレーベル(ALLE)。1964-65年の優秀録音。この時期のLPで、「ALLE」レーベルは珍しいです! ― 139 001~44番までは、カラヤンの為だけに与えられた番号で1枚目の音源となります。1964~68年の間に録音した名演ばかりです。カラヤンが愛した交響曲。冒頭からゾクッとするサウンドで、冷静沈着なカラヤンにしては「熱い」演奏である。同世代の指揮者のように自分で作曲をしなかったカラヤンは、自分の感性を演奏という形で表現したかったのが1960年代のレコードではないだろうか。シューベルトがスコアにしたものから、別の音楽を立ち上らせようとしている。否、オーソドックスな解釈ですがシューベルトの音楽作りを解明して聴かせている。ベルリンのダーレム地区にあるイエス・キリスト教会を終戦直後から70年代にかけてベルリン・フィルの録音場所としてたびたび使われました。外装の印象とは裏腹に内装は大分こじんまりとしている建物で、大きすぎないことが録音に適していたのかもしれません。ここで数々の名録音が生み出されました。ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルと1964年に録音した「未完成」もここでのもの。いかにもカラヤン&ベルリン・フィルとわかるレガートが際立った分厚い音が響いてきます。狭めの教会だからでしょうか、割りと残響が残っています。弦楽器全体が分厚いことに加えて低弦がしっかりベースラインを響かせて、木管、ティンパニーが生み出す重厚感が素晴らしい。兎角、カラヤンの演奏の色気やレガートを強調して軽んじられていますが、カラヤンのこだわりが絶賛された《未完成》です。シューベルトの楽譜の書き癖で課題となるのが「松葉」。中途半端なのでアクセントなのかクレッシェンドなのか指揮者の判断次第ですが、カラヤンのダイナミクスへの持って行き方がこだわり。フォルテで一様に音量を強めずに、チェロの旋律をはっきり聞こえるバランスを保っているので極端さや無理も無く、音量が一気に増して聞こえる効果を作っています。こうした弦楽器の高音部と低音部の音の鳴りのタイミングを一音単位でスイッチさせる腕前はチャイコフスキーの《白鳥の湖》組曲で顕著です。 CDはアマゾンで 交響曲名演集 カラヤン(ヘルベルト・フォン) ユニバーサル ミュージック クラシック 2000-12-20 シューベルト:交響曲第8番「未完成」第9番「ザ・グレイト」 ヘルベルト・フォン・カラヤン Universal Music 2023-09-06 シューベルト : 交響曲第8番ロ短調「未完成」 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ポリドール 1996-12-02 カラヤン/6大交響曲集 カラヤン(ヘルベルト・フォン),ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ユニバーサル ミュージック クラシック 2008-03-19 ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」/シューベルト:交響曲第8番「未完成」 カラヤン(ヘルベルト・フォン),ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ユニバーサル ミュージック クラシック 2008-03-19 from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード via IFTTT

「 カラヤンのシューベルト/交響曲第8番「未完成」ほか DE DGG 139 001 SLPM STEREO」…

リヒテル、カラヤンのチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 DE DGG 138 822 SLPM STEREO「 リヒテル、カラヤンのチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 DE DGG 138 822 SLPM STEREO」を通販レコード...
12/08/2026

リヒテル、カラヤンのチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 DE DGG 138 822 SLPM STEREO

「 リヒテル、カラヤンのチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 DE DGG 138 822 SLPM STEREO」を通販レコードとしてご案内します。 8/12Today's Topics 作家、トマス・マンが没した日(1955年)。ドイツ、リューベックに生れる。『ヴェニスに死す』、『マーリオと魔術師』、『魔の山』などが知られており、ノーベル文学賞も受賞した。マンは、自身の創作においてワーグナーの音楽から相当な影響を受け、ワーグナー論を執筆するほどだった。 ヴィンテージレコード→DE(ドイツ) チューリップ・レーベル盤, 1962年の優秀録音です。もう説明不要の名盤ですね! ジャケットは1965年3月の印刷。 DE DGG SLPM138 822 スヴャトスラフ・リヒテル ヘルベルト・フォン・カラヤン ウィーン交響楽団 チャイコフスキー ピアノ協奏曲1番 《没後20年記念のカラヤンLP名盤にセレクトされている名曲名盤》 横綱相撲〜リヒテルとカラヤンというふたりの巨匠がぶつかり合い、それぞれの個性を十分に発揮しながら、全体として大きなスケールでまとめあげられた名演である。 その内面からくる音楽解釈の深さと卓越した技巧により、楽曲の本質的な演奏を聴くことが出来るリヒテルを求めてる私たち音楽ファンを常に魅了し続けています。 スヴァトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)のピアノ演奏は、その内面からくる音楽解釈の深さと卓越した技巧により常に私たちを魅了し続けており、現在でも多くの音楽ファンは楽曲の本質的な演奏をリヒテルに求めています。米ロの冷戦の最中、1960年の西側登場以前、以後ともに豊富な録音が残されていますが、本盤も其の中の一つです。ピアノ一音一音の粒立ちがハッキリしています。リヒテルのピアノソロは隔絶した高みにいるので、全体に一段も二段も止揚した高みに聴こえて来るから不思議。発見させられることばかりで、疑問を持つどころではない。本盤はロシアの巨人リヒテルが1960年代に初めてヨーロッパに現れ、各地でセンセーションを巻き起こした頃の録音です。ドイツ・グラモフォンは、1961年に行われたリヒテルのイギリス・ツアー、その翌年のイタリア・ツアーでも録音を行ないましたが、彼らの最大の功績は1962年9月にヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン交響楽団との共演で、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第1番ロ短調作品23》を録音したことでしょう。 カラヤンは音楽に甘さや感傷など一切混じえないのに十分に美しく、ガッチリとしているのにリリシズムにも欠けていない。そして勿論スケール大きな、リヒテルのピアノが入ってきます。まさに白熱の演奏で、リヒテルのピアノがオーラを発しているようだ。往年のジャズ・レコード愛好家には、ジョン・コルトレーンがマイルス・デイヴィスと組んだ時の気魂に類似しているといえば伝わるだろう。カラヤンは自分の音楽を優先するので、ソリストにはその音楽の中に溶け込むことを求めているのかもしれない。リヒテルも自分の音楽を優先するので、オーケストラに負けずに大きな音で弾いている。そのオーラを披露されているからファンには堪ったもんではない。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は翌日に初日を控えていたために、レコーディングを拒否。ウィーン交響楽団が代わりになったことで印象に残る異形レコードを、わたし達は今も聴くことが出来る。ドイツ・グラモフォンお得意のコンサート・プレゼンス的視座の中で、マルチマイクでピアノや管楽器のソロなどが過不足なくバランスされ、響きの豊かなことで知られるウィーンのムジークフェラインザールでの収録であり、リヒテルの数多い協奏曲録音の中でも最も美しくバランスのよいサウンドでこの稀有のピアニストの見事なタッチを堪能することができます。当時ベルリン・フィルハーモニー、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ザルツブルク音楽祭など、ヨーロッパの主要音楽ポストを手中におさめていた「帝王」カラヤンと、ソ連の巨匠リヒテルとの共演は、まさに横綱相撲ともいうべきぶつかり合いで、世評では名演だと言われている演奏が、弾いた本人は不満足な出来だと思っている曲が何曲もある。リヒテルには不満が残ったことを自伝にも書いているわけですが、でも、これはそうした破天荒なところが面白いのだ。 そのカラヤンの演奏スタイルは、聴かせ上手な解釈を代表する。50歳代の後半を迎えた壮年期のカラヤンの覇気溢れる瑞々しい演奏。 125年の歴史がある世界で最も有名なクラシック音楽レーベルの一つであるドイツ・グラモフォン(Deutsche Grammophon)は、1898年の創立以来、常に最高峰の芸術性と音質を確立してきました。イギリス・グラモフォン社を経営母体とする、ドイツの豊富な労働者を雇用したレコード・プレス工場でした。アルトゥール・ニキシュがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した。(ベルリン・フィルは1882年の創立。)ベートーヴェンの交響曲第5番の初めての全曲録音が行なわれたのは1913年。ベルリン・フィルはドイツ・グラモフォンに録音したレコードを発売して行きます。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮してドイツ・グラモフォンでの初めての録音(ベートーヴェンの交響曲第5番とウェーバーの歌劇《魔弾の射手》序曲)を行なったのは1926年。ラジオ放送とレコードで、ベルリン・フィルの演奏は多くの聞き手に届くようになります。1938年、ヘルベルト・フォン・カラヤンが初めてドイツ・グラモフォンで録音した。ドイツの優秀な技術力で、ドイツ・グラモフォンは音の大小でレコード溝の間隔を可変させるカッティング方式を発明して1950年、片面の演奏時間が9分まで収められる78回転レコードが登場。翌年、最初の33回転の長時間レコード(LPとして知られている)をリリースした。フルトヴェングラーが没するとカラヤンは、戦後ドイツ・グラモフォンが古典派、ロマン派のレパートリーにおいて確固たる地位を確立する上で重要な役割を演じた。1959年から1989年までの30年間の間にドイツ・グラモフォンで3つのベートーヴェンの交響曲全集、ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》をはじめとした330枚のレコードを制作することになる。 ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はワーグナー、ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。ヘルベルト・フォン・カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をオーケストラ・ピットに入れることを考えました。カラヤンのオペラにおけるイギリスEMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののヴェルディが入りました。EMI がドイツものだけでなく広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」というのが実際の状況だったようです。この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、「美」がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。そして、1976年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルは縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。カラヤンのオーケストラ、ベルリン・フィルの精緻な演奏でオペラが、ただオペラというよりオラトリオのように響く。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。 20世紀のピアノの巨人。 偉大なピアニストは誰か、と質問されればスヴァトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter, 1915〜1987)は必ず上位に名を連ねる演奏家です。ソ連の誇るピアニストであり「20世紀のピアノの巨人」と称されるリヒテルはスタジオ録音としては、ザルツブルク郊外の残響豊かなクレスハイム宮殿で、珍しくベーゼンドルファーを使って録音されたバッハの「平均律クラヴィア曲集」が筆頭に代表される。ソ連の演奏家としては最も早い時期から国際的に活躍していた一人であるエミール・ギレリスが、演奏後に最大の賛辞を贈ろうとしたユージン・オーマンディをリヒテルを聴くまで待ってくださいと制したことも、この幻のピアニストへの期待をかき立てた。リヒテルのレパートリーはバッハから20世紀の同時代の音楽まで多岐にわたる、それぞれに個性的かつ巨大な演奏解釈を披露した文字通り「ピアノの巨人」的存在でした。そうした膨大なレパートリーを誇る一方で、独自の見識に基づいて作品を厳選していたことも特徴的で演奏する曲は限られている。例えばベートーヴェンのピアノ・ソナタで言えば第14番や第21番のような人気曲を意図して演奏しなかったし、5曲の協奏曲の中では第1番と第3番のみをレパートリーにしていた。ショパンの練習曲やドビュッシーの前奏曲、ラフマニノフの前奏曲などでも一部の曲を演奏していない。これはグレン・グールドが完璧な曲を自分が演奏するものではないと録音しなかったことに近い動機ではないだろうか。そして録音嫌いとして知られていたにもかかわらず、ライブ録音によるものも含めると結果的には発売された録音の点数は他のどのピアニストよりも多いのではないかと思われるほど、多数の録音が残されている点でも破格の存在といえるでしょう。リヒテルが残した録音の中でも、おそらくソフィア・ライヴの「展覧会の絵」(PHILIPS)や「平均律クラヴィア曲集」全曲(RCA)と並んで最も有名な演奏が、ドイツ・グラモフォンのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番です。1950年代の中頃から、西欧に対するソ連の目覚ましい芸術攻勢が、とくにこの国を代表する名演奏家たちの国外への相次ぐ演奏旅行によって切って落とされた。ヴァイオリンのダヴィッドとイーゴリのオイストラフ親子、レオニード・コーガン、ピアノのレフ・オボーリン、ギレリス、ウラディーミル・アシュケナージ、チェロのムスティスラフ・ロストロポヴィッチ、さらにレニングラード・フィルハーモニックなどのオーケストラからボリショイ歌劇場の主要メンバーに至るまで、ソ連の楽団は質量ともに西欧諸国の驚異となった。これらの一流演奏家たちは、与えられた賛辞に対して、こう答えるものが多かった。〝その言葉はリフテルを聴くまでとっておきなさい〟。こうしたことが、リフテルの神秘性を一層濃くさせ、おそらく、彼こそソ連楽壇のとっておきの切り札と目されるようになったのである。リヒテルのピアノ演奏は、西側にデビューして間もない時期の録音なので、技術的にも全盛期ながら、むらっけのあるピアニストの姿が良く反映していて迸る熱気が伝わってくる。ワルシャワでのドイツ・グラモフォンとの録音セッションでエンジニアを務めたハインツ・ヴィルトハーゲンは、この時使用したピアノについての証言を残している。スタッフが現地で調達したピアノはタッチにひどくむらのある粗悪な代物で、スタッフは当然リヒテルに拒否されるものと考えた。しかし彼は黙ってピアノの前に座るとキーの感触を一つ一つ確かめながら、むらなく聴こえるようになるまで練習し、難のあるピアノを自在に操ったという。リヒテルの最大の武器は明確なタッチで、鍵盤の底まで押し込んでいるかのような、強い打鍵がフォルテを明確に響かせるが決して重苦しくならない。また弱音の美しい響きは繊細な感情を生かしている。強い意思にもとづく解釈と豊かな表現力が結びついた演奏である。 スヴャトスラフ・リヒテルはヴィルヘルム・バックハウスやクラウディオ・アラウの系統に属するピアニストだと思う。この3人に共通するのはピアニズムの冴えというか、タッチや音色のクールで胸のすくような美しさを聴かせるよりは、音楽そのものの厚味を最も大切にしていることであろう。従って彼等はモーツァルトやショパンやラヴェル、ドビュッシーなどはあまり得意にしていない。スケールの大きい、交響的な作品にこそ真価を発揮するのである。リヒテルの演奏で特筆すべきは壮大さを生かすべき弱音の繊細さが際立っている点で、精神の深味や詩情、ひっそりとした寂しさの表出が独壇場だ。さて、ここまでのリヒテルの略歴を書いておこう。リヒテルは1915年3月20日、ウクライナのジトミールに生まれた。父はポーランド生まれのドイツ人でウィーン音楽院に学んだが法に触れる決闘をしたため、ウクライナに逃れてオルガンとピアノを教えた。母は父の教え子である。しかしリヒテルは殆ど独学で音楽を勉強し、オデッサ歌劇場の伴奏ピアニスト、練習指揮者に採用された。リヒテルの志望は指揮者になることだった。特に読譜力に優れ、交響曲や管弦楽曲の総譜を見ながらピアノで弾く能力に抜群なものを見せ、1933年から1937年までオデッサ歌劇場とバレエ劇場のリハーサル・ピアニストを務めていた。この時リヒテルが人差し指と小指の間で楽々とオクターヴの鍵盤を押さえている奏法を見てすっかり驚いた人たちが、むしろピアニストになるべきだとすすめた。1934年、19歳の時オール・ショパン・プログラムで初の公開演奏を行ったが、これが大成功で本格的なピアニストになることを決意、1937年モスクワ音楽院に入学、ゲンリフ・ネイガウス教授に師事した。ネイガウスはリヒテルの才能に驚きプロコフィエフを紹介、その結果1940年リヒテルはプロコフィエフの「ピアノ・ソナタ第6番」を初演することになったが、これが彼のモスクワ・デビューとなり大センセーションを巻き起こした。そして1945年には全ソヴィエト音楽コンクールで優勝、1947年に音楽院を卒業したが、この時リヒテルはすでに32歳になっていた。以上のような経歴からも本盤録音時のリヒテルの特質を充分に伺うことができよう。リヒテルがソ連国外で演奏したのは1950年のことで、それ以後東側の共産圏には時折登場するようになりましたが、西側に一部の録音や評判が伝えられるのみでその実態がなかなか把握されず「幻のピアニスト」とされていました。1950年にはスターリン賞 ― 現在の国家賞第1等を受賞、1960年初めてアメリカを訪問して以来、世界各国にその姿を見せることになったのである。更に、これらの録音が西側で広く発売されるにつれて、リヒテルは「現代最高の巨匠ピアニスト」と位置づけられるようになって、その名声は頂点に達したのでした。その頃はリフテルと表記されていたリヒテルのピアノには外面的な華やかさも、これ見よがしのハッタリもないが雄大なダイナミックと体中の感情を込め切ったような盛り上がり、ほのかに漂う詩情は言葉に尽くせない。ここには情感に溢れていない部分は一箇所もない、と断言し得るのである。20歳過ぎてから本格的なピアノの勉強をはじめて、これほど大成をした名手は稀といって良いであろう。そこに、リヒテルがはかり知れぬ天分と音楽性の持ち主であることを物語っているといえよう。 Record Karte 演奏:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1962年9月24日~26日ウィーン、ムジークフェラインザールでの録音。優秀録音、名演、名盤。 [プロデューサー]オットー・エルンスト・ヴォーレルト [レコーディング・エンジニア]ギュンター・ヘルマンス 曲目 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲1番ロ短調作品23 [LP初出]138 822 (1963年) [日本盤LP初出]SLPM138822(1963年2月) ヴィンテージレコードの写真 CDはアマゾンで Symphonies -CD+Blry- Tchaikovsky, P.I. Deutsche Grammophon 2019-07-12 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 リヒテル(スヴャトスラフ) ユニバーサル ミュージック クラシック 2007-09-26 チャイコフスキー:交響曲第4番&第5番&第6番 カラヤン(ヘルベルト・フォン) ユニバーサル ミュージック クラシック 2003-09-26 チャイコフスキー:交響曲全集 (初回生産限定盤)(SHM-SUPER AUDIO CD)(3枚組) ヘルベルト・フォン・カラヤン Universal Music 2024-06-12 カラヤン・ラスト・コンサート1988 悲愴&モーツァルト カラヤン(ヘルベルト・フォン),ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ユニバーサル ミュージック クラシック 2008-06-04 from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード via IFTTT

http://concerto.music.blog/2026/08/13/%e3%83%aa%e3%83%92%e3%83%86%e3%83%ab%e3%80%81%e3%82%ab%e3%83%a9%e3%83%a4%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%83%81%e3%83%a3%e3%82%a4%e3%82%b3%e3%83%95%e3%82%b9%e3%82%ad%e3%83%bc-%e3%83%94%e3%82%a2%e3%83%8e-2/

「 リヒテル、カラヤンのチャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 DE DGG 138 822 SLPM STER…

8/12Today's Topics作家、トマス・マンが没した日(1955年)。ドイツ、リューベックに生れる。『ヴェニスに死す』、『マーリオと魔術師』、『魔の山』などが知られており、ノーベル文学賞も受賞した。マンは、自身の創作においてワーグ...
12/08/2026

8/12Today's Topics

作家、トマス・マンが没した日(1955年)。ドイツ、リューベックに生れる。『ヴェニスに死す』、『マーリオと魔術師』、『魔の山』などが知られており、ノーベル文学賞も受賞した。マンは、自身の創作においてワーグナーの音楽から相当な影響を受け、ワーグナー論を執筆するほどだった。

ヴィンテージレコード→DE(ドイツ) チューリップ・レーベル盤, 1962年の優秀録音です。もう説明不要の名盤ですね!
ジャケットは1965年3月の印刷。

DE DGG SLPM138 822 スヴャトスラフ・リヒテル ヘルベルト・フォン・カラヤン ウィーン交響楽団 チャイコフスキー ピアノ協奏曲1番

《没後20年記念のカラヤンLP名盤にセレクトされている名曲名盤》

横綱相撲〜リヒテルとカラヤンというふたりの巨匠がぶつかり合い、それぞれの個性を十分に発揮しながら、全体として大きなスケールでまとめあげられた名演である。

その内面からくる音楽解釈の深さと卓越した技巧により、楽曲の本質的な演奏を聴くことが出来るリヒテルを求めてる私たち音楽ファンを常に魅了し続けています。

スヴァトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)のピアノ演奏は、その内面からくる音楽解釈の深さと卓越した技巧により常に私たちを魅了し続けており、現在でも多くの音楽ファンは楽曲の本質的な演奏をリヒテルに求めています。米ロの冷戦の最中、1960年の西側登場以前、以後ともに豊富な録音が残されていますが、本盤も其の中の一つです。ピアノ一音一音の粒立ちがハッキリしています。リヒテルのピアノソロは隔絶した高みにいるので、全体に一段も二段も止揚した高みに聴こえて来るから不思議。発見させられることばかりで、疑問を持つどころではない。本盤はロシアの巨人リヒテルが1960年代に初めてヨーロッパに現れ、各地でセンセーションを巻き起こした頃の録音です。ドイツ・グラモフォンは、1961年に行われたリヒテルのイギリス・ツアー、その翌年のイタリア・ツアーでも録音を行ないましたが、彼らの最大の功績は1962年9月にヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン交響楽団との共演で、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲第1番ロ短調作品23》を録音したことでしょう。 カラヤンは音楽に甘さや感傷など一切混じえないのに十分に美しく、ガッチリとしているのにリリシズムにも欠けていない。そして勿論スケール大きな、リヒテルのピアノが入ってきます。まさに白熱の演奏で、リヒテルのピアノがオーラを発しているようだ。往年のジャズ・レコード愛好家には、ジョン・コルトレーンがマイルス・デイヴィスと組んだ時の気魂に類似しているといえば伝わるだろう。カラヤンは自分の音楽を優先するので、ソリストにはその音楽の中に溶け込むことを求めているのかもしれない。リヒテルも自分の音楽を優先するので、オーケストラに負けずに大きな音で弾いている。そのオーラを披露されているからファンには堪ったもんではない。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は翌日に初日を控えていたために、レコーディングを拒否。ウィーン交響楽団が代わりになったことで印象に残る異形レコードを、わたし達は今も聴くことが出来る。ドイツ・グラモフォンお得意のコンサート・プレゼンス的視座の中で、マルチマイクでピアノや管楽器のソロなどが過不足なくバランスされ、響きの豊かなことで知られるウィーンのムジークフェラインザールでの収録であり、リヒテルの数多い協奏曲録音の中でも最も美しくバランスのよいサウンドでこの稀有のピアニストの見事なタッチを堪能することができます。当時ベルリン・フィルハーモニー、ウィーン国立歌劇場、ミラノ・スカラ座、ザルツブルク音楽祭など、ヨーロッパの主要音楽ポストを手中におさめていた「帝王」カラヤンと、ソ連の巨匠リヒテルとの共演は、まさに横綱相撲ともいうべきぶつかり合いで、世評では名演だと言われている演奏が、弾いた本人は不満足な出来だと思っている曲が何曲もある。リヒテルには不満が残ったことを自伝にも書いているわけですが、でも、これはそうした破天荒なところが面白いのだ。

そのカラヤンの演奏スタイルは、聴かせ上手な解釈を代表する。50歳代の後半を迎えた壮年期のカラヤンの覇気溢れる瑞々しい演奏。

125年の歴史がある世界で最も有名なクラシック音楽レーベルの一つであるドイツ・グラモフォン(Deutsche Grammophon)は、1898年の創立以来、常に最高峰の芸術性と音質を確立してきました。イギリス・グラモフォン社を経営母体とする、ドイツの豊富な労働者を雇用したレコード・プレス工場でした。
アルトゥール・ニキシュがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した。(ベルリン・フィルは1882年の創立。)ベートーヴェンの交響曲第5番の初めての全曲録音が行なわれたのは1913年。ベルリン・フィルはドイツ・グラモフォンに録音したレコードを発売して行きます。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがベルリン・フィルを指揮してドイツ・グラモフォンでの初めての録音(ベートーヴェンの交響曲第5番とウェーバーの歌劇《魔弾の射手》序曲)を行なったのは1926年。ラジオ放送とレコードで、ベルリン・フィルの演奏は多くの聞き手に届くようになります。1938年、ヘルベルト・フォン・カラヤンが初めてドイツ・グラモフォンで録音した。
ドイツの優秀な技術力で、ドイツ・グラモフォンは音の大小でレコード溝の間隔を可変させるカッティング方式を発明して1950年、片面の演奏時間が9分まで収められる78回転レコードが登場。翌年、最初の33回転の長時間レコード(LPとして知られている)をリリースした。
フルトヴェングラーが没するとカラヤンは、戦後ドイツ・グラモフォンが古典派、ロマン派のレパートリーにおいて確固たる地位を確立する上で重要な役割を演じた。1959年から1989年までの30年間の間にドイツ・グラモフォンで3つのベートーヴェンの交響曲全集、ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》をはじめとした330枚のレコードを制作することになる。

ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はワーグナー、ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。ヘルベルト・フォン・カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をオーケストラ・ピットに入れることを考えました。カラヤンのオペラにおけるイギリスEMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののヴェルディが入りました。EMI がドイツものだけでなく広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」というのが実際の状況だったようです。この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、「美」がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。そして、1976年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルは縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。カラヤンのオーケストラ、ベルリン・フィルの精緻な演奏でオペラが、ただオペラというよりオラトリオのように響く。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。

20世紀のピアノの巨人。

偉大なピアニストは誰か、と質問されればスヴァトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter, 1915〜1987)は必ず上位に名を連ねる演奏家です。ソ連の誇るピアニストであり「20世紀のピアノの巨人」と称されるリヒテルはスタジオ録音としては、ザルツブルク郊外の残響豊かなクレスハイム宮殿で、珍しくベーゼンドルファーを使って録音されたバッハの「平均律クラヴィア曲集」が筆頭に代表される。ソ連の演奏家としては最も早い時期から国際的に活躍していた一人であるエミール・ギレリスが、演奏後に最大の賛辞を贈ろうとしたユージン・オーマンディをリヒテルを聴くまで待ってくださいと制したことも、この幻のピアニストへの期待をかき立てた。リヒテルのレパートリーはバッハから20世紀の同時代の音楽まで多岐にわたる、それぞれに個性的かつ巨大な演奏解釈を披露した文字通り「ピアノの巨人」的存在でした。そうした膨大なレパートリーを誇る一方で、独自の見識に基づいて作品を厳選していたことも特徴的で演奏する曲は限られている。例えばベートーヴェンのピアノ・ソナタで言えば第14番や第21番のような人気曲を意図して演奏しなかったし、5曲の協奏曲の中では第1番と第3番のみをレパートリーにしていた。ショパンの練習曲やドビュッシーの前奏曲、ラフマニノフの前奏曲などでも一部の曲を演奏していない。これはグレン・グールドが完璧な曲を自分が演奏するものではないと録音しなかったことに近い動機ではないだろうか。そして録音嫌いとして知られていたにもかかわらず、ライブ録音によるものも含めると結果的には発売された録音の点数は他のどのピアニストよりも多いのではないかと思われるほど、多数の録音が残されている点でも破格の存在といえるでしょう。リヒテルが残した録音の中でも、おそらくソフィア・ライヴの「展覧会の絵」(PHILIPS)や「平均律クラヴィア曲集」全曲(RCA)と並んで最も有名な演奏が、ドイツ・グラモフォンのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番です。1950年代の中頃から、西欧に対するソ連の目覚ましい芸術攻勢が、とくにこの国を代表する名演奏家たちの国外への相次ぐ演奏旅行によって切って落とされた。ヴァイオリンのダヴィッドとイーゴリのオイストラフ親子、レオニード・コーガン、ピアノのレフ・オボーリン、ギレリス、ウラディーミル・アシュケナージ、チェロのムスティスラフ・ロストロポヴィッチ、さらにレニングラード・フィルハーモニックなどのオーケストラからボリショイ歌劇場の主要メンバーに至るまで、ソ連の楽団は質量ともに西欧諸国の驚異となった。これらの一流演奏家たちは、与えられた賛辞に対して、こう答えるものが多かった。〝その言葉はリフテルを聴くまでとっておきなさい〟。こうしたことが、リフテルの神秘性を一層濃くさせ、おそらく、彼こそソ連楽壇のとっておきの切り札と目されるようになったのである。リヒテルのピアノ演奏は、西側にデビューして間もない時期の録音なので、技術的にも全盛期ながら、むらっけのあるピアニストの姿が良く反映していて迸る熱気が伝わってくる。ワルシャワでのドイツ・グラモフォンとの録音セッションでエンジニアを務めたハインツ・ヴィルトハーゲンは、この時使用したピアノについての証言を残している。スタッフが現地で調達したピアノはタッチにひどくむらのある粗悪な代物で、スタッフは当然リヒテルに拒否されるものと考えた。しかし彼は黙ってピアノの前に座るとキーの感触を一つ一つ確かめながら、むらなく聴こえるようになるまで練習し、難のあるピアノを自在に操ったという。リヒテルの最大の武器は明確なタッチで、鍵盤の底まで押し込んでいるかのような、強い打鍵がフォルテを明確に響かせるが決して重苦しくならない。また弱音の美しい響きは繊細な感情を生かしている。強い意思にもとづく解釈と豊かな表現力が結びついた演奏である。

スヴャトスラフ・リヒテルはヴィルヘルム・バックハウスやクラウディオ・アラウの系統に属するピアニストだと思う。この3人に共通するのはピアニズムの冴えというか、タッチや音色のクールで胸のすくような美しさを聴かせるよりは、音楽そのものの厚味を最も大切にしていることであろう。従って彼等はモーツァルトやショパンやラヴェル、ドビュッシーなどはあまり得意にしていない。スケールの大きい、交響的な作品にこそ真価を発揮するのである。リヒテルの演奏で特筆すべきは壮大さを生かすべき弱音の繊細さが際立っている点で、精神の深味や詩情、ひっそりとした寂しさの表出が独壇場だ。さて、ここまでのリヒテルの略歴を書いておこう。リヒテルは1915年3月20日、ウクライナのジトミールに生まれた。父はポーランド生まれのドイツ人でウィーン音楽院に学んだが法に触れる決闘をしたため、ウクライナに逃れてオルガンとピアノを教えた。母は父の教え子である。しかしリヒテルは殆ど独学で音楽を勉強し、オデッサ歌劇場の伴奏ピアニスト、練習指揮者に採用された。リヒテルの志望は指揮者になることだった。特に読譜力に優れ、交響曲や管弦楽曲の総譜を見ながらピアノで弾く能力に抜群なものを見せ、1933年から1937年までオデッサ歌劇場とバレエ劇場のリハーサル・ピアニストを務めていた。この時リヒテルが人差し指と小指の間で楽々とオクターヴの鍵盤を押さえている奏法を見てすっかり驚いた人たちが、むしろピアニストになるべきだとすすめた。1934年、19歳の時オール・ショパン・プログラムで初の公開演奏を行ったが、これが大成功で本格的なピアニストになることを決意、1937年モスクワ音楽院に入学、ゲンリフ・ネイガウス教授に師事した。ネイガウスはリヒテルの才能に驚きプロコフィエフを紹介、その結果1940年リヒテルはプロコフィエフの「ピアノ・ソナタ第6番」を初演することになったが、これが彼のモスクワ・デビューとなり大センセーションを巻き起こした。そして1945年には全ソヴィエト音楽コンクールで優勝、1947年に音楽院を卒業したが、この時リヒテルはすでに32歳になっていた。以上のような経歴からも本盤録音時のリヒテルの特質を充分に伺うことができよう。リヒテルがソ連国外で演奏したのは1950年のことで、それ以後東側の共産圏には時折登場するようになりましたが、西側に一部の録音や評判が伝えられるのみでその実態がなかなか把握されず「幻のピアニスト」とされていました。1950年にはスターリン賞 ― 現在の国家賞第1等を受賞、1960年初めてアメリカを訪問して以来、世界各国にその姿を見せることになったのである。更に、これらの録音が西側で広く発売されるにつれて、リヒテルは「現代最高の巨匠ピアニスト」と位置づけられるようになって、その名声は頂点に達したのでした。その頃はリフテルと表記されていたリヒテルのピアノには外面的な華やかさも、これ見よがしのハッタリもないが雄大なダイナミックと体中の感情を込め切ったような盛り上がり、ほのかに漂う詩情は言葉に尽くせない。ここには情感に溢れていない部分は一箇所もない、と断言し得るのである。20歳過ぎてから本格的なピアノの勉強をはじめて、これほど大成をした名手は稀といって良いであろう。そこに、リヒテルがはかり知れぬ天分と音楽性の持ち主であることを物語っているといえよう。

Record Karte

演奏:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

1962年9月24日~26日ウィーン、ムジークフェラインザールでの録音。優秀録音、名演、名盤。

[プロデューサー]オットー・エルンスト・ヴォーレルト

[レコーディング・エンジニア]ギュンター・ヘルマンス

曲目

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲1番ロ短調作品23

[LP初出]138 822 (1963年)

[日本盤LP初出]SLPM138822(1963年2月)

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その内面からくる音楽解釈の深さと卓越した技巧により、楽曲の本質的な演奏を聴くことが出来るリヒテルを求めてる私たち音楽ファンを常に魅了し続けています。

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