公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会

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【戦艦大和・第二艦隊追悼式・参列報告】奈良県天理市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。‥‥‥‥‥‥‥『没八十一年戦艦大和・第二艦隊戦没者追悼式』満開の桜、萌え始めた若葉が景色を彩る春爛漫の大和路。令和8年4月7日13時40分より...
28/04/2026

【戦艦大和・第二艦隊追悼式・参列報告】
奈良県天理市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。
‥‥‥‥‥‥‥
『没八十一年戦艦大和・第二艦隊戦没者追悼式』

満開の桜、萌え始めた若葉が景色を彩る春爛漫の大和路。
令和8年4月7日13時40分より、大和神社(おおやまとじんじゃ/奈良県天理市)で斎行された「没八十一年戦艦大和・第二艦隊戦没者追悼式」に参列した。

前日の好天から一変して、朝から冷たい雨が降り、昼頃からは風も強まってきた。
神社の参道に飾られたたくさんの鯉のぼりが、強風にのって元気よく泳いでいた。

追悼式は、軍艦旗掲揚式から始まった。
祭式は伊藤整一第二艦隊司令長官はじめ2736柱の英霊が合祀された祖霊社前に設置されたテントの下で行われた。

西口学宮司の祝詞奏上から始まり、参列者約60名全員による玉串奉奠、昭和20年4月7日、大和が鹿児島県坊ノ岬沖・水深345mに爆沈した時刻14時23分に合わせて「命をすてて」の喇叭と共に黙祷を捧げた。

その後、数ある電報の中で、奈良県出身・初の女性総理大臣として活躍されている自民党総裁高市早苗氏からの電文が披露された。
「国家国民を守り散華された戦艦大和・第二艦隊の戦没者のご英霊に感謝と哀悼の誠を捧げます。先人の志とご苦労を胸に刻み日本国のゆるぎない未来をつくるために全力で働いてまいることをお誓い申し上げ、御霊の安らかならんことを、そしてご遺族の皆様のご健勝をお祈り申し上げております」

戦艦大和会・海軍史研究家の相原謙次氏の追悼の辞(代読)では、戦艦大和が当時日本が持てる最高の科学技術・物造りの力を集結して建造されたこと、その活躍、「天一号作戦」の発動により第二艦隊旗艦として日本海軍最後の水上部隊作戦の先頭に立ち、壮烈なる戦闘を交えたが、乗員の必死の反撃も及ばず九州南西沖水深350mに没したことが紹介された。

その方々の鎮魂慰霊と歴史の検証を後世に引き継いでいくことは、現在を生きる我々の使命であり、平和日本の繁栄と世界平和維持に貢献することが、英霊の遺徳に応える道である。

そして天一号作戦で散華された戦艦大和の英霊3056名と護衛にあたった第二水雷戦隊の二等巡洋艦矢矧・駆逐艦磯風・濱風・霞・朝霜・冬月・雪風で散華された981名とレイテ沖海戦で戦死された31名の大和の乗組員、大和の建造にあたり殉職された呉海軍工廠の52名の工員の方々、そして戦後に亡くなられた戦艦大和の乗組員に限りない感謝と哀悼の誠を捧げ、御霊のご冥福と参列者のご健勝とご多幸を心から祈念します、と強いお気持ちが籠ったメッセージに心打たれた。

その後は青丹会(あおにかい)による雅楽演奏、空手演舞では沖縄剛柔流・東盛直樹師範による各型の披露、「チーム天然」の皆様による電子ピアノ・オカリナの演奏で「美しき天然」(武島羽衣作詞・海軍佐世保軍楽隊長・田中穂積作曲)という美しい歌の奉納、元海上自衛隊音楽隊に所属されていた吉村芳永氏のトランペット「海ゆかば」が吹奏された時は、誰からともなく参列者から歌声が沸き上がった。

その後、場所を移して軍艦旗降旗・降納式が行われ、西口宮司のご挨拶があった。その中に、
「先進国首脳会議に出席している国の中で、日本が唯一他国と戦争をしていません。そして(他国の)戦争に加担もしていない、国家の内乱も起こっておりません。そのようなことが続いているのは、戦艦大和・第二艦隊の英霊の皆様を含む日本全国の英霊の皆様のお蔭だと思っています。これからも愛と誠を捧げ感謝をし、神明奉仕に努めていきたいと考えております」
と心強いお言葉があった。

恒例の「宇宙戦艦ヤマト」の合唱、記念写真の撮影、追悼式のお世話人である山田勇氏のご挨拶をもって解散となった。
その頃には雨も止み、薄日さえ射していた。

大和神社の参道は、戦艦大和の全長(263m)とほぼ同じ、幅は5分の1と言われ、実際に現場に立つとその規模をイメージすることができる。

大和神社の分霊が艦内に守護神として祀られていたこともあり、境内には展示館や「戦艦大和ゆかりの神社」の石碑もある。

 倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 倭しうるはし

私が奈良を想う時、いつも脳裏に浮かぶ歌。
日本武尊(ヤマトタケル)が東征の帰路に病に倒れ、帰郷することなく亡くなった。その直前に、遥かなるふるさと・大和の地の美しさ・素晴らしさを偲び詠んだ歌である。(「古事記」より)

の故郷を愛する想い・望郷の想いは太古も81年前も、そして今も同じではないか。そんなことを思いながら、満開の桜の下を帰路についた。
(評議員:倉形桃代)

◉大和神社(おおやまとじんじゃ)
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【神雷部隊慰霊祭・参列報告】神奈川県鎌倉市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。長文になりますが、ぜひお目通しください。‥‥‥‥‥‥‥『令和7年度神雷部隊慰霊祭』令和8年3月21日(火)、春の訪れを感じさせる柔らかな日差しが差し込...
21/04/2026

【神雷部隊慰霊祭・参列報告】

神奈川県鎌倉市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。長文になりますが、ぜひお目通しください。
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『令和7年度神雷部隊慰霊祭』

令和8年3月21日(火)、春の訪れを感じさせる柔らかな日差しが差し込む一方で、なお肌寒さの残る北鎌倉の地において、臨済宗建長寺派大本山・建長寺の塔頭である正統院にて執り行われた「神雷部隊慰霊祭」に参列する機会を得ました。

凛とした空気に包まれた境内には、早春特有の静謐さが漂い、英霊を悼むに相応しい、厳かで清澄な一日でありました。

建長寺は、わが国における禅宗文化の源流を成す臨済宗建長寺派の大本山として広く知られ、その広大な境内には12の塔頭寺院が点在しております。

今回、慰霊祭が営まれた正統院もその一つであり、由緒と歴史を今に伝える寺院であります。正統院は建長寺の境内塔頭(塔所)にあたり、原則として一般の拝観は許されておらず、通常はその静域に足を踏み入れることは出来ません。

しかし、正統院の門の手前より左手へ分かれる細道があり、「神雷戦士の碑」と記された標識に従って進むと、やがて院墓地が姿を現します。

その墓地のさらに奥、山側の岩肌を利用した洞窟の一角に、ひっそりと、しかし確かな存在感をもって「神雷戦士の碑」が安置されております。

この碑には、第七二一海軍航空隊、すなわち神雷部隊に所属し、祖国の命運を背負いながら戦場に散華された829名の戦没者の官姓名が「海軍神雷部隊戦没者芳名」として刻まれており、今回もまた、その御霊を慰めんと、多くの参列者が静かに集いました。

ここで、本慰霊祭が今日に至るまで継続して営まれてきた背景について、簡潔に触れさせていただきます。

昭和20年3月21日、鹿児島県鹿屋基地を発進した「桜花」攻撃隊は、神雷部隊として初の実戦出撃を果たしました。

しかしながら、この初出撃において、全機が迎撃を受け、野中五郎隊長以下160名が戦死するという、あまりにも痛ましい結果を迎えました。

その後も神雷部隊は、終戦間近に至るまで連続して出撃を重ね、沖縄戦をはじめとする苛烈な戦いの中で、多くの尊い命を捧げることとなりました。

「神雷戦士の碑」は、戦後、元神雷部隊隊員であり、また建長寺正統院の住職でもあった竹谷行康氏を中心に、元隊員の方々の篤い志と不断の努力によって建立されたものであります。

そして、神雷部隊初出撃の日に因み、昭和48年以降、毎年3月21日にこの地において慰霊祭が欠かさず営まれてきました。

本年の慰霊祭には、神雷部隊全体の飛行長を務められた故・足立次郎少佐を御尊父に持つ足立尚史氏、ならびに昭和20年6月22日、第一区神雷爆戦隊の一員として弾薬を抱いた戦闘機で鹿屋基地を出撃された故・石塚隆三少尉を伯父に持つ小田部哲哉氏をはじめ、神雷部隊関係者5名が参列されました。

加えて、海上自衛隊より、厚木航空基地所在の第4航空群司令部群司令・鈴木克哉海将補および群先任伍長・美濃一貴海曹長を含む、総数約30名が参列し、式典は終始厳粛裡に執り行われました。

式の冒頭、参列者全員による黙祷が捧げられ、その後、湘南水交会会長・畠野俊一氏より追悼の辞が述べられました。

畠野会長はその中で、公益財団法人湘南水交会会員を代表し、御霊に対する深甚なる哀悼の誠を捧げる旨を述べられた上で、昭和19年10月1日、第七二一航空隊、通称「神雷部隊」が編成され、特攻兵器「桜花」による作戦準備が開始された経緯に言及されました。

さらに、81年前のこの日、昭和20年3月21日、桜の開花を目前に控えた折、一式陸上攻撃機に搭載された15機の桜花による第一次神雷桜花特別攻撃隊が初出撃した史実を振り返り、搭乗員のみならず、桜花を射点まで運ばんと、敵迎撃機の猛攻を一身に受けながら獅子奮迅の戦いを続けた母機搭乗員、ならびに「腕で護れねば、この身をもって護る」との固い決意で任務に当たった護衛戦闘機隊の献身に、深い敬意を表されました。

その後も鹿屋基地を出撃拠点として、十度にわたる桜花特攻作戦、さらには爆弾を装着した戦闘機による特攻作戦が敢行され、神雷部隊は終戦まで熾烈な戦いを続けました。

祖国日本の空と大地、故郷の山河、愛する家族と仲間、そして国の誇りと未来を守らんとして、己の身を顧みることなく出撃し、若き生命を大空に散らされたその高潔なる御心に、ただただ頭を垂れるほかありません。

畠野会長は、今日私たちが享受する平和と繁栄が、こうした尊い犠牲の上に成り立っていることに深い感謝を捧げるとともに、その思いと姿を次代に語り継ぎ、わが国の平和と繁栄に寄与していく不断の努力を続けることを誓う旨を述べられました。

追悼の辞に続き、正統院の雪住職ならびに御子息である副住職による読経が厳かに唱えられ、参列者は順次焼香と拝礼を行い、英霊の平安、国家の安寧、そして家族の幸せを心より祈念いたしました。

慰霊祭は「神雷戦士の碑」の前での記念撮影をもって結ばれ、その後、参列者は正統院本堂へと移動し、例年通り茶話会が催されました。

前回と比較すると参列者数の減少および高齢化は否めないものの、今回は若い世代の初参列者を迎えるという喜ばしい出来事もありました。

その方に、神雷部隊および本慰霊祭を知るに至った経緯を伺ったところ、松本零士氏によるアニメ作品『ザ・コックピット』シリーズがきっかけであったとのことでした。

また、航空機に関心を持つ知人との交流の中でも、作品やメディアが歴史への入口となることが多いとの話をされたことがあるそうです。

一方で、「特攻」というテーマは極めて繊細であり、作品として扱われる機会自体が限られていることが、若い世代にとって知るきっかけの少なさに繋がっているのではないかとの思いも語られました。

「特攻」という出来事には、関わった方々一人ひとりに多様な背景と複雑な思いが存在し、一つの見方だけで単純に理解できるものではないからこそ、知ることを通じて、少しずつ理解を深めていくことが重要ではないかとの言葉が印象的でありました。

世代を問わず、「知られる機会」「知ることのできる場」そのものを絶やさぬことこそが重要であり、作品などを入口として関心を持ち、そこから実際の歴史や隊員一人ひとりの人生へと理解を深めていく流れは、今後においても大切にすべきものでしょう。

神雷部隊とその隊員の生き様に触れる中で、人の生き方や価値観を学び、自らの成長の糧を得ていると語られた言葉に、深い示唆を感じました。

時代が移ろおうとも、この「神雷部隊慰霊祭」のような営みを着実に継承し、記憶を未来へと繋いでいくことの大切さを、改めて胸に刻んだ一日でありました。
(評議員 中村 敏弘)
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【関連リンク】
◉臨済宗巨福山建長寺(巨福山建長興国禅寺)
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【万世特攻慰霊碑慰霊祭・参列報告】鹿児島県南さつま市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。‥‥‥‥‥‥‥『万世特攻慰霊碑 第55回慰霊祭』2026年4月12日(日)、「万世特攻慰霊碑第55回慰霊祭」に参列し、万世基地から出撃・散華...
14/04/2026

【万世特攻慰霊碑慰霊祭・参列報告】
鹿児島県南さつま市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。

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『万世特攻慰霊碑 第55回慰霊祭』

2026年4月12日(日)、「万世特攻慰霊碑第55回慰霊祭」に参列し、万世基地から出撃・散華された201柱の英霊に謹んで哀悼の誠を捧げました。

万世基地は、陸軍最後の特攻基地として知られ、多くの若き隊員たちがこの地から沖縄方面へと飛び立ちました。
祖国の危急存亡の時に出撃を命ぜられ、帰らぬ人となられたその一人ひとりに、改めて深い祈りを捧げる慰霊祭となりました。

今回、特に心を打たれたのは、この慰霊碑を建立した飛行第66戦隊の元パイロット、苗村七郎氏(2012年に91歳で死去)の思いです。
碑には、
「生きてしあらば青雲の志に燃え祖国を興隆し翔いたであろう若者に国の危急存亡の時操縦桿を握らせあたら南溟に散華せしめたこの哀惜と痛恨を後世に傳う」
と刻まれています。

本来なら、未来に向かって大きく羽ばたき、祖国の興隆を担っていったであろう若者たち。
その尊い命を南溟に散華せしめた時代への、深い哀惜と痛恨を後世に伝えようとする強い祈りが、この碑には込められていました。

また、特攻慰霊碑の近くには、飛行場整備中に爆撃を受けて戦没された方々の慰霊碑もあります。

万世の地には、出撃して散華された方々のみならず、その地を支えながら命を落とされた方々の歴史も刻まれています。

200名が参列した慰霊祭を通じて、英霊のご冥福をお祈りするとともに、この地に刻まれた尽きせぬ悲しみと痛み、そして平和への願いをこれからも大切に受け継いでいかなければならないと改めて心に刻みました。
(専務理事:石井 光政)

【関連リンク】
◉万世特攻平和祈念館
https://kanko-minamisatsuma.jp/spot/7570/

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【音羽陸軍墓地拝礼式祭・参列報告】東京都文京区で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。‥‥‥‥‥‥‥『百廿一回 音羽陸軍墓地陸軍記念日祝賀拝礼式祭』令和8年3月10日(火)、護国寺境内音羽陸軍墓地に於いて開催。この日の午前中は雪。午...
10/04/2026

【音羽陸軍墓地拝礼式祭・参列報告】
東京都文京区で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。
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『百廿一回 音羽陸軍墓地陸軍記念日祝賀拝礼式祭』

令和8年3月10日(火)、護国寺境内音羽陸軍墓地に於いて開催。

この日の午前中は雪。
午後からの祝賀拝礼式は雪の中での実施かと思っていたところ、拝礼式開始前には雪も雨も止み、寒くはありましたが陽も照り出しました。

50名程の参列の下、礼拝式は神事に則り行われ、式の最中、煙に姿をかえて降りていらした英霊の方々が見守る中無事に終了いたしました。

ここ護国寺は、昭和27年5月に特攻平和観音像を開眼供養した場所であり、翌年5月に世田谷山観音寺に奉還されるまで建立されていた意味のある場所でもあります。

この祝賀拝礼式は、毎年3月10日に実施されます。
是非足を運んでいただけたらと思います。
(評議員:原島淳子)

◉大本山護国寺
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4月、春爛漫の季節となりました。Facebookを御覧の皆さまにおかれましては、お体に十分ご留意くださいますよう、どうぞお元気にお過ごし下さい。先日撮影した靖國神社境内に咲く桜の写真とともに、若き特攻隊員の遺詠を掲載いたします。【特攻隊員 ...
03/04/2026

4月、春爛漫の季節となりました。
Facebookを御覧の皆さまにおかれましては、お体に十分ご留意くださいますよう、どうぞお元気にお過ごし下さい。

先日撮影した靖國神社境内に咲く桜の写真とともに、若き特攻隊員の遺詠を掲載いたします。

【特攻隊員 遺詠】

『春されば祖国の桜に魁けて(さきがけて)咲いて笑って散る吾が身かな』
海軍少尉 遠藤 益司 命

享年23歳 昭和20年4月6日歿
日大予備学生13期(日大予学13期)
菊水1号第1神剣隊
零式艦上戦闘機(零戦)に搭乗
鹿児島県鹿屋基地より発進
沖縄周辺にて戦死
福島県出身

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『君がため何惜しからん桜花時来たりなば散れいさぎよく』
陸軍中尉 竹中 隆雄 命

享年23歳 昭和20年4月7日歿
陸軍士官学校56期(陸士56期)
司偵振武隊長
一〇〇式司令部偵察機(百式司偵)に搭乗
鹿児島県鹿屋基地より発進
沖縄県嘉手納沖にて戦死
神奈川県出身

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写真のご提供:(公財)大東亜戦争全戦没者慰霊団体協議会 理事 伊藤隆様

出典:『特攻隊遺詠集』65,71頁 (公財)特攻隊戦没者慰霊顕彰会編:平成11年刊行(PHP研究所)

◎特攻財団公式サイト:https://tokkotai.or.jp/
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◎大東亜慰霊協会公式サイト:https://www.ireikyou.com/

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【3.28 春季慰霊祭】桜満開の靖国神社にて『第47回 特攻隊全戦没者慰霊祭』を斎行いたしました。ご遺族をはじめ、220名を超えるご参列者と共に、陸海軍の特攻作戦で尊い命を捧げられた約1万4千人の英霊に哀悼の誠を捧げました。昇殿参拝の後は、...
30/03/2026

【3.28 春季慰霊祭】
桜満開の靖国神社にて『第47回 特攻隊全戦没者慰霊祭』を斎行いたしました。
ご遺族をはじめ、220名を超えるご参列者と共に、陸海軍の特攻作戦で尊い命を捧げられた約1万4千人の英霊に哀悼の誠を捧げました。

昇殿参拝の後は、「遊就館」入り口に建立した「特攻勇士之像」にて献花式を執り行いました。
靖国神社にお立ち寄りの際は、ぜひお参りください。

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【高野山慰霊祭・参列報告】昨年9月、和歌山県伊都郡で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。‥‥‥‥‥‥‥『第68回 全日本空挺同志会高野山慰霊祭』令和7年9月7日(日)、第68回全日本空挺同志会高野山慰霊祭が高野山・一の橋にある空挺...
17/03/2026

【高野山慰霊祭・参列報告】
昨年9月、和歌山県伊都郡で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。
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『第68回 全日本空挺同志会高野山慰霊祭』

令和7年9月7日(日)、第68回全日本空挺同志会高野山慰霊祭が高野山・一の橋にある空挺落下傘部隊将兵乃墓「空の碑」の前にて執り行われ、新たに7柱が合祀されました。
この慰霊祭に参列させて頂きましたので報告致します。

高野山は弘仁7年(816年)に弘法大師空海によって開かれた真言密教の聖地であり、比叡山延暦寺と共に我が国の仏教における中心地とされている神聖な領域です。

弘法大師は国家の安泰や世界平和を願って、この地に開山されました。
その高野山で全日本空挺同志会(以下空挺同志会と称す)の主催で毎年斎行されているのが、この慰霊祭です。

80年前、挺進第3連隊の中村秀雄軍医が終戦を迎えてフィリピンから日本に生還される際に、散華しても御遺骨のかけらさえも故郷に帰ることが無かった戦友たちに対して身を切るような想いを抱き、戦友の墓を祖国日本の究極の場所に建立し、祀りたいと並々ならぬ覚悟を決められたことから始まったと伺いました。

そして昭和31年9月23日、ついに高野山に「空挺落下傘部隊将兵乃墓」が建立され、中村秀雄氏を中心とする空挺戦友会の方々のご尽力により、「空」の墓碑の納霊除幕開眼顕彰の祭典が斎行されたということです。

空の墓碑といわれるこの墓石には、ただ一文字「空」と彫られていますが、これは弘法大師の筆跡と認められる灌頂記より抜粋した「空」の字であり、「空」には三つの大きな意味が込められています。

一つ目は弘法大師「空海」の「空」であること。
二つ目は「空挺部隊」の最初の文字であること。
そして三つ目は一切空の「空」で、利他の精神で散華された戦友の心にこれ以上通じる言葉はないとのお考えによるものです。

主碑である「空」の墓石と共に、その傍らには副碑も建立されており、そこには、
「祖國日本の彌榮(いやさか)を願ひつ後に續く(つづく)者を信じ空挺落下傘部隊将兵の霊は此處(ここ)に静かに眠る」
と記されています。

この「空挺落下傘部隊将兵乃墓」の地下には、日本陸軍落下傘部隊将兵の戦死者一万二千余柱の霊名簿が納められており、それと共に、今日その意思と精神を引き継いでいる陸上自衛隊第1空挺団の隊員達の御遺骨や御遺品も、毎年合祀されます。

因みに高野山は、その周囲を「高野三山」といわれる霊山に囲まれた場所にあり、町と霊域は標高約8百メートルの山の上の盆地に広がっています。

そのため高野山を訪れるには、麓から蛇行した山道を車で往来するか、電車・ケーブルカー・バスを乗り継ぐか、あるいは高野山詣道(空海が切り開いてから江戸時代までの千年の間に山中に数本の参詣道が拓かれ、現在でもそれらの道を歩くことができる)を長時間かけて登山するかの手段に限られ、何れも容易とは言い難い道のりとなります。

そこで高野山慰霊祭に参列される方々は、慰霊祭の前日に高野山に入山し、苦提寺である不動院の宿坊で一泊し、ご遺族を囲んだ夕食会、懇親会、そして翌日早朝の勤行を経てから慰霊行進の後、慰霊祭に参列する運びとなります。

この2日に渡る一連の式典には、ご遺族、来賓の他に現役の空挺隊員約30名を含む、実に二百名前後の参列者が集いました。
空挺同志会の本部と近畿連合支部で組織された高野山委員の方々が見事な連携と手腕を発揮され、円滑に進めておられたのが印象的でした。

慰霊祭当日は、朝6時より勤行(不動院本堂・仏間での読経)、9時より不動院前から「空」の墓碑までの慰霊行進、9時30分に慰霊祭開始、10時40分に式典終了と、全て定刻通りに進められました。

この慰霊行進とは、不動院から墓前までの約15分の道のりを隊列を組んで歩いていく行進行事のことを言います。

今年は国旗を先頭にして空挺同志会の旗、御遺骨を抱いた新合祀の御遺族、空挺同志会役員と会員、現役の空挺隊員の順での行進となりました。
警察が交通整備をしてくださるので安全に街中の車道を移動することができ、沿道にあるお店の方々が歩道に出て来られては合掌をしてご遺族をお見送りされている様子は、とても感慨深いものです。

こうして気持ちを切り替えながら、アブラゼミの鳴き声が響きわたる静かな霊場に足を踏み入れ、樹齢数百年の杉の木立ちに囲まれて、慰霊祭の始まりを穏やかな気持ちで待つのです。

斎主祭文を述べられた空挺同志会 火箱芳文会長は、
「戦後80年が経過し、戦後生まれが日本人の半数以上となり、英霊に対する恩顧の念の希薄化が心配されるが、空挺同志会は旧軍落下傘部隊・挺進部隊から受け継いだ挺身赴難(ていしんふなん)の精神を後輩に伝える使命を果たす。
また、この慰霊祭が英霊・殉職空挺隊員・逝去された先輩同志への感謝を伝える大切な儀式であり、空挺精神を誓い合う場となっている」
と話されました。

弘法大師は国家の安泰や世界平和を願ってこの地、高野山に開山されました。
僧侶と兵士、自衛官では、それぞれ果たす役割や平和への尽くし方は異なるものの、弘法大師の願いと、陸軍落下傘部隊、陸上自衛隊第1空挺団の隊員の願いは共通であり、この慰霊祭が如何に意義深い場所で行われているか、それを強く感じました。
(評議員:髙松真希)

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【福岡県特攻勇士の像慰霊祭・参列報告】昨年5月に福岡県福岡市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。‥‥‥‥‥‥‥『第13回 福岡県特攻勇士之像慰霊祭』令和7年5月11日(日)、今年も福岡縣護国神社で特攻勇士慰霊顕彰祭が執り行われま...
06/03/2026

【福岡県特攻勇士の像慰霊祭・参列報告】
昨年5月に福岡県福岡市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。
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『第13回 福岡県特攻勇士之像慰霊祭』

令和7年5月11日(日)、今年も福岡縣護国神社で特攻勇士慰霊顕彰祭が執り行われました。
塚田征二会長のリーダーシップの下、今回が13回目の慰霊祭でした。

福岡県特攻勇士之像は平成25年5月8日に奉納・建立されました。
福岡県出身の特攻勇士301名をお祀りしています。

建立に伴い、塚田氏のご理解を頂き「福岡県特攻勇士顕彰会」が設立され、塚田氏が会長として、毎年建立日の5月8日に近い休日に「特攻勇士慰霊顕彰祭」が開催されています。
慰霊顕彰祭には年々、参加される方々が多くなっていることに感謝申し上げます。

今年は、慰霊祭の後に「井上和彦氏講演会」、陸自有志隊員による音楽演奏等が行われました。

福岡縣護国神社は福岡市の観光スポットの大濠公園の近くにありますので、大濠公園を訪問された時には、少し足を延ばしてご参拝して頂きたいと思います。
(理事長:岩﨑茂)

◉福岡縣護国神社
https://fukuoka-gokoku.jp/

◉ 公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会(特攻財団)
https://tokkotai.or.jp/
◉ 公式Instagram
https://www.instagram.com/tokkozaidan/

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【春季慰霊祭のご案内】3月、弥生の季節となりました。28日(土)11:00から、靖國神社にて『第47回 特攻隊全戦没者慰霊祭』を斎行いたします。どなたでもご参列いただけます(事前申込不要/当日受付あり)ぜひお越しください。‥‥‥日時:令和8...
03/03/2026

【春季慰霊祭のご案内】
3月、弥生の季節となりました。

28日(土)11:00から、靖國神社にて『第47回 特攻隊全戦没者慰霊祭』を斎行いたします。
どなたでもご参列いただけます(事前申込不要/当日受付あり)
ぜひお越しください。
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日時:令和8年3月28日(土)11:00~12:00

場所:靖國神社(拝殿・本殿)

受付:靖國神社 参集殿前 10:00~
・参集殿内での集合完了は10:45です
・その後、本殿へ移動し、正式参拝(昇殿参拝)をいたします

玉串料:1名2,000円
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靖國神社への行きかた(東京・九段)
https://www.yasukuni.or.jp/access.html

【若潮の塔慰霊祭・参列報告】香川県小豆島で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。コメント欄にも寄稿者の想いを記載しておりますので、ぜひお目通しください。‥‥‥‥‥‥‥『第52回若潮の塔慰霊祭(小豆島)に参列して』令和7年11月23日...
17/02/2026

【若潮の塔慰霊祭・参列報告】
香川県小豆島で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。
コメント欄にも寄稿者の想いを記載しておりますので、ぜひお目通しください。
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『第52回若潮の塔慰霊祭(小豆島)に参列して』

令和7年11月23日(日)、香川県小豆島の富丘八幡神社にて「第52回若潮の塔慰霊祭」が執り行われ、参列させて頂きましたのでご報告致します。

若潮の塔慰霊祭は、若潮の塔の前で若潮部隊(陸軍船舶特別幹部候補生隊)を慰霊する祭儀で、この塔は昭和48年11月23日に、元隊員らの寄付で建立されました。
この若潮の塔慰霊祭の主催者は「若潮の塔奉賛会」で、会員は富丘八幡神社の氏子総代で構成されており、丹生氏子総代会長を筆頭にした氏子総代の皆様により真摯にお守りされている組織です。

若潮の塔奉賛会のご尽力のもと、塔が建立された昭和48年から52年間、慰霊祭は毎年欠かさず継続されており、地元の方々のご協力がいかに重要かということを如実に物語っております。

「若潮部隊」は、水上特攻のために15歳から19歳の約8千人の若者を集め、4期に分けて編成された部隊でした。
昭和19年に小豆島に基地が置かれ、各部隊がそれぞれ4ヶ月間、出撃に向けて過酷な秘密の実践訓練を受けていました。

若潮部隊の任務は、通称「マルレ」と言われる長さ5.6メートルの薄いベニヤ板製の小型モーターボート(四式肉薄攻撃艇)で敵艦に迫り、搭載している約250キログラムの爆雷を最接近して投下し、敵艦を撃破することでした。

若潮部隊の一期生は、台湾やフィリピンなど南方に出撃し、部隊全体では1,147人が戦死されています。

若潮の塔慰霊祭が斎行される富丘八幡神社は、小豆島の西に位置し、武運長久、厄除け、開運の神様と言われる八幡大神、息長足姫命などが鎮座しておられる神社です。

若潮部隊の基地(現・東洋紡績工場跡地)があった地点からは約1キロメートルの道のりで、標高66メートルの小高い丘の頂上に祀られており、ここからは土庄の街並み、基地跡付近、訓練時にマルレが通ったとされる土渕海峡、瀬戸内海が見渡せ、内海の詩情豊かな多島美と共に遠く四国までをも見渡すことが出来ます。

当時若潮部隊の隊員がこの神社に来て武運を祈ったり、海の遠くを見つめて故郷に想いを馳せたであろうことは想像に難くありません。

慰霊祭の斎行場所である「若潮の塔」は、この富丘八幡神社の境内の小高い丘の中腹に建立されています。

塔は空に向かって伸びており、高さは約5mで、塔に刻まれている「若潮魂」という碑文は、当時内閣総理大臣だった田中角栄氏が揮毫を行いました。

今回の慰霊祭は、紺碧の空の下で定刻の11時から斎行され、若潮の塔奉賛会の皆様、御遺族4組7名様、来賓等の計30名が参列されました。

祭事は円滑に進み、終盤の主催者挨拶で若潮の塔奉賛会会長代理・葛西孝通氏が
「若潮部隊の御遺族の皆様は、小豆島を第二の故郷として今後とも縁深く、いつでも小豆島にお帰りください」
と述べられました。

来賓挨拶では香川県議会議長・谷久浩一氏が、「若潮部隊の皆様方が当時見た景色、山の稜線などは変わっていませんが、明らかに変わったことは、町の人々の暮らしです」と、散華された隊員に対して哀悼の誠を捧げられました。

また、土庄町長・岡野能之氏は、
「戦争の悲惨さ、そして戦争は絶対におこしてはいけないということを次の世代に伝えていきます」
と熱意を持って語られ、慰霊祭が閉会しました。
その後社務所にて直会が行われました。

ところで、令和7年は戦後80年の節目の年であると共に、富丘八幡神社にとってはご還座千百年の記念すべき年でもあったため、さまざまな特別行事や新しい取組みを挙行されてきたそうです。

この日の直会の場では、昨年から用意を進めて制作された千羽鶴が披露され、丹生会長からご遺族代表の杉田健司氏(叔父が戦死された)へと贈呈されました。

この千羽鶴の制作に当たっては、ご遺族の方々も鶴を折り郵送した他、氏子総代、参拝者の有志も協力して一羽一羽に気持ちを込めて折られ、また鶴と鶴を繋げる作業には氏子総代のご家族や地元の会社の皆様も手伝われたそうです。

この彩り鮮やかな千羽鶴は、直会の後に境内にある淵崎護国神社に奉納されました。

また、今回の直会では参列者の個々の自己紹介や挨拶の時間も設けられ、皆の絆が深まるのを実感した次第です。

今年初めて慰霊祭に参列された方の中に、若潮部隊生還者のご息女がいらっしゃいました。
その方にとっては初めての小豆島であり、初めての慰霊祭でもあったそうです。
軍服姿のお父様の遺影を胸に抱き、遺影に話しかけ、海を眺めていらっしゃいました。
 「父が帰って来たので私が産まれ、今こうして皆様にお目に掛かれて光栄です」
と直会の席でしみじみと述べられました。

直会が終わる頃、高尾美紀宮司からは富丘八幡神社の活動内容についてのご報告もあり、ご還座千百年を記念してお祭りで踊るための「富丘音頭」を地元の実業家・三木佑二郎元町長が書き下ろし、歌手活動をされた経験を持つ宮司自身が歌を担当され、秋季例大祭を盛り上げたことを話してくださいました。

今回のお祭りでは、稚児行列や巫女舞などの伝統文化も見事に復活させたそうです。

神社を中心に町が盛り上がり年々活気を増していく様子を伺い、爽快な気持ちになるとともに、力強さを感じました。

この活気と共に、よりたくさんの方々が戦時中にこの町に水上特攻の基地があったことを知り、「マルレ」の史実に触れる機会が増えることでしょう。
(評議員:髙松真希)↓コメント欄にも記載があります

【高知縣特攻勇士の像慰霊祭・参列報告】高知県高知市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。‥‥‥‥‥‥‥『令和7年高知縣特攻勇士の像慰霊祭』令和7年10月25日(土)、高知縣護國神社において「高知縣特攻勇士の像慰霊祭」に、本会の藤田...
30/01/2026

【高知縣特攻勇士の像慰霊祭・参列報告】

高知県高知市で執り行われた慰霊祭の参列報告を掲載いたします。
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『令和7年高知縣特攻勇士の像慰霊祭』

令和7年10月25日(土)、高知縣護國神社において「高知縣特攻勇士の像慰霊祭」に、本会の藤田幸生会長とともに参列しました。

特攻勇士の像は一昨年10月に奉納され、今年は秋の2回目の慰霊祭となります。

曇り空の下、社殿には20名ほどの方が参列し、11時から別役重具宮司様たちによる神事が厳修されました。

次いで、前参議院議員・中西哲(さとし)高知縣特攻勇士の像顕彰奉賛会会長よる祭文が奏上され、高知県出身の陸軍23柱、海軍52柱に及ぶ特攻隊員を始めとする御祭神の英霊に対し、参列者総員による玉串奉奠が行われました。

神事ののち、社殿がある高台から参道の階段を降り、慰霊碑が立ち並ぶ大鳥居脇広場まで移動して、奉賛会長から特攻勇士の像に献花が行われ、一同深々と低頭し、特攻勇士の英霊に感謝と敬意を捧げました。

高知縣護国神社は、明治維新の志士を始め、国難に殉じた高知県出身並びに縁故のある4万1千名あまりの英霊をお祀りする由緒ある社です。

その境内に、神社並びに奉賛会の皆様のご理解ご支援のもと、特攻勇士の像が建立され、本年もまた厳粛に慰霊祭が斎行されましたことに改めて深く感謝申し上げます。
(理事:鮒田英一)

◉高知県護国神社
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【戦争はなぜ起きるのか・多田野語録2】105歳になられた元特攻機整備兵・多田野弘さんによる『生き方のヒント・多田野語録』、今回は「戦争はなぜ起きるのか」をご紹介します。誠実で強い信念を持ち、ユーモアのセンスも光る多田野さん。「多くの若者の命...
23/01/2026

【戦争はなぜ起きるのか・多田野語録2】

105歳になられた元特攻機整備兵・多田野弘さんによる『生き方のヒント・多田野語録』、今回は「戦争はなぜ起きるのか」をご紹介します。

誠実で強い信念を持ち、ユーモアのセンスも光る多田野さん。
「多くの若者の命が失われた悲劇を二度と繰り返してはならない」という思いを胸に、平和への願いを込めて戦争体験を語り続けておられます。

※多田野さんの略歴はコメント欄へ↓
…………………
『戦争はなぜ起きるのか』

先日、この質問にすぐ応えられなくて、後日を約したので弁明する。
戦争という大問題は、誰もが考えも及ばぬことのように思える。
だが、人間同士の争いは、大は国家間の争いから、小は隣近所や夫婦間の争いまで含まれるととらえれば、争いに共通した問題として、私たちも真剣に考える必要がある。

なぜ争いは起きるのか。

これらの争いの源は、人々が人間の本質は理性であり、理性は完全であると考える「人間の心の在り方」からきている。

その結果、自分が正しいと思うことをどこまでも主張するようになって対立を深め、争いになっている。
つまり、理性が争いの種をつくっているといえる。
過去のいずれの戦争の発端も、正義の争いから起こっており、しかも、両者の正義を力に訴えて解決しようとしたことにあった。

また近代は、自由と平等という理念が浸透した結果、「権利と義務」という社会通念が常識になっている。
これは合理的な概念であるが、権利は対立を生み、義務は強制を強いるようになる。
大事なのは、いかに正しい理念であろうと、主張のし過ぎが争いの火種になっていることを知らねばならない。

それでは、平和を実現していくために、何が一番大事なのだろうか。

1946年パリに設立された、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の憲章前文に、「戦争は人間の心の中から始まるのである。
だから人間の心の中に平和の砦を築かねばならない。」と宣言されている。

自分の心の中に平和の砦を築くにはどうすればよいか。
その一番目は、理性の限界を知ることである。

自分がどんなに正しいと思っても、それは決して完全ではない。
自分と違った考えに出会ったならば、否定や排除ではなく、何かを学びとることで、さらに良い考えが創られ、自分も成長していける。
そういう理性の使い方をすることで、私たちは対立を呼び起こさない人間になれる。

二番目は、勝つことよりも、もっと大事なものがある。
それは力を合わせることである。
そういうことに人間として喜びと価値を感じる感性をもつことである。
勝つことに最高の喜びを見出しているのでは、平和は絶対にあり得ない。
つまり戦争はなくならない。

三番目は、対立に対する解釈である。
今日まで人間は、対立という状況が出てくると、先ずは相手を説得して自分と同じ考え方にしようとする。
それができなければ、今度は妥協点を探る、妥協もできないと、相手が強いと媚びへつらうか、逃げる。
最後には、争いになる。これでは平和は築けない。

これまでの社会は、競争し弱肉強食の原理が進歩発展させるものだと考えられてきた。
しかし今日、競争に勝つためではなく、互いに支え、助け合うような「共生」が重要になってきた。
社会の進歩発展には、適者生存の原理以外にはあり得ない。
それは、環境の変化に自分をどう適応させていくか、即ち自己革新、自己創造を成し遂げた者のみが生存し得るということをいう。
会社についても同様で、勝っているように見えても、それは競争したのではなく、自己自身の創造、変革を徹底的に進めた結果なのである。

もし、競争は勝つのが大事だとすれば、凡ての相手は邪魔だとみなされ、勝つことに心を奪われて、実力を発揮できなくしている。
そうではなくて、競争は勝つためではなく、自分の潜在能力を引き出すために必要なのである。
さらに、自分の至らない点に気づく絶好の場であると考えるなら、相手はなくてはならない協力者となる。
ゆえに、勝敗に拘わらず進歩することができて、一回り大きい度量の人間になれる。

大事なのは勝つことではなく、共に能力を高め合う共生であり、共に生きていくことに力を発揮できる人間が望まれている。
本当の独創性を求めていくならば、弱肉強食の理性は邪魔であって、自分の本質である感性を原理にしなければならない。
そのために手段として使うのが理性である。

こんなふうに、心の中に平和の砦を築き、適者生存の原理を大切にすることができれば、初めて私たちは平和な家庭、平和な組織、平和な世界を実現していけるではないか。

住所

飯田橋1-5-7-2F
Chiyoda-ku, Tokyo
1020072

電話番号

+81352134594

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