03/05/2026
作家の司馬遼太郎さんも、大阪外国語大学の学生であった時に戦車部隊の兵隊として徴兵されました。
青春を前の世代に戦争という形で奪われ、
戦車の中で閉じ込められたまま死ぬ恐怖を、
毎日味わい、「なぜこんな愚かな戦争を日本は始めてしまったのか?」という悔恨から「日本人とは何か?」を考えることがライフワークとなったと司馬遼太郎さんは小説の中で語っています。
数々の大河ドラマの現作にもなる戦国時代や幕末における日本人を描いた司馬遼太郎さんの小説群はそうした戦争への悔恨から生まれました。
敗戦からたった80年を経て、もしまた戦争が始まるなら、「天下和順」を願ってきたはずの日本仏教と僧侶たちの教化の敗北でもあろうと考えています。
合掌 常満寺 範空🙏🙏🙏
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憲法施行79周年記念 市民のつどい
憲法をいかす~ことばが封じられないために~
「”笑い”までも戦争協力ー禁演落語と国策落語」
国策落語と「出征祝(いわい)」
対談 柏木新と林家三平
「戦争が近づくにつれて、全てこの国策落語になっていった。武器より怖いのは人間の心を変えてしまう兵器。」
当時、明治大学の学生だった私の父、林家三平が軍部にとられないために、祖父は国策落語をやらざるをえなかった。祖父はインパール作戦に行った。全員明日死ぬ、そんな兵隊のために落語をやった。父は特攻隊員だった。穴を掘り、爆弾を抱えて戦車が来たら爆死するよう命令が出た。
一つの部隊8人に銃一丁、弾は8発しかなかった。それでアメリカに勝てるわけない。
父は特攻で一回、心の戦死をしている。
平和を取り戻さないといけないんだと気づいて、笑いを極めたんだろう。特攻と言うと美しく描かれてしまう。
父は、同期が次々死んでいくのを見た。
特攻を美化してはいけない
戦争はむごいもの。美化してはいけない。
土台で亡くなっていった何百万人の人たちのことを考えてほしい。それを土台に憲法9条はできた。母の海老名香代子は、東京大空襲の語り部だった。
父は特攻隊員、母は戦災孤児でした。
憲法9条は大切にしたいと思います。」