23/03/2026
( ;ŏ昼ŏ)σ⌒*≪既にコメントを削除していると言う事だからそう言う事なんだろう。
昔みた「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。」と言う広告。
オイラの大好きな踊る大捜査線の和久さんが遺し青島刑事も大切にしている言葉。
「正義なんてのは胸に秘めとくくらいが良いんだ…」
10人の人間が居れば10の正義があるからこそ決して忘れちゃいけないんだよ。
とても傷つけられるコメントが来ました。
コメントが削除されたのでアカウントの画像を記録しています。
攻撃的な表現を記載することをご了承ください。酪農やチーズを作ることに対して、
「牛のレイプをやめろ」「子供を誘拐するな」
本来、反応する価値もない稚拙で攻撃的な文章ですがこうやって人を傷つけて満足する人間がいることを許すことができません。
あえて冷静に言葉を返したいと思います。
最初に宣言したいことは、本来のヴィーガンとしての生き方、体質や宗教など様々な要因で食事を制限することに一切の疑問も反論もありません。それをお互いが認め合うことが多様性だと思っています。問題はそれを他人に強要し攻撃すること。
まず、「レイプ」や「誘拐」という言葉は、人間社会における犯罪の概念です。それをそのまま動物に当てはめるのは倫理の議論というより、言葉を強くして相手を傷つけるためだけの言葉に過ぎません。
ここで起きているのは議論や意見ではなく、破綻した感情の押し付けです。
そして人は自分の価値観を正しいと感じるだけでなく、それがより善であると確信し始めると、異なる立場を別の考えではなく間違いや悪として認識するようになります。これは心理学でモラル優越や内集団バイアスと呼ばれる現象だそうです。
自分と同じ側は善、違う側は悪。
複雑な前提や背景は切り落とされ、分かりやすい正義と悪の構図に単純化されます。そこにあるのは自分は正しいことをしているという確信です。
正しい側にいるのだからどれだけ強い言葉を使っても許されるという心理が働きます。
その結果どうなるか。
議論の目的がより良い状態を考えることではなく、相手を断罪することに変わります。そして、“どれだけ過激な言葉を使えるか”が主張の強さだと勘違いします。強い言葉は思考を深めるどころか、考える余地を削ってしまいます。
本来、動物福祉について真剣に考えるなら焦点はもっと具体的なはずです。飼育環境は適切か、苦痛はどこまで減らせるか、どのような改善が可能か。両者が経営コストなど現実的な問題をどこまで受け入れることができるのか。
こういった積み重ねでしか現実は変わりません。
最後に一番大事なことを。
自分は絶対に正しい側にいると確信した瞬間、人は思考を止めます。正義とは本来振りかざすものではなく常に検証し続けるものです。
強い言葉は人目を惹きますが、それは深さの証明にはなりません。
むしろ本当に考えている人ほど言葉を慎重に選びます。
この問題はここ以外にも世界中に、あらゆる問題に顔を出している気がします。