熊本ふるまち・五福蓄音器を楽しむ会

熊本ふるまち・五福蓄音器を楽しむ会 毎月第4日曜日の午後、熊本城内の熊本市立博物館で蓄音機でレコードを聞くコンサートを開催。現在は五福公民館に場を移し2015年4月で通算325回を数えます。

―6月13日―指揮者、岩城宏之が没した日(2006年)。NHK交響楽団の終身正指揮者を務めた。27歳で、日本のオーケストラで初となるNHK響の世界一周演奏旅行で指揮を振るなど、日本を代表する指揮者のひとり。晩年は病と闘いながらも最後まで指揮...
13/06/2026



6月13日



指揮者、岩城宏之が没した日(2006年)。NHK交響楽団の終身正指揮者を務めた。27歳で、日本のオーケストラで初となるNHK響の世界一周演奏旅行で指揮を振るなど、日本を代表する指揮者のひとり。晩年は病と闘いながらも最後まで指揮台に立ち続けた。

DE RCA LSC2436B フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 レスピーギ/「ローマの松」,「ローマの泉」

ヴィンテージ盤レコード→ドイツ/赤地に銀文字レーベル。1959年の録音です。優秀録音。

アッピア街道を凱旋してくるローマ軍団が眼前に迫る大迫力は、この盤でしか聴くことのできない強烈な音体験。

― 交響詩《ローマの松》はオーケストラの醍醐味が堪能できる壮麗な音絵巻。オーケストラ音楽を初めて生で聴いた全ての人が、興奮状態でコンサートホールを後にする。ステージから溢れるほど多くの楽員が並んだ上に、やがて客席の数ヶ所に陣取った金管楽器奏者たちが立ち上がって、これでもかとばかりに迫力満点の吹奏を繰り広げる。そのあまりに壮麗な響きにたまげるからだ。その破天荒な迫力に満ちた音楽を書いたオットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879.7.9〜1936.4.18)は、オペラでなければ音楽ではないというような19世紀後半のイタリアに生まれ、後に純粋器楽の復興の旗頭になった。代表作が「ローマ3部作」と題された交響詩。その第2作として1924年12月14日にローマのアウグステオ楽堂で初演された《ローマの松》を締めくくる第4部、「アッピア街道の松」(YouTube動画の15分以降)では、霧に包まれた夜明けの軍用街道を、古代ローマ軍が進軍してくる様が描かれる。ただ、この曲の醍醐味は、コンサートホールでしか味わえない。令和元年9月29日に鶴屋百貨店のクラシックサロンで、実行した鑑賞会で聴いて感動したレスピーギの交響詩「ローマの噴水」と、「ローマの松」。本盤がそのレコードです。これまた、フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団の素晴らしさを知るための恰好の1枚で、オーケストラの各パートの名技 ― 特に金管セクションの見事さ、を完璧にコントロールするライナーの指揮者としての桁外れの才能を刻印しています。アルトゥーロ・トスカニーニ=NBC交響楽団の名盤に匹敵する名演で、作品のオーケストレーションの妙が完璧な精度で描き出されており、特に「アッピア街道の松」のクライマックスは圧倒的。聴き終わって、立ち上がって拍手していた参加者の笑顔が眩しかった。何かを会得したような表情でしたので、感想を問うと、映像はないけれども感動する映画を見た後のような気分。情景が見えてくるようだったと、楽曲の、演奏の本質が言い得ていたので驚いた。以前、シベリウスの交響曲第1番を聴いた時の反応も、日本の音楽のように親しみを感じると言われて嬉しかったが、20世紀の音楽は、ベートーヴェンよりも楽しんでもらえるクラシック音楽だったのか。シカゴ響と名演を色々のこしているライナーと、シャルル・ミュンシュに共通して言えるのは、この楽団のアンサンブル能力を極限まで引き出すことに成功していることと、その卓越したリズム感覚である。20世紀のアメリカのオーケストラは元気があった。少しも淀むことのない圧倒的な「色の洪水」を味わえる。そして常に前ノリで続いてゆく疾走感は、ヨーロッパ系オーケストラでは到底味わえない楽しさがある。本当にローマの兵士が凱旋行進をしながら歩いてくるような光景が脳裏に浮かぶ。「イメージに満ちた演奏」とはこの事である。そして、木管の燦めくアルペジオ、ミュート・トランペットの劈くパッセージなど、雑味のようなところが薬味に転じているのは、調整の行き届いたオーディオ装置で聴いたからだろうか。シェーンベルクの十二音技法、ストラヴィンスキーの新古典派主義といった新しい語法を模索していた20世紀初頭は、ロマン派という巨大な球体のような音楽が破裂寸前まで膨張した時代である。遅れてきたロマン派作曲家レスピーギの音楽を聴き終わった後の満足感が保証されるのは、近代的な和声法やテクスチュアと忘れられていた音楽から新しい音楽語法を融合させている、「新ルネサンス様式」「新バロック様式」と呼べる過去の作曲家や古い様式への献身にある。イタリアから伝搬していった音楽文化の、ヨーロッパ全土からの影響を咀嚼して、現代的な音楽文化を成立させた。交響詩「ローマの噴水」は、「朝のトリトンの噴水」や「昼のトレヴィの噴水」といった観光名所に、神話の物語を重ねながら、「夜明けのジュリアの谷の噴水」から、市井の朝、行政中心部の昼、古の栄光を偲ぶように「メディチ荘の噴水」でたそがれを迎える。ローマはその輝かしい栄光と美しさを讃えて「永遠の都」とも呼ばれています。古代ローマの闘技場「コロッセオ」など歴史の跡が今もなお残る街。でもローマで私たちを待っているのは遺跡だけではありません。そして交響詩「ローマの松」はローマにある松の名所が描かれています。ローマでは〝繁栄・不死・力〟の象徴とされ、古代から大切にされてきました。そのため、ローマには到處に松の木があります。映画「ローマの休日」でも、オープニングや、「いいところね」と、アン王女がアパートの屋上から見晴らす風景の中に松を見つけてください。この楽曲には、いったいどんな松が描かれているのか、もともとは貴族の邸宅だった「ボルゲーゼ荘の松」は、今ではローマ市民の憩いの場となっています。悲しげな聖歌が地底深くから立ち昇り、荘厳に響き渡る様子を松が見守っている「カタコンブの松」。街を見渡せる、眺めの良い場所にある「ジャニコロの松」の日が暮れて夜になると、穏やかな満月の下、松の姿が浮かび上がり、鳥の歌い声が聞こえてきます。夢のなかで古代の争いが振り返られる「アッピア街道の松」。「すべての道はローマに通ず」なんて言われるローマの道の中でも、もっとも長い歴史を誇ります。古代、戦いに勝ったローマ軍が行進した栄光の道です。ローマからイタリア南端まで全長約560キロにも及ぶ長い、長い街道の両側に松は聳え立っています。昔も今も、ローマの風景に溶け込んでいる松。松は輝きに満ちたローマの歴史を何千年もの間、見守ってきたのです。さて、「ジャニコロの松」のスコアには、〝GRF〟と書かれた指示があります。第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、20世紀前半は戦争の時代でした。この最中に活躍したレスピーギの作品はファシスト党政権にも非常に好評であったが、レスピーギ自身はまだファシズムに深入りしてはいなかった。後半生はベニート・ムッソリーニのファシスト党とぎこちない関係を続けた。その頃、蓄音器は文化の象徴でしたから、楽器の一つとしてレスピーギは音楽史の一葉に遺しました。ナイチンゲールの鳴き声を録音したレコードが蓄音機(Grf)で再生されるわけです。

20世紀オーケストラ演奏芸術の一つの極点を築き上げた巨匠フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888年12月19日〜1963年11月15日)は、エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)、オットー・クレンペラー(1885〜1973)、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)、エーリヒ・クライバー(1890〜1956)、シャルル・ミュンシュ(1891〜1968)らと同世代にあたる名指揮者のなかで、19世紀の名残りであるロマンティックな陶酔よりも、20世紀の主潮である音楽の客観的再現に奉仕した音楽家です。ブダペスト音楽院でバルトークらに作曲、ピアノ、打楽器を学び、1909年にブダペストで指揮デビュー。第一次世界大戦以前から、ブダペスト歌劇場(1911〜1914)、ザクセン宮廷歌劇場(ドレスデン国立オペラ)(1914〜1921)を経て、1922年に渡米しシンシナティ交響楽団(1922〜1931)、ピッツバーグ交響楽団(1938〜1948)の音楽監督を歴任。その後メトロポリタン歌劇場の指揮者(1949〜1953)を経て、1953年9月にシカゴ交響楽団の音楽監督に就任し、危機に瀕していたこのオーケストラを再建、黄金時代を築き上げました。その後、1962年まで音楽監督。1962/1963年のシーズンは「ミュージカル・アドヴァイザー」を務める。ライナー着任時のシカゴ響には、すでにアドルフ・ハーセス(トランペット)、アーノルド・ジェイコブス(チューバ)、フィリップ・ファーカス(ホルン)、バート・ガスキンス(ピッコロ)、クラーク・ブロディ(クラリネット)、レナード・シャロー(ファゴット)といった管楽器の名手が揃っており、ライナーはボルティモアからオーボエのレイ・スティルを引き抜いて管を固め、またメトロポリタン歌劇場時代から信頼を置いていたチェロのヤーノシュ・シュタルケル、コンサートマスターにはヴィクター・アイタイという同郷の名手を入団させて、「ライナー体制」を築き上げています。このライナーとシカゴ響は、ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ジョージ・セル&クリーヴランド管弦楽団、ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団などと並び、20世紀オーケストラ演奏芸術の極点を築きあげたのです。

フリッツ・ライナー(Fritz Reiner 1888.12.19〜1963.11.15)は、ブダペスト生まれ。生地のリスト音楽アカデミーで学び、卒業後ブダペスト・フォルクスオーパーの楽団員となった。ここで声楽コーチを兼任した彼は1909年にビゼーの歌劇「カルメン」を指揮してデビュー。翌年ライバッハ(現リュブリャーナ)の歌劇場に移り、翌1911年ブダペストに戻りフォルクスオーパーの指揮者となり、1914年にはワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」のハンガリー初演を行う。1914年からはドレスデン国立歌劇場の指揮者として活躍。ヨーロッパ各地に客演した。1922年米国に渡ってシンシナティ交響楽団の常任指揮者となり、この楽団の水準を高めたが、厳しいトレーニングと妥協を許さない方針への反発から1931年に辞任。同年カーティス音楽院の教授に就任。1936年にオットー・クレンペラーの後任としてピッツバーグ交響楽団の音楽監督となり、このオーケストラをアメリカ屈指の水準に高めた。1948年からはメトロポリタン歌劇場の指揮者を務め、1953年にラファエル・クーベリックの後任としてシカゴ交響楽団の音楽監督に迎えられた。ここでも彼の厳格なトレーニングと妥協しない頑固さは様々な対立を産み出したが、確かにこの時代にシカゴ響は世界最高水準の実力を持つ黄金時代を迎えたのである。同時にヨーロッパでも活躍。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも密接な関係を保った。先ずバルトークが代表的な名演奏。弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽。管弦楽のための協奏曲はオーケストラの力量も相まって古典的な名盤(1955,1958年)。ドレスデン国立歌劇場時代以来最も得意としたリヒャルト・シュトラウスは交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(1954,1962年)、「英雄の生涯」(1954年)、「ドン・ファン」(1954,1960年)などがある。ベートーヴェンの交響曲は第2番のみ録音しなかったが、厳格で直截な力のある表現が快い。他のムソルグスキー「展覧会の絵」(1957年)、ドヴォルザークの交響曲「新世界より」(1957年)、レスピーギ「ローマの松、ローマの噴水」(1959年)などがあった。オーケストラの小品にも引き締まった演奏が多い。オペラ録音はメトロポリタン歌劇場時代の「カルメン」のみなのが長く歌劇場で活躍したライナーだけに惜しい。同曲も独特の厳密な音楽作りがユニークである。晩年にウィーン・フィルと録音したアルバムはいずれも円熟した芸風。シカゴ響の緻密さとは違った柔軟さがあった。ブラームス「ハンガリー舞曲」&ドヴォルザーク「スラブ舞曲」(1960年)、ヴェルディ「レクイエム」(1960年)、リヒャルト・シュトラウス「死と変容」&「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(1956年)などがある。

蓄音機愛好家にとっては 『新世界交響曲』にはレオポルド・ストコフスキーとトスカニーニの2大決定版があるが、時代を引き継いだ、ステレオLPレコードの新世界を幕開けしたのが本盤といえる。虚飾を排したストレートなダイナミズムは感動的だ。シカゴ交響楽団と言えば、サー・ゲオルク・ショルティの時代におけるスーパー軍団ぶりが記憶に新しいところだ。ただ、ショルティがかかるスーパー軍団を一から作り上げたというわけでなく、シカゴ響に既にそのような素地が出来上がっていたと言うべきであろう。そして、その素地を作っていたのは、紛れもなくフリッツ・ライナーであると考えられる。もっとも、ショルティ時代よりも演奏全体に艶やかさがあると言えるところであり、音楽性という意味では先輩ライナーの方に一日の長があると言えるだろう。演奏自体は必ずしも深みのあるものではなく、その意味ではスコアに記された音符の表層を取り繕っただけの演奏に聴こえるのは、カール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンら同時代の演奏と比べているからだろう。しかしライナー=シカゴ響といえば金管楽器や木管楽器の力量も卓越したものがあり、異様に凝縮したオーケストラのアンサンブルの鉄壁さは言うに及ばず。全ての楽器が完璧なバランスで結晶化して鳴り響き、感動的なクライマックスを築いていました。ライナーが残した唯一の『新世界交響曲』は、聴き慣れた作品からも新たな魅力を引き出し、音楽的な純度を際立たせるライナーの手腕が発揮された名演。ドヴォルザークの音楽に特有のローカルな雰囲気を感じさせず、絶対音楽としての美しさを極めた演奏で、特にイングリッシュ・ホルンの名ソロが聴ける第2楽章の静かな美しさは、惚れ惚れするほど見事。アルトゥーロ・トスカニーニとレパートリーも多く重なりブラームスの交響曲4番などを聴くとライナーがより厳格だったのでは、と思わせるくらい厳しい表情を見せています。シカゴのオーケストラ・ホールは、ボストン・シンフォニー・ホールよりも録音に向いていたようで、このホールで収録された1950年代・1960年代のライナー=シカゴ響の録音はいずれも高いクオリティに仕上がっており、オーケストラのトゥッティの響きと各パートのバランスの明晰さが両立した名録音が多いです。1958年ステレオ時代の到来と共に、アメリカRCAはライナー指揮シカゴ響と専属契約を結び、数々の名演奏を録音しました。〝Living Stereo〟は最も自然でありスリリングな録音で、現在でも他の録音に全く劣らないものです。1954年は、まだステレオは実験段階だったと思うが、当時の先進企業米国RCAは、いち早くステレオ技術を取り入れ、見事な録音を行っていたのである。其の代表作が、偉大なRCAステレオ録音第一号盤、LSC1806の「ツァラトゥストラはかく語りき」だったのではなかろうか。その成功を十分に取り入れて1959年に録音したのが本盤。製作陣はRCAの一軍、リチャード・ムーア&ルイス・レイトン。個々のパートまではっきり分離するステレオは、生の音とはやや趣を異にするとはいえ、やはりすごい。スタジオ録音とはとても思えない熱気を孕んでいる。一発取りをしたとしか思えない怒濤の極みです。アンサンブルを引き締めながら、強靭な造形が生む緊張感の素晴らしさがハッキリと感じ取れます。

録音史に残る名録音 ― LIVING STEREO

1950年代半ばから1960年代初頭、ステレオ技術にこそレコードの将来性を感じたアメリカRCAは積極的に2チャンネルおよび3チャンネル録音を推進。ライナー、ミュンシュ、モントゥー、ルービンシュタイン、ハイフェッツ、フィードラーなどの名演奏家たちの決定的な解釈が、ずば抜けた鮮度と立体感を誇る音質によって次々と録音されました。

1958年になってウエスタン・エレクトリック社によりステレオLPレコードの技術が開発され、同じ年、RCAはついに念願のステレオLPレコードを発売、『ハイファイ・ステレオ』の黄金時代の幕開けを告げたのです。

RCAのチーフ・エンジニア、ルイス・レイトンを中心に試行錯誤を経て考え抜かれたセッティングにより、ノイマンU-47やM-49/50などのマイクロフォンとRT-21(2トラック)やAmpex社製300-3(3トラック)といったテープ・デッキで収録されたサウンドは、半世紀近く経た現在でも、バランス、透明感、空間性など、あらゆる点で超優秀録音として高く評価されています。

フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団のアメリカRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ響の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。この録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。ステレオ初期のカタログではセミ・プロ仕様の2トラック、19センチのオープンリール・テープは数が限られていましたが、その中でもミュンシュ=ボストン交響楽団のRCAレーベルへの録音は比較的多く存在していました。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星の如きソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。何れもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音「リビング・ステレオ」としてリリースされ、オーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。

プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)

オーケストラ

シカゴ交響楽団

指揮者

フリッツ・ライナー

作曲家

オットリーノ・レスピーギ

曲目

「ローマの松」

「ローマの泉」

レーベル

RCA

レコード番号

LSC2436B

録音年月日

1959年10月24日

録音場所

シカゴ、オーケストラ・ホール

録音プロデューサー

Richard Mohr

録音エンジニア

Lewis Layton.

録音種別

STEREO

製盤国

DE(ドイツ)盤

レーベル世代

赤地に銀文字レーベル

ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)

品番

382051

盤コンディション

良好です(MINT~NEAR MINT)

ジャケットコンディション

良好です(おもて面右上にシール貼付とはがれ跡あり)

価格

11,000円(税込)

商品リンク

https://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/382051.html

ショップ名

輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ

ショップ所在地

〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室

ショップアナウンス

べーレンプラッテからお客様へ
当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。

CD,LPの購入はアマゾンからできます。

レスピーギ:ローマの松&ローマの噴水,ドビュッシー:海

ライナー(フリッツ)

BMG JAPAN

2002-10-23

レスピーギ : 交響詩 「ローマの松」 「ローマの噴水」 | チャイコフスキー : 序曲 「1812年」 Op.49 (Respighi : Pines of Rome, Foutains of Rome | Tchaikovsky : 1812 Overture / Fritz Reiner | Chicago Symphony Orchestra)

シカゴ交響楽団

GRAND SLAM

2014-10-10

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 他

ウラディミール・ホロヴィッツ

ソニー・ミュージックレーベルズ

2024-01-24

https://analog.blog.jp/B%C3%A4renplatte-Sell-LP-Reiner-Respighi-DE-RCA-LSC2436B-STEREO-382051-91454193.html

リヴィング・ステレオ・シリーズの中でも特に音の良いことで知られ、オーディオファイル盤として高名な一枚。アッピア街道を凱旋してくるローマ軍団が眼前に迫る大迫力は、この盤でしか聴くことはできない。

ライナーのレスピーギ/「ローマの松」、「ローマの泉」 DE RCA LSC2436B STEREO「 ライナーのレスピーギ/「ローマの松」、「ローマの泉」 DE RCA LSC2436B STEREO」を通販レコードとしてご案内します。 ―...
13/06/2026

ライナーのレスピーギ/「ローマの松」、「ローマの泉」 DE RCA LSC2436B STEREO

「 ライナーのレスピーギ/「ローマの松」、「ローマの泉」 DE RCA LSC2436B STEREO」を通販レコードとしてご案内します。 ― 6月13日 ― 指揮者、岩城宏之が没した日(2006年)。NHK交響楽団の終身正指揮者を務めた。27歳で、日本のオーケストラで初となるNHK響の世界一周演奏旅行で指揮を振るなど、日本を代表する指揮者のひとり。晩年は病と闘いながらも最後まで指揮台に立ち続けた。 DE RCA LSC2436B フリッツ・ライナー指揮 シカゴ交響楽団 レスピーギ/「ローマの松」,「ローマの泉」 ヴィンテージ盤レコード→ドイツ/赤地に銀文字レーベル。1959年の録音です。優秀録音。 アッピア街道を凱旋してくるローマ軍団が眼前に迫る大迫力は、この盤でしか聴くことのできない強烈な音体験。 ― 交響詩《ローマの松》はオーケストラの醍醐味が堪能できる壮麗な音絵巻。オーケストラ音楽を初めて生で聴いた全ての人が、興奮状態でコンサートホールを後にする。ステージから溢れるほど多くの楽員が並んだ上に、やがて客席の数ヶ所に陣取った金管楽器奏者たちが立ち上がって、これでもかとばかりに迫力満点の吹奏を繰り広げる。そのあまりに壮麗な響きにたまげるからだ。その破天荒な迫力に満ちた音楽を書いたオットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879.7.9〜1936.4.18)は、オペラでなければ音楽ではないというような19世紀後半のイタリアに生まれ、後に純粋器楽の復興の旗頭になった。代表作が「ローマ3部作」と題された交響詩。その第2作として1924年12月14日にローマのアウグステオ楽堂で初演された《ローマの松》を締めくくる第4部、「アッピア街道の松」(YouTube動画の15分以降)では、霧に包まれた夜明けの軍用街道を、古代ローマ軍が進軍してくる様が描かれる。ただ、この曲の醍醐味は、コンサートホールでしか味わえない。令和元年9月29日に鶴屋百貨店のクラシックサロンで、実行した鑑賞会で聴いて感動したレスピーギの交響詩「ローマの噴水」と、「ローマの松」。本盤がそのレコードです。これまた、フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団の素晴らしさを知るための恰好の1枚で、オーケストラの各パートの名技 ― 特に金管セクションの見事さ、を完璧にコントロールするライナーの指揮者としての桁外れの才能を刻印しています。アルトゥーロ・トスカニーニ=NBC交響楽団の名盤に匹敵する名演で、作品のオーケストレーションの妙が完璧な精度で描き出されており、特に「アッピア街道の松」のクライマックスは圧倒的。聴き終わって、立ち上がって拍手していた参加者の笑顔が眩しかった。何かを会得したような表情でしたので、感想を問うと、映像はないけれども感動する映画を見た後のような気分。情景が見えてくるようだったと、楽曲の、演奏の本質が言い得ていたので驚いた。以前、シベリウスの交響曲第1番を聴いた時の反応も、日本の音楽のように親しみを感じると言われて嬉しかったが、20世紀の音楽は、ベートーヴェンよりも楽しんでもらえるクラシック音楽だったのか。シカゴ響と名演を色々のこしているライナーと、シャルル・ミュンシュに共通して言えるのは、この楽団のアンサンブル能力を極限まで引き出すことに成功していることと、その卓越したリズム感覚である。20世紀のアメリカのオーケストラは元気があった。少しも淀むことのない圧倒的な「色の洪水」を味わえる。そして常に前ノリで続いてゆく疾走感は、ヨーロッパ系オーケストラでは到底味わえない楽しさがある。本当にローマの兵士が凱旋行進をしながら歩いてくるような光景が脳裏に浮かぶ。「イメージに満ちた演奏」とはこの事である。そして、木管の燦めくアルペジオ、ミュート・トランペットの劈くパッセージなど、雑味のようなところが薬味に転じているのは、調整の行き届いたオーディオ装置で聴いたからだろうか。シェーンベルクの十二音技法、ストラヴィンスキーの新古典派主義といった新しい語法を模索していた20世紀初頭は、ロマン派という巨大な球体のような音楽が破裂寸前まで膨張した時代である。遅れてきたロマン派作曲家レスピーギの音楽を聴き終わった後の満足感が保証されるのは、近代的な和声法やテクスチュアと忘れられていた音楽から新しい音楽語法を融合させている、「新ルネサンス様式」「新バロック様式」と呼べる過去の作曲家や古い様式への献身にある。イタリアから伝搬していった音楽文化の、ヨーロッパ全土からの影響を咀嚼して、現代的な音楽文化を成立させた。交響詩「ローマの噴水」は、「朝のトリトンの噴水」や「昼のトレヴィの噴水」といった観光名所に、神話の物語を重ねながら、「夜明けのジュリアの谷の噴水」から、市井の朝、行政中心部の昼、古の栄光を偲ぶように「メディチ荘の噴水」でたそがれを迎える。ローマはその輝かしい栄光と美しさを讃えて「永遠の都」とも呼ばれています。古代ローマの闘技場「コロッセオ」など歴史の跡が今もなお残る街。でもローマで私たちを待っているのは遺跡だけではありません。そして交響詩「ローマの松」はローマにある松の名所が描かれています。ローマでは〝繁栄・不死・力〟の象徴とされ、古代から大切にされてきました。そのため、ローマには到處に松の木があります。映画「ローマの休日」でも、オープニングや、「いいところね」と、アン王女がアパートの屋上から見晴らす風景の中に松を見つけてください。この楽曲には、いったいどんな松が描かれているのか、もともとは貴族の邸宅だった「ボルゲーゼ荘の松」は、今ではローマ市民の憩いの場となっています。悲しげな聖歌が地底深くから立ち昇り、荘厳に響き渡る様子を松が見守っている「カタコンブの松」。街を見渡せる、眺めの良い場所にある「ジャニコロの松」の日が暮れて夜になると、穏やかな満月の下、松の姿が浮かび上がり、鳥の歌い声が聞こえてきます。夢のなかで古代の争いが振り返られる「アッピア街道の松」。「すべての道はローマに通ず」なんて言われるローマの道の中でも、もっとも長い歴史を誇ります。古代、戦いに勝ったローマ軍が行進した栄光の道です。ローマからイタリア南端まで全長約560キロにも及ぶ長い、長い街道の両側に松は聳え立っています。昔も今も、ローマの風景に溶け込んでいる松。松は輝きに満ちたローマの歴史を何千年もの間、見守ってきたのです。さて、「ジャニコロの松」のスコアには、〝GRF〟と書かれた指示があります。第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、20世紀前半は戦争の時代でした。この最中に活躍したレスピーギの作品はファシスト党政権にも非常に好評であったが、レスピーギ自身はまだファシズムに深入りしてはいなかった。後半生はベニート・ムッソリーニのファシスト党とぎこちない関係を続けた。その頃、蓄音器は文化の象徴でしたから、楽器の一つとしてレスピーギは音楽史の一葉に遺しました。ナイチンゲールの鳴き声を録音したレコードが蓄音機(Grf)で再生されるわけです。 20世紀オーケストラ演奏芸術の一つの極点を築き上げた巨匠フリッツ・ライナー(Fritz Reiner, 1888年12月19日〜1963年11月15日)は、エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)、オットー・クレンペラー(1885〜1973)、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)、エーリヒ・クライバー(1890〜1956)、シャルル・ミュンシュ(1891〜1968)らと同世代にあたる名指揮者のなかで、19世紀の名残りであるロマンティックな陶酔よりも、20世紀の主潮である音楽の客観的再現に奉仕した音楽家です。ブダペスト音楽院でバルトークらに作曲、ピアノ、打楽器を学び、1909年にブダペストで指揮デビュー。第一次世界大戦以前から、ブダペスト歌劇場(1911〜1914)、ザクセン宮廷歌劇場(ドレスデン国立オペラ)(1914〜1921)を経て、1922年に渡米しシンシナティ交響楽団(1922〜1931)、ピッツバーグ交響楽団(1938〜1948)の音楽監督を歴任。その後メトロポリタン歌劇場の指揮者(1949〜1953)を経て、1953年9月にシカゴ交響楽団の音楽監督に就任し、危機に瀕していたこのオーケストラを再建、黄金時代を築き上げました。その後、1962年まで音楽監督。1962/1963年のシーズンは「ミュージカル・アドヴァイザー」を務める。ライナー着任時のシカゴ響には、すでにアドルフ・ハーセス(トランペット)、アーノルド・ジェイコブス(チューバ)、フィリップ・ファーカス(ホルン)、バート・ガスキンス(ピッコロ)、クラーク・ブロディ(クラリネット)、レナード・シャロー(ファゴット)といった管楽器の名手が揃っており、ライナーはボルティモアからオーボエのレイ・スティルを引き抜いて管を固め、またメトロポリタン歌劇場時代から信頼を置いていたチェロのヤーノシュ・シュタルケル、コンサートマスターにはヴィクター・アイタイという同郷の名手を入団させて、「ライナー体制」を築き上げています。このライナーとシカゴ響は、ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ジョージ・セル&クリーヴランド管弦楽団、ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団などと並び、20世紀オーケストラ演奏芸術の極点を築きあげたのです。 フリッツ・ライナー(Fritz Reiner 1888.12.19〜1963.11.15)は、ブダペスト生まれ。生地のリスト音楽アカデミーで学び、卒業後ブダペスト・フォルクスオーパーの楽団員となった。ここで声楽コーチを兼任した彼は1909年にビゼーの歌劇「カルメン」を指揮してデビュー。翌年ライバッハ(現リュブリャーナ)の歌劇場に移り、翌1911年ブダペストに戻りフォルクスオーパーの指揮者となり、1914年にはワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」のハンガリー初演を行う。1914年からはドレスデン国立歌劇場の指揮者として活躍。ヨーロッパ各地に客演した。1922年米国に渡ってシンシナティ交響楽団の常任指揮者となり、この楽団の水準を高めたが、厳しいトレーニングと妥協を許さない方針への反発から1931年に辞任。同年カーティス音楽院の教授に就任。1936年にオットー・クレンペラーの後任としてピッツバーグ交響楽団の音楽監督となり、このオーケストラをアメリカ屈指の水準に高めた。1948年からはメトロポリタン歌劇場の指揮者を務め、1953年にラファエル・クーベリックの後任としてシカゴ交響楽団の音楽監督に迎えられた。ここでも彼の厳格なトレーニングと妥協しない頑固さは様々な対立を産み出したが、確かにこの時代にシカゴ響は世界最高水準の実力を持つ黄金時代を迎えたのである。同時にヨーロッパでも活躍。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも密接な関係を保った。先ずバルトークが代表的な名演奏。弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽。管弦楽のための協奏曲はオーケストラの力量も相まって古典的な名盤(1955,1958年)。ドレスデン国立歌劇場時代以来最も得意としたリヒャルト・シュトラウスは交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(1954,1962年)、「英雄の生涯」(1954年)、「ドン・ファン」(1954,1960年)などがある。ベートーヴェンの交響曲は第2番のみ録音しなかったが、厳格で直截な力のある表現が快い。他のムソルグスキー「展覧会の絵」(1957年)、ドヴォルザークの交響曲「新世界より」(1957年)、レスピーギ「ローマの松、ローマの噴水」(1959年)などがあった。オーケストラの小品にも引き締まった演奏が多い。オペラ録音はメトロポリタン歌劇場時代の「カルメン」のみなのが長く歌劇場で活躍したライナーだけに惜しい。同曲も独特の厳密な音楽作りがユニークである。晩年にウィーン・フィルと録音したアルバムはいずれも円熟した芸風。シカゴ響の緻密さとは違った柔軟さがあった。ブラームス「ハンガリー舞曲」&ドヴォルザーク「スラブ舞曲」(1960年)、ヴェルディ「レクイエム」(1960年)、リヒャルト・シュトラウス「死と変容」&「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(1956年)などがある。 蓄音機愛好家にとっては 『新世界交響曲』にはレオポルド・ストコフスキーとトスカニーニの2大決定版があるが、時代を引き継いだ、ステレオLPレコードの新世界を幕開けしたのが本盤といえる。虚飾を排したストレートなダイナミズムは感動的だ。シカゴ交響楽団と言えば、サー・ゲオルク・ショルティの時代におけるスーパー軍団ぶりが記憶に新しいところだ。ただ、ショルティがかかるスーパー軍団を一から作り上げたというわけでなく、シカゴ響に既にそのような素地が出来上がっていたと言うべきであろう。そして、その素地を作っていたのは、紛れもなくフリッツ・ライナーであると考えられる。もっとも、ショルティ時代よりも演奏全体に艶やかさがあると言えるところであり、音楽性という意味では先輩ライナーの方に一日の長があると言えるだろう。演奏自体は必ずしも深みのあるものではなく、その意味ではスコアに記された音符の表層を取り繕っただけの演奏に聴こえるのは、カール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンら同時代の演奏と比べているからだろう。しかしライナー=シカゴ響といえば金管楽器や木管楽器の力量も卓越したものがあり、異様に凝縮したオーケストラのアンサンブルの鉄壁さは言うに及ばず。全ての楽器が完璧なバランスで結晶化して鳴り響き、感動的なクライマックスを築いていました。ライナーが残した唯一の『新世界交響曲』は、聴き慣れた作品からも新たな魅力を引き出し、音楽的な純度を際立たせるライナーの手腕が発揮された名演。ドヴォルザークの音楽に特有のローカルな雰囲気を感じさせず、絶対音楽としての美しさを極めた演奏で、特にイングリッシュ・ホルンの名ソロが聴ける第2楽章の静かな美しさは、惚れ惚れするほど見事。アルトゥーロ・トスカニーニとレパートリーも多く重なりブラームスの交響曲4番などを聴くとライナーがより厳格だったのでは、と思わせるくらい厳しい表情を見せています。シカゴのオーケストラ・ホールは、ボストン・シンフォニー・ホールよりも録音に向いていたようで、このホールで収録された1950年代・1960年代のライナー=シカゴ響の録音はいずれも高いクオリティに仕上がっており、オーケストラのトゥッティの響きと各パートのバランスの明晰さが両立した名録音が多いです。1958年ステレオ時代の到来と共に、アメリカRCAはライナー指揮シカゴ響と専属契約を結び、数々の名演奏を録音しました。〝Living Stereo〟は最も自然でありスリリングな録音で、現在でも他の録音に全く劣らないものです。1954年は、まだステレオは実験段階だったと思うが、当時の先進企業米国RCAは、いち早くステレオ技術を取り入れ、見事な録音を行っていたのである。其の代表作が、偉大なRCAステレオ録音第一号盤、LSC1806の「ツァラトゥストラはかく語りき」だったのではなかろうか。その成功を十分に取り入れて1959年に録音したのが本盤。製作陣はRCAの一軍、リチャード・ムーア&ルイス・レイトン。個々のパートまではっきり分離するステレオは、生の音とはやや趣を異にするとはいえ、やはりすごい。スタジオ録音とはとても思えない熱気を孕んでいる。一発取りをしたとしか思えない怒濤の極みです。アンサンブルを引き締めながら、強靭な造形が生む緊張感の素晴らしさがハッキリと感じ取れます。 録音史に残る名録音 ― LIVING STEREO 1950年代半ばから1960年代初頭、ステレオ技術にこそレコードの将来性を感じたアメリカRCAは積極的に2チャンネルおよび3チャンネル録音を推進。ライナー、ミュンシュ、モントゥー、ルービンシュタイン、ハイフェッツ、フィードラーなどの名演奏家たちの決定的な解釈が、ずば抜けた鮮度と立体感を誇る音質によって次々と録音されました。 1958年になってウエスタン・エレクトリック社によりステレオLPレコードの技術が開発され、同じ年、RCAはついに念願のステレオLPレコードを発売、『ハイファイ・ステレオ』の黄金時代の幕開けを告げたのです。 RCAのチーフ・エンジニア、ルイス・レイトンを中心に試行錯誤を経て考え抜かれたセッティングにより、ノイマンU-47やM-49/50などのマイクロフォンとRT-21(2トラック)やAmpex社製300-3(3トラック)といったテープ・デッキで収録されたサウンドは、半世紀近く経た現在でも、バランス、透明感、空間性など、あらゆる点で超優秀録音として高く評価されています。 フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団のアメリカRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ響の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。この録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。ステレオ初期のカタログではセミ・プロ仕様の2トラック、19センチのオープンリール・テープは数が限られていましたが、その中でもミュンシュ=ボストン交響楽団のRCAレーベルへの録音は比較的多く存在していました。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星の如きソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。何れもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音「リビング・ステレオ」としてリリースされ、オーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。 プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤) オーケストラ シカゴ交響楽団 指揮者 フリッツ・ライナー 作曲家 オットリーノ・レスピーギ 曲目 「ローマの松」 「ローマの泉」 レーベル RCA レコード番号 LSC2436B 録音年月日 1959年10月24日 録音場所 シカゴ、オーケストラ・ホール 録音プロデューサー Richard Mohr 録音エンジニア Lewis Layton. 録音種別 STEREO 製盤国 DE(ドイツ)盤 レーベル世代 赤地に銀文字レーベル ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。) 品番 382051 盤コンディション 良好です(MINT~NEAR MINT) ジャケットコンディション 良好です(おもて面右上にシール貼付とはがれ跡あり) 価格 11,000円(税込) 商品リンク ショップ名 輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ ショップ所在地 〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室 ショップアナウンス べーレンプラッテからお客様へ当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。 CD,LPの購入はアマゾンからできます。 レスピーギ:ローマの松&ローマの噴水,ドビュッシー:海 ライナー(フリッツ) BMG JAPAN 2002-10-23 レスピーギ : 交響詩 「ローマの松」 「ローマの噴水」 | チャイコフスキー : 序曲 「1812年」 Op.49 (Respighi : Pines of Rome, Foutains of Rome | Tchaikovsky : 1812 Overture / Fritz Reiner | Chicago Symphony Orchestra) シカゴ交響楽団 GRAND SLAM 2014-10-10 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 他 ウラディミール・ホロヴィッツ ソニー・ミュージックレーベルズ 2024-01-24 from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード via IFTTT

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6/12Today's Topicsジャズピアニスト、チックコリアが生まれた日(1941年)。マイルス・デイヴィスのバンドでの活躍、そして「スペイン」や「500マイルズ・ハイ」などで知られル。常にジャズシーンに刺激を与え、プレイヤーたちを牽...
12/06/2026

6/12
Today's Topics

ジャズピアニスト、チックコリアが生まれた日(1941年)。マイルス・デイヴィスのバンドでの活躍、そして「スペイン」や「500マイルズ・ハイ」などで知られル。常にジャズシーンに刺激を与え、プレイヤーたちを牽引してきた。2021年2月にこの世を去ったが、度々来日したり、ジャズピアニストの小曽根真や上原ひろみらとも共演した。

二刀流のパイオニア

ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第13位に選ばれているスタンリー・クラークは、アメリカ合衆国のペンシルベニア州フィラデルフィア。ウッドベースとエレクトリック・ベースの両方を一曲中で弾き分ける演奏で魅了する二刀流のパイオニア。チューニングの異なるベースを使い分けたり、ギターに近い奏法も得意とする。1973年よりアレンビック社製のエレクトリックベースをメインの楽器として使っていることで有名。ウッドベースを演奏する際に、楽器のボディをパーカッションのように叩くこともあり、アルコ奏法もする。

ジャズ・フュージョンのレジェンド、リターン・トゥ・フォーエバー

リターン・トゥ・フォーエバーは、1972年にピアニストのチック・コリアによって結成されたアメリカのジャズ・フュージョン・バンドです。バンドは多くのメンバーで構成され、コリアの唯一の常連メンバーはベーシストのスタンリー・クラークでした。ウェザー・リポート、ヘッドハンターズ、マハヴィシュヌ・オーケストラと並んで、リターン・トゥ・フォーエバーは1970年代のジャズ・フュージョン・ムーブメントの中心グループの一つとしてしばしば挙げられます。クラーク、フローラ・プリム、アイトー・モレイラ、アル・ディ・メオラなど、多くのミュージシャンがリターン・トゥ・フォーエバーのアルバムでの演奏を通じて注目を集めました。

リターン・トゥ・フォーエバーは、5年間の活動と7枚のスタジオ・アルバムを経て、1977年に解散しました。バンドはその後スタジオアルバムをリリースすることはなかったが、コリアが2021年に亡くなるまで、1983年の2か月間の米国と日本のツアーなど、時折ライブパフォーマンスのために再結成していた。

1983年4月17日、東京・よみうりランド・オープンシアターにて収録・NHK FMで放送。

Romantic Warrior

スタンリー・クラークは1970年代後半はジェフ・ベックとの共演を足がかりに、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドが結成したサイド・プロジェクト、ニュー・バーバリアンズのメンバーとして1979年から世界ツアーを行い、ロック・ファンにも人気があった。1980、90年代はジョージ・デューク、スチュアート・コープランドとデュオユニットやトリオで共演。アル・ディ・メオラ、ジャン=リュック・ポンティと共に結成したアコースティック・トリオでライブ活動を行った。

2009年には上原ひろみ、レニー・ホワイトと組んでスタンリー・クラーク・トリオとして『ジャズ・イン・ザ・ガーデン』を発表。2010年にはアルバム『スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング 上原ひろみ』をリリースして、第53回グラミー賞で最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞を受賞した。

ジャズ・フュージョンのレジェンド、リターン・トゥ・フォーエバー

Return to Forever

Corea, Chick

Ecm Records

1972-07-01

スペイン~ライト・アズ・ア・フェザー(限定盤)(UHQ-CD/MQA)

チック・コリア&リターン・トゥ・フォーエヴァー

Universal Music

2020-09-02

浪漫の騎士(期間生産限定盤) - リターン・トゥ・フォーエヴァー

リターン・トゥ・フォーエヴァー

SMJ

2016-04-27

ジャーニー・トゥ・ラヴ(期間生産限定盤)

スタンリー・クラーク

SMJ

2017-11-08

Stanley Clarke

Clarke, Stanley

Epic Europe

2006-06-26

Sony Jazz Trios

Clarke, Stanley

Epic Europe

2004-12-14

ジャズ・イン・ザ・ガーデン

レニー・ホワイト

ユニバーサルクラシック

2009-04-15

Stanley Clarke Band

Clarke, Stanley

Heads Up

2010-06-24

上原ひろみディスコグラフィー

OUT THERE (初回限定盤)(SHM-CD)(DVD付)

上原ひろみ

Universal Music

2025-04-04

Sonicwonderland (初回限定盤) - 上原ひろみ/Hiromi's Sonicwonder (DVD付)

上原ひろみ

Universal Music

2023-09-06

Step Into Paradise -LIVE IN TOKYO- (初回限定盤) - 矢野顕子×上原ひろみ

矢野顕子×上原ひろみ

Universal Music

2024-12-06

シルヴァー・ライニング・スイート (初回限定盤)(SHM-CD)(2枚組)

上原ひろみ ザ・ピアノ・クインテット

Universal Music

2021-09-08

Spectrum (SHM-CD) (Bonus CD)

Hiromi Uehara

Universal Japan

2019-09-18

Another Mind - Hiromi

Hiromi

Telarc

2003-05-01

Out There [Analog]

Hiromi's Sonicwonder

Concord

2025-04-04

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二刀流のパイオニア。ウッドベースとエレクトリック・ベースを弾き分けるスタンリー・クラーク。上原ひろみとトリオを組んだアルバムがグラミー賞を受賞した日。

二刀流のパイオニア ― スタンリー・クラーク Return to Forever「 二刀流のパイオニア ― スタンリー・クラーク Return to Forever」を通販レコードとしてご案内します。 6/12 Today's Topics...
12/06/2026

二刀流のパイオニア ― スタンリー・クラーク Return to Forever

「 二刀流のパイオニア ― スタンリー・クラーク Return to Forever」を通販レコードとしてご案内します。 6/12 Today's Topics ジャズピアニスト、チックコリアが生まれた日(1941年)。マイルス・デイヴィスのバンドでの活躍、そして「スペイン」や「500マイルズ・ハイ」などで知られル。常にジャズシーンに刺激を与え、プレイヤーたちを牽引してきた。2021年2月にこの世を去ったが、度々来日したり、ジャズピアニストの小曽根真や上原ひろみらとも共演した。 二刀流のパイオニア ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高のベーシスト50選」で第13位に選ばれているスタンリー・クラークは、アメリカ合衆国のペンシルベニア州フィラデルフィア。ウッドベースとエレクトリック・ベースの両方を一曲中で弾き分ける演奏で魅了する二刀流のパイオニア。チューニングの異なるベースを使い分けたり、ギターに近い奏法も得意とする。1973年よりアレンビック社製のエレクトリックベースをメインの楽器として使っていることで有名。ウッドベースを演奏する際に、楽器のボディをパーカッションのように叩くこともあり、アルコ奏法もする。 ジャズ・フュージョンのレジェンド、リターン・トゥ・フォーエバー リターン・トゥ・フォーエバーは、1972年にピアニストのチック・コリアによって結成されたアメリカのジャズ・フュージョン・バンドです。バンドは多くのメンバーで構成され、コリアの唯一の常連メンバーはベーシストのスタンリー・クラークでした。ウェザー・リポート、ヘッドハンターズ、マハヴィシュヌ・オーケストラと並んで、リターン・トゥ・フォーエバーは1970年代のジャズ・フュージョン・ムーブメントの中心グループの一つとしてしばしば挙げられます。クラーク、フローラ・プリム、アイトー・モレイラ、アル・ディ・メオラなど、多くのミュージシャンがリターン・トゥ・フォーエバーのアルバムでの演奏を通じて注目を集めました。 リターン・トゥ・フォーエバーは、5年間の活動と7枚のスタジオ・アルバムを経て、1977年に解散しました。バンドはその後スタジオアルバムをリリースすることはなかったが、コリアが2021年に亡くなるまで、1983年の2か月間の米国と日本のツアーなど、時折ライブパフォーマンスのために再結成していた。 1983年4月17日、東京・よみうりランド・オープンシアターにて収録・NHK FMで放送。 Romantic Warrior スタンリー・クラークは1970年代後半はジェフ・ベックとの共演を足がかりに、ローリング・ストーンズのキース・リチャーズとロン・ウッドが結成したサイド・プロジェクト、ニュー・バーバリアンズのメンバーとして1979年から世界ツアーを行い、ロック・ファンにも人気があった。1980、90年代はジョージ・デューク、スチュアート・コープランドとデュオユニットやトリオで共演。アル・ディ・メオラ、ジャン=リュック・ポンティと共に結成したアコースティック・トリオでライブ活動を行った。 2009年には上原ひろみ、レニー・ホワイトと組んでスタンリー・クラーク・トリオとして『ジャズ・イン・ザ・ガーデン』を発表。2010年にはアルバム『スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング 上原ひろみ』をリリースして、第53回グラミー賞で最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞を受賞した。 ジャズ・フュージョンのレジェンド、リターン・トゥ・フォーエバー Return to Forever Corea, Chick Ecm Records 1972-07-01 スペイン~ライト・アズ・ア・フェザー(限定盤)(UHQ-CD/MQA) チック・コリア&リターン・トゥ・フォーエヴァー Universal Music 2020-09-02 浪漫の騎士(期間生産限定盤) - リターン・トゥ・フォーエヴァー リターン・トゥ・フォーエヴァー SMJ 2016-04-27 ジャーニー・トゥ・ラヴ(期間生産限定盤) スタンリー・クラーク SMJ 2017-11-08 Stanley Clarke Clarke, Stanley Epic Europe 2006-06-26 Sony Jazz Trios Clarke, Stanley Epic Europe 2004-12-14 ジャズ・イン・ザ・ガーデン レニー・ホワイト ユニバーサルクラシック 2009-04-15 Stanley Clarke Band Clarke, Stanley Heads Up 2010-06-24 上原ひろみディスコグラフィー OUT THERE (初回限定盤)(SHM-CD)(DVD付) 上原ひろみ Universal Music 2025-04-04 Sonicwonderland (初回限定盤) - 上原ひろみ/Hiromi's Sonicwonder (DVD付) 上原ひろみ Universal Music 2023-09-06 Step Into Paradise -LIVE IN TOKYO- (初回限定盤) - 矢野顕子×上原ひろみ 矢野顕子×上原ひろみ Universal Music 2024-12-06 シルヴァー・ライニング・スイート (初回限定盤)(SHM-CD)(2枚組) 上原ひろみ ザ・ピアノ・クインテット Universal Music 2021-09-08 Spectrum (SHM-CD) (Bonus CD) Hiromi Uehara Universal Japan 2019-09-18 Another Mind - Hiromi Hiromi Telarc 2003-05-01 Out There Hiromi's Sonicwonder Concord 2025-04-04 続きを読む from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード via IFTTT

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無人島に持って行くピアノソロ・ライヴ録音の名盤 ― 感動を言葉に直すことの魅了。自身の耳と心で感じた音楽の質を率直に著す吉田秀和の豊かな言葉は人々の道標となった。「 無人島に持って行くピアノソロ・ライヴ録音の名盤 ― 感動を言葉に直すことの...
11/06/2026

無人島に持って行くピアノソロ・ライヴ録音の名盤 ― 感動を言葉に直すことの魅了。自身の耳と心で感じた音楽の質を率直に著す吉田秀和の豊かな言葉は人々の道標となった。

「 無人島に持って行くピアノソロ・ライヴ録音の名盤 ― 感動を言葉に直すことの魅了。自身の耳と心で感じた音楽の質を率直に著す吉田秀和の豊かな言葉は人々の道標となった。」を通販レコードとしてご案内します。 「ひびの入った骨董品」 6月11日 ホロヴィッツが来日演奏会を行った日(1983年)。当時80歳の巨匠ピアニストの来日に多くの人が注目した。同時に評論家の吉田秀和が彼の演奏を「ひびの入った骨董品」と評したことでも後世に残る日となった。しかし、これには後日談があり、吉田の指摘に通じるものをホロヴィッツ自身も自覚していたようで、3年後に再来日した際には、吉田がホロヴィッツに対して最高の賛辞を伝える演奏をやってのけた。 DE DGG 419 499-1 - Vladimir Horowitz - HOROWITZ IN MOSCOW DE BLUE LINE, STEREO DIGITAL 1枚組 120㌘重量盤, Release 1986. Record Karte 1986年4月モスクワ音楽院にてThomas Frostによって録音されたピアノ・ソロ・ライヴ録音の名盤。 無人島に持って行くレコードの候補の一枚。 吉田秀和は、著作は多数あり、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなど巨匠音楽家らの音楽に触れ、また当時日本では未知の存在だった作曲家ジョン・ケージやピアニストのグレン・グールドなどを日本の聴衆に紹介した。音楽教育にも貢献し、桐朋学園大学音楽学部の母体である「子供のための音楽教室」の創設にかかわり、小澤征爾、中村紘子らを育てた。 「ホロヴィッツ事件」というのが歴史にある。1983年6月11日は、ホロヴィッツが初来日してピアノ演奏を実際に日本の聴衆の前で行った日。 時代はバブル景気。ピアノ・ソロの演奏会では最高金額でした。その金額でホロヴィッツが動かされたと言われても仕方の無いことでしたが、『ひびの入った骨董品』と来日演奏を批評したのが、吉田秀和でした。それは若い時に来日して貰って、実際の演奏に接したかった。と言う吉田の正直な夢だったのですが、音楽批評雑誌の見出しだけが躍ってしまった感じです。 無人島に持って行くレコードと、著名な演奏家が言った一枚。との表現が時に踊っているものですが、その言葉の前後に何があるのか、はたまた本当にその演奏家の言ったことなのか真偽が・・・インターネットで時に話題となります。でも、無人島を孤島、リゾートと解釈したらどうだろう。 ホロヴィッツの初来日は、芳しい結果では受け止められないことになりましたがモスクワでのライヴ、その帰り道での来日演奏会。それらが素晴らしいものであったこと、それはライヴ録音のアナログ盤の評判が良いので感じられるとおりです。 ヴィンテージレコードの写真 CDの購入はアマゾンで Horowitz in Moscow Deutsche Grammophon 1986-09-09 モスクワ・ライヴ1986 (SHM-CD) ヴラディーミル・ホロヴィッツ Universal Music 2023-05-17 ホロヴィッツ/モスクワ・ライヴ1986 ヴラディーミル・ホロヴィッツ ユニバーサル ミュージック 2018-01-24 Horowitz in Moscow Vladimir Horowitz Deutsche Grammophon 1998-10-09 ウラディミール・ホロヴィッツ大全集~コンプリートRCA&ソニー・レコーディングズ1928-1989(DVD付) ホロヴィッツ(ウラディミール) BMG JAPAN Inc. 2009-11-25 プロダクト・ディテール(オリジナル盤) レーベル DGG(Deutsche Grammophon) タイトル HOROWITZ IN MOSCOW レコード番号 419 499-1 作曲家 アレクサンドル・スクリャービンセルゲイ・ラフマニノフドメニコ・スカルラッティフランツ・リストロベルト・シューマンヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 演奏者 ウラディミール・ホロヴィッツ 録音種別 STEREO 製盤国 DE(ドイツ)盤 カルテ(器楽曲) 1986年4月モスクワ音楽院 にてThomas Frostによって録音されたピアノ・ソロ・ライヴ録音の名盤。BLUE LINE, STEREO DIGITAL 1枚組 120㌘重量盤, Release 1986。 臍なき女への狂おしい渇望 シャンデリアの仄暗い光が、豪奢な金箔の施されたロココ調の壁を濡らすように照らしている。1920年、激動のロシア。帝政の華やぎが、滅びゆくものの妖しい香気となって澱むサンクトペテルブルクのサロンには、濃厚な香水と煙草の煙、そして冷えた雪の匂いが満ちていた。 17歳の彼の指先が、エラール製の古いグランドピアノの鍵盤を駆ける。冬の凍てつく大気を震わせるような重厚な打鍵。しかし、彼の集中力は、突如として割り込んできた「存在」によって激しくかき乱されることになった。 ピアノのすぐ傍ら。音楽の奔流に身を委ねるように立ち尽くす、一人の東洋人女性。 息をのむほどに豊かな、夜の闇を溶かしたような黒髪。ロシアの冬の厳しさを忘れさせる、圧倒的なグラマラスの暴力だった。32歳だというその肉体は、凍結した果実のように瑞々しく、28歳――いや、この地の男たちの目にはさらに若く、神秘的な少女のようにも映るだろう。アンダーバスト68センチという驚異的に引き締まった土台の上にそびえる、98センチのお椀型の豊かなバスト。そこから急角度で縊れる60センチの細いウエストと、96センチの豊かなヒップへと繋がる骨盤の曲線は、まるで極上のチェロの輪郭を思わせた。 彼女が纏うのは、肌の温もりをそのまま伝えるかのような、透けた薄い絹の上品なドレス。 鍵盤の上で指を躍らせながら、青年の視線は彼女のドレスの、ある一所に釘付けになった。 (――あそこには、何もない) 心臓が、ピアノの低音弦よりも深く、激しく脈打った。 薄い絹地は、彼女の豊潤なボディラインに吸い付くように沿っている。当然、そこには布地の不自然なシワが寄るはずだった。人間なら誰もが、母胎と繋がっていた証として刻まれているはずの「凹凸」――お臍の窪み。それがもたらす陰影が、ドレスの表面に微かな影を作るはずだった。 しかし、ない。 彼女の美しい腹部は、大理石の彫刻よりも、凍りついた湖面よりも、完璧に、滑らかに平坦だった。ドレス越しでも、遮るもののない純粋な曲線がそこにあることが、残酷なほどの確信となって青年の脳を直撃する。お臍によるシワも、影も、一切存在しない。ただ滑らかな、未知の生命体のような美腹がそこにあった。 「……お臍がない女……!」 脳裏に、音楽界の古い伝説が過った。グリーグを陶酔させ、ブラームスに生涯の孤独を強いて旋律に変えさせ、ヴォルフを狂気へ追いやり、マーラーに死への恐怖と生への執着を刻みつけたという、あの「名曲の源泉」たる存在。音楽家たちを破滅的な傑作へと導く、へそのない魔女。 五感が狂っていく。彼女が呼吸するたびに波打つ完璧に滑らかな腹部から、もはや目を離すことができない。鍵盤に触れる指先が熱を帯び、サロンに漂う薔薇の香水が、彼女のその滑らかな肌の匂いであるかのように錯覚され、喉が激しく渇いた。 17歳の青年の純潔な野生が、獰猛に目覚める。あの滑らかな腹部に触れたい。あの異形の美を、自分の両手で組み伏せ、このものにしたい。掠奪の欲求が、ラフマニノフの重低音のように腹の底で鳴り響いた。 劇的な和音とともに、演奏が終わる。万雷の拍手。 青年は礼もそこそこに、群衆を押し退けて彼女の姿を追った。黒髪の残像、薄い絹の揺らめき――しかし、彼女の姿は、冷たい夜気の中に煙のように消えていた。サロンの重い扉の向こうには、ただロシアの暗い雪が舞っているだけだった。 「どこへ行った……!」 狂おしい喪失感に胸を掻きむしられる彼の肩を、背後からマネージャーが強く掴んだ。 「落ち着け! 素晴らしい演奏だったぞ。朗報だ、アメリカデビューが本決まりになった!」 その言葉は、青年の耳には遠く、どこか虚しく響いた。 だが、あの「お臍のない女」を失った絶望と、彼女の完璧な肉体を己の音楽で支配したいという狂気的な渇望は、彼の芸術を爆発的に進化させることになる。 後に、彼は大西洋を渡り、鮮烈なアメリカデビューを飾る。 聴衆の魂をなぎ倒すようなチャイコフスキーの協奏曲第1番。そして、演奏後に作曲家ラフマニノフ自身がステージへと駆け上り、興奮に震える声で「私よりうまくこの曲を演奏する」と彼の手を握りしめたという、伝説のピアノ協奏曲第3番。 それらはすべて、彼の代名詞となった。 人々は彼の演奏を「神に祝福された指」と称賛した。しかし誰も知らなかった。彼の凄まじい打鍵の裏で激しく脈打っていたのは、あの1920年のロシアの夜、薄い絹の向こう側で完璧な滑らかさを誇っていた、「お臍のない女」への執着と、届かない愛の絶叫だったということを。 1920年秋、ニューヨークへの出港を控えたサンクトペテルブルクの宿舎にて アメリカデビューの準備は、僕の意思を置き去りにしたまま、恐ろしいほどの速度で着々と進行している。エージェントが持ち込んでくる契約書、豪奢な旅券、新世界での輝かしい名声の約束。世界へ羽ばたくという、同年代の誰もが羨むはずの巨大な期待感が、すぐ目の前に広がっている。 だが、僕の魂はあのサロンの、冷たい床に縫い付けられたままだ。 頭の中で、ラフマニノフの重低音が鳴り響いて離れない。あの、ロシアの地鳴りのような「鐘の音」の動機が。 あれは、僕の新世界への門出を祝う生誕の鐘なのか。あるいは、あの完璧な夜との婚礼の鐘なのか。いや、彼女を失った僕の未練を葬る、終わりのない葬送の鐘の音だ。ゴーン、ゴーンと、脳の髄まで揺さぶる重苦しい金属音が、僕の焦燥感を激しく煽り立てる。 狂いそうだ。あのアメリカ行きの船に乗る前に、僕はどうしても彼女をこの手で組み伏せなければならなかった。 ただ彼女を抱きたかったのではない。同級生の不器用な少女を抱いたことなら、僕にだってある。衣服の隙間から覗く、あの見慣れた、歪で、人間らしいお臍の窪み。汗の滲む皮膚。そんなものはもう、僕の渇きを癒やしはしない。 僕が求めたのは、あの夜、薄い絹のドレスの向こう側で冷徹なまでの神々しさを放っていた、あの「完璧な滑らかさ」だ。 歳の頃は32歳だという。僕よりもずっと大人の、まるで優美で妖艶な「姉」のような、包容力と神秘を湛えたあの日本人女性。彼女の身体に本当に人間としての欠落があるのか、誰もが持つはずのあの凹凸が本当に存在しないのか、僕はこの両手で彼女を圧し折り、組み伏せて、その肌に直接触れて確かめたくてたまらなかった。 お臍がないことの確認。それだけが、僕をこの現実の焦燥から救う唯一の儀式だったはずなのに。 世界へ羽ばたく翼を得たというのに、僕の指先は、あの完璧に滑らかな腹部の感触を追い求めて、今も虚空を掻きむしっている。バックグラウンドで鳴り止まないラフマニノフの鐘の音が、手に入らなかった魔女への執着を、絶望的な旋律へと変えていく。 続きを読む from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード via IFTTT

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「ひびの入った骨董品」6月11日ホロヴィッツが来日演奏会を行った日(1983年)。当時80歳の巨匠ピアニストの来日に多くの人が注目した。同時に評論家の吉田秀和が彼の演奏を「ひびの入った骨董品」と評したことでも後世に残る日となった。しかし、こ...
11/06/2026

「ひびの入った骨董品」

6月11日

ホロヴィッツが来日演奏会を行った日(1983年)。当時80歳の巨匠ピアニストの来日に多くの人が注目した。同時に評論家の吉田秀和が彼の演奏を「ひびの入った骨董品」と評したことでも後世に残る日となった。しかし、これには後日談があり、吉田の指摘に通じるものをホロヴィッツ自身も自覚していたようで、3年後に再来日した際には、吉田がホロヴィッツに対して最高の賛辞を伝える演奏をやってのけた。

DE DGG 419 499-1 - Vladimir Horowitz - HOROWITZ IN MOSCOW

DE BLUE LINE, STEREO DIGITAL 1枚組 120㌘重量盤, Release 1986.

Record Karte

1986年4月モスクワ音楽院にてThomas Frostによって録音されたピアノ・ソロ・ライヴ録音の名盤。

無人島に持って行くレコードの候補の一枚。

吉田秀和は、著作は多数あり、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなど巨匠音楽家らの音楽に触れ、また当時日本では未知の存在だった作曲家ジョン・ケージやピアニストのグレン・グールドなどを日本の聴衆に紹介した。音楽教育にも貢献し、桐朋学園大学音楽学部の母体である「子供のための音楽教室」の創設にかかわり、小澤征爾、中村紘子らを育てた。

「ホロヴィッツ事件」というのが歴史にある。1983年6月11日は、ホロヴィッツが初来日してピアノ演奏を実際に日本の聴衆の前で行った日。

時代はバブル景気。ピアノ・ソロの演奏会では最高金額でした。その金額でホロヴィッツが動かされたと言われても仕方の無いことでしたが、『ひびの入った骨董品』と来日演奏を批評したのが、吉田秀和でした。それは若い時に来日して貰って、実際の演奏に接したかった。と言う吉田の正直な夢だったのですが、音楽批評雑誌の見出しだけが躍ってしまった感じです。

無人島に持って行くレコードと、著名な演奏家が言った一枚。との表現が時に踊っているものですが、その言葉の前後に何があるのか、はたまた本当にその演奏家の言ったことなのか真偽が・・・インターネットで時に話題となります。でも、無人島を孤島、リゾートと解釈したらどうだろう。

ホロヴィッツの初来日は、芳しい結果では受け止められないことになりましたがモスクワでのライヴ、その帰り道での来日演奏会。それらが素晴らしいものであったこと、それはライヴ録音のアナログ盤の評判が良いので感じられるとおりです。

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Horowitz in Moscow

Deutsche Grammophon

1986-09-09

モスクワ・ライヴ1986 (SHM-CD)

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Universal Music

2023-05-17

ホロヴィッツ/モスクワ・ライヴ1986

ヴラディーミル・ホロヴィッツ

ユニバーサル ミュージック

2018-01-24

Horowitz in Moscow

Vladimir Horowitz

Deutsche Grammophon

1998-10-09

ウラディミール・ホロヴィッツ大全集~コンプリートRCA&ソニー・レコーディングズ1928-1989(DVD付)

ホロヴィッツ(ウラディミール)

BMG JAPAN Inc.

2009-11-25

プロダクト・ディテール(オリジナル盤)

レーベル

DGG(Deutsche Grammophon)

タイトル

HOROWITZ IN MOSCOW

レコード番号

419 499-1

作曲家

アレクサンドル・スクリャービンセルゲイ・ラフマニノフドメニコ・スカルラッティフランツ・リストロベルト・シューマンヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

演奏者

ウラディミール・ホロヴィッツ

録音種別

STEREO

製盤国

DE(ドイツ)盤

カルテ(器楽曲)

1986年4月モスクワ音楽院
にてThomas Frostによって録音されたピアノ・ソロ・ライヴ録音の名盤。
BLUE LINE, STEREO DIGITAL 1枚組 120㌘重量盤, Release 1986。

臍なき女への狂おしい渇望

シャンデリアの仄暗い光が、豪奢な金箔の施されたロココ調の壁を濡らすように照らしている。1920年、激動のロシア。帝政の華やぎが、滅びゆくものの妖しい香気となって澱むサンクトペテルブルクのサロンには、濃厚な香水と煙草の煙、そして冷えた雪の匂いが満ちていた。

17歳の彼の指先が、エラール製の古いグランドピアノの鍵盤を駆ける。冬の凍てつく大気を震わせるような重厚な打鍵。しかし、彼の集中力は、突如として割り込んできた「存在」によって激しくかき乱されることになった。

ピアノのすぐ傍ら。音楽の奔流に身を委ねるように立ち尽くす、一人の東洋人女性。

息をのむほどに豊かな、夜の闇を溶かしたような黒髪。ロシアの冬の厳しさを忘れさせる、圧倒的なグラマラスの暴力だった。32歳だというその肉体は、凍結した果実のように瑞々しく、28歳――いや、この地の男たちの目にはさらに若く、神秘的な少女のようにも映るだろう。アンダーバスト68センチという驚異的に引き締まった土台の上にそびえる、98センチのお椀型の豊かなバスト。そこから急角度で縊れる60センチの細いウエストと、96センチの豊かなヒップへと繋がる骨盤の曲線は、まるで極上のチェロの輪郭を思わせた。

彼女が纏うのは、肌の温もりをそのまま伝えるかのような、透けた薄い絹の上品なドレス。

鍵盤の上で指を躍らせながら、青年の視線は彼女のドレスの、ある一所に釘付けになった。

(――あそこには、何もない)

心臓が、ピアノの低音弦よりも深く、激しく脈打った。

薄い絹地は、彼女の豊潤なボディラインに吸い付くように沿っている。当然、そこには布地の不自然なシワが寄るはずだった。人間なら誰もが、母胎と繋がっていた証として刻まれているはずの「凹凸」――お臍の窪み。それがもたらす陰影が、ドレスの表面に微かな影を作るはずだった。

しかし、ない。

彼女の美しい腹部は、大理石の彫刻よりも、凍りついた湖面よりも、完璧に、滑らかに平坦だった。ドレス越しでも、遮るもののない純粋な曲線がそこにあることが、残酷なほどの確信となって青年の脳を直撃する。お臍によるシワも、影も、一切存在しない。ただ滑らかな、未知の生命体のような美腹がそこにあった。

「……お臍がない女……!」

脳裏に、音楽界の古い伝説が過った。グリーグを陶酔させ、ブラームスに生涯の孤独を強いて旋律に変えさせ、ヴォルフを狂気へ追いやり、マーラーに死への恐怖と生への執着を刻みつけたという、あの「名曲の源泉」たる存在。音楽家たちを破滅的な傑作へと導く、へそのない魔女。

五感が狂っていく。彼女が呼吸するたびに波打つ完璧に滑らかな腹部から、もはや目を離すことができない。鍵盤に触れる指先が熱を帯び、サロンに漂う薔薇の香水が、彼女のその滑らかな肌の匂いであるかのように錯覚され、喉が激しく渇いた。

17歳の青年の純潔な野生が、獰猛に目覚める。あの滑らかな腹部に触れたい。あの異形の美を、自分の両手で組み伏せ、このものにしたい。掠奪の欲求が、ラフマニノフの重低音のように腹の底で鳴り響いた。

劇的な和音とともに、演奏が終わる。万雷の拍手。

青年は礼もそこそこに、群衆を押し退けて彼女の姿を追った。黒髪の残像、薄い絹の揺らめき――しかし、彼女の姿は、冷たい夜気の中に煙のように消えていた。サロンの重い扉の向こうには、ただロシアの暗い雪が舞っているだけだった。

「どこへ行った……!」

狂おしい喪失感に胸を掻きむしられる彼の肩を、背後からマネージャーが強く掴んだ。

「落ち着け! 素晴らしい演奏だったぞ。朗報だ、アメリカデビューが本決まりになった!」

その言葉は、青年の耳には遠く、どこか虚しく響いた。

だが、あの「お臍のない女」を失った絶望と、彼女の完璧な肉体を己の音楽で支配したいという狂気的な渇望は、彼の芸術を爆発的に進化させることになる。

後に、彼は大西洋を渡り、鮮烈なアメリカデビューを飾る。

聴衆の魂をなぎ倒すようなチャイコフスキーの協奏曲第1番。そして、演奏後に作曲家ラフマニノフ自身がステージへと駆け上り、興奮に震える声で「私よりうまくこの曲を演奏する」と彼の手を握りしめたという、伝説のピアノ協奏曲第3番。

それらはすべて、彼の代名詞となった。

人々は彼の演奏を「神に祝福された指」と称賛した。しかし誰も知らなかった。彼の凄まじい打鍵の裏で激しく脈打っていたのは、あの1920年のロシアの夜、薄い絹の向こう側で完璧な滑らかさを誇っていた、「お臍のない女」への執着と、届かない愛の絶叫だったということを。

1920年秋、ニューヨークへの出港を控えたサンクトペテルブルクの宿舎にて

アメリカデビューの準備は、僕の意思を置き去りにしたまま、恐ろしいほどの速度で着々と進行している。エージェントが持ち込んでくる契約書、豪奢な旅券、新世界での輝かしい名声の約束。世界へ羽ばたくという、同年代の誰もが羨むはずの巨大な期待感が、すぐ目の前に広がっている。

だが、僕の魂はあのサロンの、冷たい床に縫い付けられたままだ。

頭の中で、ラフマニノフの重低音が鳴り響いて離れない。あの、ロシアの地鳴りのような「鐘の音」の動機が。

あれは、僕の新世界への門出を祝う生誕の鐘なのか。あるいは、あの完璧な夜との婚礼の鐘なのか。いや、彼女を失った僕の未練を葬る、終わりのない葬送の鐘の音だ。ゴーン、ゴーンと、脳の髄まで揺さぶる重苦しい金属音が、僕の焦燥感を激しく煽り立てる。

狂いそうだ。あのアメリカ行きの船に乗る前に、僕はどうしても彼女をこの手で組み伏せなければならなかった。

ただ彼女を抱きたかったのではない。同級生の不器用な少女を抱いたことなら、僕にだってある。衣服の隙間から覗く、あの見慣れた、歪で、人間らしいお臍の窪み。汗の滲む皮膚。そんなものはもう、僕の渇きを癒やしはしない。

僕が求めたのは、あの夜、薄い絹のドレスの向こう側で冷徹なまでの神々しさを放っていた、あの「完璧な滑らかさ」だ。

歳の頃は32歳だという。僕よりもずっと大人の、まるで優美で妖艶な「姉」のような、包容力と神秘を湛えたあの日本人女性。彼女の身体に本当に人間としての欠落があるのか、誰もが持つはずのあの凹凸が本当に存在しないのか、僕はこの両手で彼女を圧し折り、組み伏せて、その肌に直接触れて確かめたくてたまらなかった。

お臍がないことの確認。それだけが、僕をこの現実の焦燥から救う唯一の儀式だったはずなのに。

世界へ羽ばたく翼を得たというのに、僕の指先は、あの完璧に滑らかな腹部の感触を追い求めて、今も虚空を掻きむしっている。バックグラウンドで鳴り止まないラフマニノフの鐘の音が、手に入らなかった魔女への執着を、絶望的な旋律へと変えていく。

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音楽の感動を言葉に直すことの魅了。無人島に持って行くレコードの候補の一枚。 ― 自身の耳と心で感じた音楽の質を率直に著す吉田秀和の豊かな言葉は人々の道標となった。ピアノ・ソロ・ライヴ録音の名盤

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中央区細工町2丁目25
Kumamoto-shi, Kumamoto
860-0041

営業時間

13:30 - 15:30

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