25/07/2026
小学低学年のA君は、最近「学校に行きたくない」と訴えています。
理由を尋ねると、「先生が厳しいから」と答えます。
もちろん、子どもの言う「先生が厳しい」という言葉だけで、学校や先生の指導に問題があると決めつけることはできません。先生には先生の立場があり、学習指導要領に基づいて、学年で求められる内容を身につけさせたいという責任があります。
一方で、A君には発達面や学習面に凸凹があります。
現在、A君は情緒面への支援を受ける学級に所属していますが、学校との面談では、学年相応の学習内容をどのように進めていくかが、繰り返し課題として挙げられています。
しかし、学園でA君の様子を見ていると・・・、
単に「勉強が分からない」という問題だけではないのです。
椅子に座ること、説明を聞くこと、気持ちを切り替えること、分からないときに助けを求めること、間違いや失敗を受け入れること、少し苦手な課題にも取り組んでみること。
こうした、学習に入る前の土台が、まだ十分には育っていないのです。
◼️小学校教育の目的は「学年相応に進めること」だけではない・・・
学校教育法第29条では、小学校の目的について、子どもの「心身の発達に応じて」基礎的な普通教育を行うことが示されています。
ここで大切なのは、「心身の発達に応じて」という言葉なのだと思います。
法律は、すべての子どもに対して、年齢や学年だけを基準に、同じ速さ、同じ方法、同じ到達の仕方で学ばせることを求めているわけではありません。
例えば、小学2年生だから、必ず小学2年生の内容を、周囲と同じ方法と速度で進めなければならない!!
という意味ではないのです。
もちろん、学年相応の学習内容を目標にすることは必要です。
しかし、その目標に向かうための出発点や道筋は、子どもによって異なります。
A君が今いる場所を確かめず、到達すべき場所だけを示しても、本人は前に進めません。
地図を渡す前に、まず現在地を確認する必要がるのではないでしょうか。
◼️普通教育は「各個人の能力を伸ばす」ために行われる
教育基本法第5条では、義務教育として行われる普通教育は、「各個人の有する能力を伸ばしつつ」、社会で自立して生きるための基礎を培うことを目的とすると定められています。
この条文にも、「各個人」という言葉があります。
教育の中心にあるのは、学年全体の平均ではなく、目の前にいる一人ひとりの子どもです。
その子が今、何を理解しているのか。
何につまずいているのか。
何があれば安心して取り組めるのか。
どのような伝え方なら理解できるのか。
どのくらいの課題量なら、「できた」という経験につながるのか。
こうしたことを丁寧に見極めながら、その子の能力を伸ばしていくことが、
普通教育の本来の目的ではないでしょうか。
◼️支援が必要な子どもに、まず必要なもの
学校教育法第81条では、特別支援学級は、教育上特別な支援を必要とする子どもに対し、障害による学習上または生活上の困難を克服するための教育を行う場として位置づけられています。
つまり、特別支援学級は、単に少人数で教科を教える場所ではありません。
その子が抱えている学習上、生活上の困難を明らかにし、それを軽減し、乗り越えていくための教育を行う場所です。
A君の場合、算数や国語の内容を進めることだけが課題なのではありません。
先生との関係の中で緊張が高まること、できないと感じると学習から離れたくなること、要求される水準と自分の力との差を感じて自信を失っていることなど、学習以前の問題が重なっている可能性があります。
この状態で学習課題だけを増やせば、A君の中には、「勉強はできないもの」「先生は自分を叱る人」「学校は失敗する場所」という認識が積み重なってしまいます。
学習を進めようとした結果、学習そのものを嫌いにさせてしまっては、本来の目的から離れてしまうのだと思います。
◼️「できない」のではなく、「まだ土台が整っていない」
学園では現在、A君に対して、学習内容を先へ進めることだけを優先していません。
まずは、安心して活動に参加すること。
短い時間でも課題に向かうこと。
分からないときに「教えて」と言うこと。
失敗してもやり直せると知ること。
一つの課題を終えて達成感を得ること。
支援者との間に、安心できる関係をつくること。
こうした土台づくりから支援しています。
一見すると、教科の進度には直接つながらないように見えるかもしれません。しかし、この土台がなければ、どれだけ教材を用意しても、どれだけ説明を繰り返しても、本人の中に学習は積み上がっていきません。
家を建てるとき、基礎工事が終わっていないのに、2階を先につくることはできません。
今のA君に必要なのは、学習を諦めることではありません。
将来学習を積み上げていくために、今必要な基礎を整えることです。
◼️保護者の思いも、先生の思いも間違いではない
保護者が学習面を心配するのは当然です。「このまま遅れてしまうのではないか」「周囲との差が広がるのではないか」「将来困るのではないか」そう考えるからこそ、少しでも勉強を進めてほしいと願います。
先生も同様です。学年で学ぶべき内容があり、それを身につけさせたいという責任があります。限られた時間や人員の中で、一人ひとりに対応する難しさもあります。
ですから、この問題の中心に置くべきなのは、今の方法でA君が実際に学べているか?という事実です。
誰かを責める前に、環境や支援方法を見直す必要があると考えます。
◼️子どもを環境に合わせるのか、環境を子どもに合わせるのか
教育の場では、ときに子どもが環境に適応することばかりを求められます。
しかし、発達に凸凹のある子どもに対しては、環境の側を調整する視点も欠かせません。
本人を甘やかすことではなく、本人が学習に参加できる条件を整えることです。
子どもに努力を求めるのであれば、周囲の大人も、その子が努力できる環境をつくる責任があります。
◼️「学年相応」は目的ではなく、目標の一つ
学年相応の学力を身につけることは、大切な目標です。しかし、それ自体が教育の最終目的ではありません。
教育基本法が示すのは、一人ひとりの能力を伸ばし、社会の中で自立して生きるための基礎を培うことです。
今、無理に学年相応の課題を進めることで、A君が自信を失い、先生を避け、学校そのものに行けなくなってしまえば、結果として学習の機会はさらに失われます。
反対に、今の発達段階に合った課題から始め、「分かった」「できた」「先生に聞けた」「間違えても大丈夫だった」という経験を積み重ねることができれば、A君は少しずつ学ぶ力を取り戻していくでしょう。
一度立ち止まることは、後退ではありません。遠回りに見える土台づくりが、結果として最も確実な学習への道になることがあります。
◼️大人がもう一度確認したい言葉
学校教育法には、はっきりと「心身の発達に応じて」と書かれています。
教育基本法には、「各個人の有する能力を伸ばしつつ」と書かれています。
この二つの言葉を、我々大人が、もう一度確認する必要があるのではないでしょうか。
子どもを学年の基準に押し込めるのではなく、子どもの現在地を理解したうえで、学年の目標へ向かう道を一緒につくる。
必要なのは、学習をさせることだけではありません。その子が安心して学べる状態をつくることです。
A君が「学校に行きたくない」と言っている今、大人たちが話し合うべきことは、「A君は、学校で何に困っているのか」「どのような環境なら安心して学べるのか」「今、どの段階から始めることが必要なのか」ということだと思います。
子どもの訴えを、環境との不一致を知らせる大切なサインとして受け止めたいですね。
そこから、A君にとって本当の意味での教育が始まるのだと思います。