ファミリー・フォーラム・ジャパン(FFJ)

ファミリー・フォーラム・ジャパン(FFJ) あなたの家族・家庭を応援します。 1996年に米国Focus On The Familyとの協力関係から始まり、徐々に日本独自のプログラムや資料の制作へと移り変わり、結婚・子育て・性倫倫理・生命倫理などのテーマを中心に情報提供をしています。

聖書が語る性とジェンダー#3(これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)私たちは、神が最初の人間であるアダムとエバをご自分のかたちに創造され、人として神の前で等しい 存在とし、男と女として...
05/05/2026

聖書が語る性とジェンダー#3
(これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)

私たちは、神が最初の人間であるアダムとエバをご自分のかたちに創造され、人として神の前で等しい 存在とし、男と女として区別されたことに同意する。

私たちは、神によって定められた男女間の違いによって、尊厳や価値において両者が等しい存在ではなくなるという考えを否定する。

解説
「神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」(創2:7)。

「神である【主】は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である【主】は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた」(創2:21~22)。

「神はご自分が造ったすべてのものをみられた。見よ、それは非常に良かった」(創1:31)。

男女の違いは、聖書の様々な箇所において説明されています。両者は、創造された方法も順番も異なります。さらに、結婚生活においても教会生活においても、両者の役割は異なります。役割の違いを、人の価値や尊厳の問題と混同してはなりません。その点についての誤解があると、聖書の教えを否定したり、聖書は時代遅れだと考えたり、間違った解釈を信じてしまったりします。

一例として、飛行機のパイロットと整備士のことを考えてみましょう。パイロットは立派な制服を着て、権威を持って乗客に語りかけます。一方整備士は、汚れた作業服を着て、誰も見ていない所で作業します。彼には、目立った権威も威厳もありません。では、どちらにより価値があると言えるでしょうか。答えは、価値は同じだということです。なぜなら、役割が違っていても、どちらも存在しなければ、飛行機は飛ばないからです。これと同じことが、男女関係についても言えます。神様は、家庭と教会におけるリーダーとして男性を任命されました。しかし、女性たちが果たす大切な役割がなければ、家庭生活も教会生活も成り立ちません。役割や特徴が違っていても、価値や尊厳に違いがないというのは、そういうことです。

この問題には、もう一つの側面があります。現代のジェンダーイデオロギーは、神が創造された男性と女性の区別を否定しようとします。そして、「男性らしさ」や「女性らしさ」は、「スペクトラム」(境界があいまいで連続しているもの)のようなものであると主張します。この考えに基づけば、人を「男性」、あるいは「女性」と決めつけることは、その人のユニークな人間性を否定し、価値がないものとして扱うことになります。しかし、聖書の観点に基づけば、私たちの人間性と価値は、神の「かたち」に創造された男性、あるいは女性であることの中に存在するのです(創1:26〜27参照)。

聖書が語る性とジェンダー#2(これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)私たちは、神が明らかにされたすべての⼈に対する御心は、婚外では純潔を守り、婚内では貞操を守ることであるということに同...
02/05/2026

聖書が語る性とジェンダー#2
(これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)

私たちは、神が明らかにされたすべての⼈に対する御心は、婚外では純潔を守り、婚内では貞操を守ることであるということに同意する。

私たちは、愛情や、願望、約束があることで、婚前または婚外の性交が正当化され、さまざまな形の性的不道徳が正当化されるという考えを否定する。

解説
世界の主流となっている性教育は、「包括的性教育」と呼ばれるもので、大まかに言って二つの原理から成っています。一つ目は、安全な性行為ができるように教育すること、二つ目は、性的決定権を意識させるような教育をすることです。つまり、妊娠、性感染症、そして暴力的な性行為のリスクなどを避けさえしていれば、人々はいつ、誰と、どのようなセックスをするかを決める権利がある、という教育です。

クリスチャンの間でも、このテーマに関して混乱している人々は少なくありません。その理由は、性行為に関する聖書の倫理や基準を学んだことがないからです。また、学校で包括的性教育を教えられてきたため、多数の人との性的関係を避けさえすれば、自分たちは聖書の「精神」に従っている、それで十分だ、と思い込んでいるからです。

しかし、使徒パウロは次のように書いています。
「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません」(1コリ6:9~10)。

「不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい」(1コリ6:18~20)。

ある人たちは、このような禁止事項はパウロ独特の命令であって、現代の私たちには関係がないと主張します。しかし、パウロが挙げている禁止事項は、その全てが旧約聖書にこと細かに記されているものです(レビ18章の全章参照)。
キリストも、山上の垂訓やその他の箇所で、性的罪に関してはっきりと教えておられます(マタ5:27~32、19:3〜9参照)。
性行為についての聖書の教えは明確です。あらゆる意図的な性的刺激、性的絆、性的快楽をもたらす行為は、結婚という枠組みの中においてのみ行うべきものです。また、互いに愛情があったとしても、将来結婚する約束をしていたとしても、あるいはなんらかの事情で結婚が不可能な状態にあったとしても、結婚関係が存在していなければ、性的関係を持つことは許されません。神は、それを禁じておられます。

自分たちには性的決定権があると教えられてきた世代にとっては、このような聖書の教えは堅苦しくて、偏狭で、非現実的なものに感じられるかもしれません。しかし、私たちを創造してくださった神様が、私たちの最善と祝福を願って、愛の表現としてこのような戒めを与えておられることを覚える必要があります。

聖書が語る性とジェンダー#1(これは性の聖書的理解ネットワークからの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)私たちは、神が作った結婚は、性的で、出産を伴い、生涯にわたる契約関係であり、一人の男と一人の女が夫と妻として一つになるものである...
01/05/2026

聖書が語る性とジェンダー#1
(これは性の聖書的理解ネットワークからの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)

私たちは、神が作った結婚は、性的で、出産を伴い、生涯にわたる契約関係であり、一人の男と一人の女が夫と妻として一つになるものであること、またキリストとその花嫁である教会の間で結ばれた契約に基づく愛を象徴していることに同意する。

私たちは、神が結婚を同性愛、一夫多妻、多夫多妻の関係となるように計画されたという考えを否定する。また、結婚が神の前で結ばれる契約ではなく、単なる人間の契約であるという考えも否定する。

解説
最近一部のLGBTQの人々は、いわゆる「同性婚」の合法化を求めています。既に「同性婚」が合法化されている国々では、結婚の定義を広げ、三人以上の「結婚」、子供と大人が結ばれる「結婚」、動物を含む「結婚」などの合法化も検討され始めています。結婚が、人間が作り出した制度であるなら、その定義を変更することもあり得るでしょうが、聖書を神のことばと信じるクリスチャンにとっては、そのような考え方は受け入れられません。それは、神が忌み嫌われることだからです。

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」 (創世記2:24)とあります。聖書の最初の章(創世記1章)で、神によって創造された二つの性の起源と本質が説明され、第2章で、神によって創造された結婚の起源と本質が説明されています。これは、非常に重要なことです。
聖書には、結婚に関する教えが多くありますが、それらの教えはすべて、創世記1章と2章で啓示された真理の補足説明となっています。

例えば、預言者マラキは、結婚は生涯続く契約であると断言しています。
「…それは【主】が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。『妻を憎んで離婚するなら、──イスラエルの神、【主】は言われる──暴虐がその者の衣をおおう。…」 (マラキ書2:14~16)

イエスは、マタイ19:3~9で、パリサイ人たちに同じ内容のことを教えておられます。

ソロモン王は息子たちに、性的な親密さは男女の結婚生活の中だけで楽しむものであると教えています。
「あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。…わが子よ。あなたはどうして他国の女に夢中になり、見知らぬ女の胸を抱くのか」(箴言5:15~20)。

パウロは、コリント人への手紙第一6:18~7:5で、同じ命令を繰り返しています。

結婚がキリストと教会の関係の象徴であることを教えたのも、パウロです。
「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。…夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。…」(エペ5:22~33)

一方、聖書のどこにも、一人の男性と一人の女性以外の結婚の形態を認めるような記述は見つかりません。同性愛は、旧約聖書でも新約聖書でも明確に禁止されており、女性が複数の男性と関係を持つことも(配偶者の死とそれに続く再婚以外は)、禁止されています。一夫多妻制は旧約聖書では直接的禁止されていませんが、新約聖書では、「一人の妻の夫」であることが教会時代の倫理規範であることを、パウロが示唆しています。

以上の理由によって、聖書を信じるクリスチャンは、いわゆる「同性婚」、一夫多妻制度の結婚、また第1条に定義されている結婚の形態以外のあらゆる「結婚らしき関係」を肯定したり、祝福したり、黙認したりすることはできません。

私たちは、神が作った結婚は、性的で、出産を伴い、生涯にわたる契約関係であり、一人の男と一人の女が夫と妻として一つになるものであること、またキリストとその花嫁である教会の間で結ばれた契約に基づく愛を象徴...

3章 キリストの主権"...神の言葉にある神の意志に従うことを約束すると、時にはやりたくないことをしたり、ぜひやりたいと思っていたことをやらなかったりしなければなりません...""...キリストを心の中で主として聖別しなさい..."I ペテ...
14/10/2025

3章 キリストの主権

"...神の言葉にある神の意志に従うことを約束すると、時にはやりたくないことをしたり、ぜひやりたいと思っていたことをやらなかったりしなければなりません..."

"...キリストを心の中で主として聖別しなさい..."I ペテロ 3:15)

聖句ルカの福音書14:25-35

私は自分の耳を疑った。「…聖書の命令はむしろ…指針のようなもので…絶対的な善悪の基準ではないんだよ…」この言葉を発言したのは、海外で奉仕するキリスト教宣教師の精神的ケアを専門とするクリスチャンの結婚カウンセラーでした。しかし残念ながら、このような見解はクリスチャンの指導者やカウンセラーの間では珍しくなく、その結果、神の御言葉に従うことをためらう者も少なくないのです。

ルカ版の山上の説教で、イエスは群衆に「なぜ、あなた方は『主よ、主よ』とわたしを呼びながら、わたしの言うことをしないのか」と問いかけています(ルカ6:46)。同様に、パウロは「あなたがたが口でイエスを主と告白し、心で神がイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるならば、あなたがたは救われる」(ローマ10:9)と書いています。

イエス・キリストに従うという約束は、イエスを救い主として受け入れ、「主」として従うという約束です。これは、イエス様に完全な忠誠、信頼、従順を捧げることを意味します。このことが、多くの人がキリスト者になる際の障害となっています。キリストに従うことで、自分の人生を自分だけでコントロールすることができなくなることに気づくのです。日々、キリストの主権を確認し、それを実践することは非常に困難なことですが、私たちよりもはるかに優れた神が私たちにとって何が最善であるかを知っていることは明らかです。ですから、主イエス・キリストに従うならば、神は私たちの信頼を裏切らないという神の約束を信じています。パウロは私たちを安心させてくれます。「...私は、自分が誰を信じたかを知っており、その方が、私が委ねたものをその日まで守ることができると確信しています」(2テモテ1:12)。

私たちは、自分の生活の中で、イエス様に従わなければならない部分をどのようにして知ることができるのでしょうか?神様は、御自分の言葉である聖書を通して私たちにそのようなことを伝えてくださいます。パウロはテモテに、「真理のことばを正確に扱い、恥じる必要のない働き人として、自分を神に認められるように努めなさい」(2テモテ2:15)と念を押しました。聖書を熱心に注意深く学ばなければ、私たちは自分の人生に対する神の計画や基準を知ることはできません。なぜでしょうか?「聖書はすべて神の霊感によるもので、教え、戒め、矯正、義の訓練のために有益であり、神の人が十分な能力を持ち、あらゆる良い働きのために備えられるようにするためのものです」(2テモテ3:16)。

(前述の)カウンセラーは、妻が夫の指導に従う必要は実際にはなく、むしろ従順を教える聖書箇所は普遍的な命令というより、一部の夫婦には有効な「提案」に過ぎないと私たちを説得しようとしていました。しかしクリスチャンは、聖書があらゆる点で真実であると、時代を超えて信じてきました。私たちの信仰生活の基本的な訓練ガイドとして、聖書は完全に信頼できるものです。もしそうであれば、私たちは聖書のどの部分を受け入れて従い、どの部分を拒否して無視するかを自由に選ぶことはしてはなりません。

「でも、神様の霊が私を導いてくれるのではないのか?」と思うかもしれません。はい、神の御霊は私たちを導いてくださいます。なぜなら、御霊は私たちの心の中で聖書のメッセージを肯定し、明確にするために働いてくださるからです。しかし、御霊は神の言葉の真理を否定することはありません。例えば、神の御霊は、結婚相手以外の人とのセックスをすることを決して認めませんし、理由が何であれ、配偶者に対して愛情のない態度や見下した態度を容認することもありません。

では、聖書の見解は、結婚という十字架を背負うことにどのように関係するのでしょうか?神様の言葉に従うことを決心すると、時にはやりたくないことをしなければならないし、やりたいと思っていたことをしないことも必要になってきます。

自分自身に正直になりましょう。結婚生活の苦労は激しく、戦場となってしまった課題に関しては、時に敵と感じる配偶者に1センチでも譲ることを躊躇してしまいます。パートナーに深く傷つけられても、許したくないのです。自分が間違っていることを認めたくありませんし、赦しを求めたくないのです。そして、配偶者に服従したり、犠牲的に愛したりすることもしたくない時がしばしばあります。

私たちは、自分の権利を守りたい。独立して行動する自由を保ちたい、自分の夢をかなえてくれそうな他の恋愛関係を追求したい、と思うこともあります。しかし,これらの分野や他の多くの分野では,キリストの主権によって,主の言葉に従うことが重要なのですー例え自分が従いたくなくても,従うことが不安であっても,他人から反対されてもです。

使徒ヤコブは次のように書いています。「みことばを聞くだけで実行しない人がいるとすれば、その人は、鏡で自分の生まれつきの顔を見る人のようなものです。一度自分を見て立ち去ってしまうと、自分がどのような人であったかをすぐに忘れてしまうからです。しかし、完全な律法、すなわち自由の律法を熱心に見て、それにとどまる人は、忘れっぽい聞き手にならず、効果的な実行者になるので、この人は自分の行うことにおいて祝福されるのです」(ヨハネの福音書1章23~25節)。

神は、私たちが神に従えば結婚生活の問題がすべてなくなるとは約束しませんが、私たちの試練や境遇が、その中で神が与えてくださる助けに勝ることはないと約束しています(Ⅰコリント10:13、ヨハネ1:2-4)。 夫婦がともにみ心と聖書の言葉の光の中を歩むとき、私たちは甘い交わりの絆を約束されています。Iヨハネ1:7には、「...しかし、御自身が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、私たちは互いに交わり、御子イエスの血がすべての罪から私たちを清めてくれるのです」とあります。どちらかが光の外を歩いていると、霊的な交わりの絆が切れてしまいます。不従順は、常に既存の問題を悪化させ、また新たな問題を生み出すことは確かです。

多くの人にとって、これらのコメントは当たり前のことを言っているに過ぎませんが、人生の中で結婚ほど主イエスに従う決意が深く問われる分野はありません。だからこそ、私たちは日々、主イエス・キリストに従うことを再確認し、それを可能にするための規律を整える必要があるのです。

2章 どこで間違ったのか"...私たちは自己決定が神のような幸福への道であると言われています。しかし、アダムとエバがどうなったかを私たちは知っています。アダムとエバは無邪気さを失い、恥知らずな親密さを失い、庭園での牧歌的な生活を失い、そして...
29/09/2025

2章 どこで間違ったのか

"...私たちは自己決定が神のような幸福への道であると言われています。しかし、アダムとエバがどうなったかを私たちは知っています。アダムとエバは無邪気さを失い、恥知らずな親密さを失い、庭園での牧歌的な生活を失い、そして何よりも神との友情を失いました..."

"彼らは神の真理を嘘と交換し、永遠に祝福されている創造主ではなく、被造物を崇拝し仕えていたからです。アーメン」。ローマ人への手紙1:25。

聖書の言葉:創世記3:1-19

"俺だって幸せになる権利があるだろう?自分の人生なんだから。"この男性は、妻が長い間重い病気と闘っていた間に、他の女性との不倫関係を持ったことを問い詰められていたのです。彼は、不倫によって幸せを手に入れたのでしょうか?もちろん、その不倫が続いていた間は。彼の愛人は、妻の長い療養生活の間に奪われていた交友関係、そして性的な親密さを提供してくれました。しかし、結局、その不倫の相手が詐欺師だったことによって家、仕事、財産、そして家族からの信頼を失うことになってしまいました。その「幸せ」は長くは続かなかったが、「喪失」と「心痛」は何年も続くことになりました。

結婚生活の問題を振り返ったとき、"なぜこのような苦境に陥ったのか?"と自問することがあるでしょう。この質問には、「目の前の答え」と「本来の答え」の両方があります。目の前の答え」については、この本の残りの部分で説明します。本来の答えは、人類の歴史の始まりに起きた悲劇的な出来事です。

それは、楽園であったはずのエデンの園で起きたことでした。神は、最初の夫婦であるアダムとエバを庭園に置きましたが、その際、たった一つの簡単な禁止事項を設けたのです。庭園の中央に生えている「善悪の知識の木」から食べてはいけないということでした。しかし、悪魔は蛇の姿をとって、女性の頭に「神様は信用できない」という考えを巧妙に植え付けました。このおいしそうな実には、人を神のようにする力があるから、神はそれを隠しているのだと主張しました。"神は、あなたがそれを食べる日に、あなたの目が開かれ、あなたが神のようになり、善悪を知るようになることを知っているからです」(創世記3:5)。

悪魔のメッセージは、実は2つありました。第一に、エバは自己決定権を行使し、何が正しくて何が間違っているかを自分で判断、実感することによって神のようになれるということ。そして2つ目は、そうすることで自分に与えられるべき幸せを得ることができることでした。神のような自律性と自己実現、その何が悪いのでしょうか?もしもエバが、そして彼女と一緒にいたアダムが、どれほどの危機に瀕しているかを意識していたならば…

現在のヒューマニズムは、同じような約束をしています。"あなたが思うままがあなたの神"、"あなたが正しいと思うことは あなたにとって正しい"、"自分の性欲は自分で決められる"、"自分の性別を選ぶことができる"、"あなたの結婚はあなたが望むものであれば何でもいい"などです。そのように自己決定は、神のような幸福への道だと言われています。しかし、アダムとエバがその結果どうなったかを私たちは知っています。アダムとエバは無邪気さを失い、恥知らずな親密さを失い、庭園での牧歌的な生活を失い、そして何よりも神との友情を失いました。

彼らの選択は、彼らだけでなく、彼らが代表する人類全体に影響を与えました。つまり、あなたの結婚の「苦境」は、何千年も前のエデンの園から始まっていたのです。実際、「エデンの園の呪い」には、「...あなたの望みは、あなたの夫のためにあり、彼があなたを支配する...」とあります。これは、その後の歴史において結婚を苦しめることになる、誤った期待と権力闘争の予兆でした。

私たちは皆、自分の人生をコントロールしたい、幸せになりたいと思っています。メディア、心理学、文化、そして友人でさえも、それが自分が得るに値するものであり、手の届くところにあり、それを得るためにほとんどすべての手段を講じることが正当化されると主張します。しかし、それが神の立場を奪うとき、実際には大きな失望と不幸をもたらします。結婚は、私たちが人生の中で最も幸福を期待する分野であると同時に、最も失望する可能性の高い分野でもあります。ですから、「私は自分の人生を支配し、幸せになる権利がある」というマントラを唱えると、私たちが簡単にエバと同じような欺瞞に陥り、間違った破壊的な選択をしてしまうのも不思議ではありません。

1章 なぜ結婚は十字架のようなのか "そして、彼ら全員に言っていた。『もし誰か、わたしについてきたいと思う者がいるなら、自分を捨て、毎日自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい』。(ルカ9:23)。聖書の言: ルカの福音書23:22-43...
23/09/2025

1章 なぜ結婚は十字架のようなのか

"そして、彼ら全員に言っていた。『もし誰か、わたしについてきたいと思う者がいるなら、自分を捨て、毎日自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい』。(ルカ9:23)。

聖書の言: ルカの福音書23:22-43

ローマの十字架は、最悪の犯罪者やローマ政府の敵のために用意された死刑の一形態でした。ピラトは、イエスに十字架による死刑を宣告することで、反逆と反乱の罪を犯した疑いでイエスを罰したのです。しかし、このような事態になっても、イエス様は何も驚きませんでした。自分の十字架の死を予期していて、十字架刑の過程を利用して弟子を励まし、自分に従う一人一人に「だれでも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、毎日自分の十字架を背負って、私についてきなさい」という言葉を投げかけました。(ルカ9:23)。

仕事、教会生活、健康、家庭生活などと同様に、結婚生活をどのように送るかは、イエス・キリストの忠実な弟子であるための重要な要素です。ある人にとっては、至福の結婚生活は何の苦労もなく訪れるようですが、ある人にとっては、結婚の報酬を得るためには、度重なる困難を克服するための熱心な努力が必要です。さらに多くの人にとって、結婚は文字通り十字架を背負うようなものであり、災い、失望、絶望の果てしない坩堝のようなものです。

"...新しい一日を始めるとき、あなたはその十字架を比喩的に肩にかけ、神に叫ぶでしょう。「あなたの恵みと助けがなければ、私はこれをすることができません!」と。そして、新しい一日を迎えるたびに、葛藤や失望、混乱があったとしても、配偶者への愛と祝福の導線となるように努力します..."

なぜ結婚は十字架のようなものなのか?イエスが十字架にかけられる予定のゴルゴタに向かう途中、エルサレムを通過したとき、見物人のほとんどはイエスを嘲笑しました。また、恥ずかしさのあまり涙を流して泣く人もいました。結婚生活に悩む多くの人々(牧師、宣教師、カウンセラーを含めて)は、自分たちの結婚生活がうまくいかないことを深く恥じています。自分が信じて公に公言していることを実践できていないため、世間から妬まれている、あるいは恥ずかしいと感じているのです。自分の失敗を恥じることで、不安や心配が生じます。なぜ私たちの結婚はこのような苦境に立たされているのだろう?いったいどこまで悪くなるのだろう?絶望の中で、私たちは取り返しのつかない罪を犯し、炎上してしまうのではないか?離婚してしまうのではないか?

また、継続的な苦しみ、挫折した夢、傷、戦い、そして愛されていない、見下されている、裏切られている、見捨てられているという感情もあります。結婚がいかに「十字架」であるかを経験する人はたくさんいます。悲しいことに、多くの人がその重さにつまずき、倒れてしまいます。

今日の聖書の箇所をもう一度見て、4人の十字架の担い手に注目してください。イエスは明らかに中心的な存在です。イエスはドロローサ通りで十字架を担ぎ、ゴルゴタで十字架に釘付けにされ、罪も咎も失敗もなかったにもかかわらず、苦しい死を遂げられました。二人の犯罪者も十字架を担い、イエスの両側で磔にされましたが、二人とも死刑に値する罪を犯していたからでした(ルカ23:41)。一人は反抗的にイエスを冒涜したが、もう一人は自分の罪を認めて救い主の恵みを求めたのです。そして4人目として、キレネのシモンは、一見無関係な傍観者であり、罪も無実もないが、一時的にイエスの十字架を背負わされました。

では、この例えは結婚にどう当てはまるのでしょうか?あなたは、状況によってはイエスのように無実の犠牲者かもしれません。あなたの結婚へのコミットメントは、勤勉で、愛があり、純粋で、賢明なものでしたが、あなたは配偶者の不貞行為、騙しごと、虐待、無責任、無関心、または敵意の犠牲者です。

しかし逆に、2人の犯罪者のように、自分の罪と失敗のために十字架を背負っているかもしれません。とは言え、反抗的な態度で争っているかもしれませんし、自分の罪を認めて、自分が引き起こしたダメージを修復するために最善を尽くしているかもしれません。

最後に、シモンのように、状況の犠牲者かもしれません。自分と相手は、結婚生活に時間、エネルギー、感情を集中的に投入してきましたが、結果的には空振りに終わりました。性格の不一致、子供、親戚、友人、外での仕事など、乗り越えられない障害があった場合、健康問題、経済的な苦境、事故などで圧倒的なストレスが生じた場合などです。これらのうちのどれか、あるいはすべてが当てはまります。ある部分ではあなたは無実であり、ある部分では反抗的であり、ある部分では自分の非を認めており、ある部分では単に状況の犠牲者となっているのです。

理由や原因が何であれ、人生のあらゆる重要な分野において、選択しなければなりません。たとえ苦難や苦痛を伴うとしても、結婚に関してキリストに従うかどうか。

イエス様は「毎日」十字架を背負うことを命じられています。毎日、その決意を新たにする必要があるのです。新しい一日を始めるとき、その十字架を肩にかけ、神に叫ぶでしょう。「あなたの恵みと助けがなければ、私にはできません!」と。そして、新しい日を迎えるたびに、葛藤や失望、混乱があっても、配偶者に愛と祝福を与えるパイプ役となるように努力します。その十字架を背負うとき、進むべき道を明確に知る必要が生じます。必ずしも満足や正当性を得るための道ではありませんが、イエス・キリストの忠実な弟子として、勇気を持って、知恵を持って結婚という「十字架」を背負う方法を知っていただくために、以下の連載でその方向性を示していきます。

壁にぶつかった結婚結婚生活の中には、"苦しい "を通り越して、"毒性 "や "危険 "を伴うものがあります。以下のような問題がある結婚生活を送っている方は、できるだけ早く専門家の助けを求めてください。 〜肉体的、言葉の、感情的、性的、あるい...
15/09/2025

壁にぶつかった結婚

結婚生活の中には、"苦しい "を通り越して、"毒性 "や "危険 "を伴うものがあります。以下のような問題がある結婚生活を送っている方は、できるだけ早く専門家の助けを求めてください。

〜肉体的、言葉の、感情的、性的、あるいはその他の種類の虐待が結婚生活にありますか?もしそうなら、それは専門家の介入が必要な深刻な状況です。警察や虐待を専門とする機関、結婚カウンセラーなどに相談してみてはいかがでしょうか。特にお子さんや扶養家族がいる場合は、そのような相談が必要です。

〜自分や配偶者は、薬物乱用、ポルノ鑑賞などの性依存症、ギャンブル依存、買い物依存、アル中、などの依存症に悩まされていますか?もしそうであれば、依存症を専門とする団体やサポートグループ、カウンセラーなどに助けを求めてください。

〜あなたの結婚生活では、乱交が繰り返されていますか?浮気や、メールや電話での不適切な交際、結婚していない相手との常習的ないちゃつきなどが考えられます。どのような形であれ、乱交状態にある場合はやはり外部の助けを求めるべきです。

〜結婚生活には、精神的、感情的な病気がありますか?うつ病、人格障害、その他の機能障害の可能性があります。もしそうなら、自分や配偶者が必要な助けを得られるよう、メンタルヘルスの専門家に相談してください。

上記のような問題は、結婚生活を破綻させるほどのものではありませんが、本書で扱う典型的な結婚生活の問題よりも複雑ですので、上記のような問題があると思われる場合は、専門家の助けを求めてください。

ここまでの説明で、本書の本文に入る準備が整いました。ここから先の内容は、時に苛立ちを覚えるかもしれませんし、消化するために何度も読み直す必要があるかもしれません。しかし、最後まで我慢していただければ、結婚に対する理解が格段に深まり、神様が用意されているご計画や目的が見えてくることでしょう。

大人であるように結婚生活が成功するか、あるいは機能不全に陥るかは、結婚に対する自分の期待や傷、不満よりも、結婚生活や配偶者の利益を優先するかどうかにかかっていると言えます。これは成熟した性格の表れです。逆に、それができないのは、未熟で自己中...
12/09/2025

大人であるように

結婚生活が成功するか、あるいは機能不全に陥るかは、結婚に対する自分の期待や傷、不満よりも、結婚生活や配偶者の利益を優先するかどうかにかかっていると言えます。これは成熟した性格の表れです。逆に、それができないのは、未熟で自己中心的な性格の表れかもしれません。

「大人になる」とは、自分の感情に支配されず、相手に対して怒鳴りつけたい、しかいしをしたい、テレビの前で落ち込んでいたいにも関わらず、目標と優先順位を決め、賢明に「必要な喧嘩」だけを選び、道理にかなった方法で行動するための規律を持つことです。

例えば、相手との間のスケジュール上の誤解が原因で、大切なことが水の泡になってしまったとします。はっきりとした証拠はないものの、自分にとって重要なことを相手が気にかけなかったために起こったことだと感じるかもしれません。その瞬間、自分が疑っていることについて、相手を非難したくなります。しかし、自分の感覚が間違っているかもしれないのに、この問題を醜い対立に発展させるべきではないと自分に言い聞かせます。その代わりに、状況を修正する最善の方法を話し合い、前進する戦略に同意して、問題を解決します。個人的な傷よりも結婚生活の利益を優先することを選んだのです。このような選択の積み重ねが、長い目で見れば、結婚生活に「より安全」で「より平和」な環境を作り出すことになるのです。

有能なカウンセラーを見つける

結婚生活に悩んでいる人の多くは、有能なカウンセラーの助けを必要とします。二人きりで争いを効果的に解決することができれば、このような状況にはならないはずですよね。問題は、有能なカウンセラーを見つけるのは簡単ではなく、無能なカウンセラーは役に立たないだけでなく、結婚生活を妨害することもあるということです。私たち自身そのことを痛いほどに経験しています。

あるカウンセラーは、自分の「工具箱」の中に一つの「ツール」しか持っていないようでした。"How did it feel? "(どんな気持ちだった?)という質問です。別のカウンセラーは、私たちがもっと上手にコミュニケーションできるようになれば全て解決すると思い込んでいて、私たちのコミュニケーションを乱すような、もっと深くて深刻な問題があると訴えても聞いてくれませんでした。また、私たちのどちらか一方について、それが真実であるかどうかを実際に確認することなく、結論を急ぐカウンセラーもいました。 そして最悪だったのは「*ホワイトナイト」カウンセラーで、不誠実さ、二枚舌、偏り、その他の倫理的境界線の侵害を正当化することで、私たちの結婚をほぼ終わらせかけたカウンセラーでした。

では、有能なカウンセラーにはどのような点が求められるのでしょうか。まず、その人が聖書の権威を高く評価する熱心なクリスチャンであることです。いわゆる「ビブリカル・カウンセラー」を自認している人が、おそらくこの資格を最も満たすでしょう。しかし、このカウンセラーに、心理学者が観察した事実と真実を尊重してほしいと思います。ビブリカル・カウンセラーの中には、心理学が提供するすべての洞察を「世俗的」と断じる人もいますが、むしろ「すべての真理は神の真理である」と信じる人の方が望ましいと思います。

また、男性に対して偏見を持っていたり、女性に対して偏見を持っているような人も避けたいものです。公平性はとても重要です。また、カウンセラーは聞き上手である必要がありますが、同時に明確で賢明なアドバイスをすることも躊躇してはいけません。最後に、長期にわたって辛抱強く付き合ってくれる人を探しましょう。困難な結婚に進歩を与えるには時間がかかります。

*「ホワイトナイト」とは英語の文学的な表現で、「窮地にある乙女を救う輝く鎧をまとった白馬の騎士」の略語で、「ホワイトナイト・カウンセラー」とは、主に男性カウンセラーを指し、公平で中立的、真実に基づいた聖書的な関わりを持つことよりも、自らの役割を「窮地にある乙女を救うこと」と見なす種のカウンセラーを指します。場合によっては、世俗的世界観、フェミニズム、そして「非聖書的キリスト教」に影響され、ほとんどの結婚において女性は「被害者」であり、男性は婚姻関係の機能不全や抑圧の「加害者」であると思い込んでいます。また別のケースでは、男性カウンセラーが夫婦の妻側と不適切な感情的しがらみを築き、彼女の脆弱性を利用し、夫婦間に不信の種をまき、時には不倫関係にまで発展します。結局、カウンセラーは夫婦の最善の利益に資する支援を提供するのではなく、自身のエゴや感情的欲求、あるいはイデオロギー的意図を満たすことに終始します。

始める前にあなたは困難な結婚を体験していますか?"私は困難な結婚生活を送っているのだろうか?""それとも私が経験していることは普通のことなのだろうか?"と疑問に思うかもしれません。どんな結婚生活でも、困難やストレス、葛藤、フラストレーション...
08/09/2025

始める前に

あなたは困難な結婚を体験していますか?

"私は困難な結婚生活を送っているのだろうか?""それとも私が経験していることは普通のことなのだろうか?"と疑問に思うかもしれません。どんな結婚生活でも、困難やストレス、葛藤、フラストレーションを感じることはあります。しかし、健全な結婚生活では、それらの困難は建設的な方法で処理され、一時的なものです。両者ともに通常の結婚生活において比較的幸せで満足しているのです。一方、困難な結婚生活では、そのような調和、満足感、平和感が得られません。このリストはすべてを網羅しているわけではありませんが、困難な結婚生活の4つの兆候を紹介します。

1.頻繁な衝突 - 何かにつけて衝突しているようで、それが週に何度も、あるいは毎日のように起こっている状況です。

2.激しい対立 – 結婚関係の口論や衝突は、単なる意見の相違ではなく、「バトル」になっています。これまで経験してきた対立の激しさによって、自分が攻撃され、傷つき、疲弊していると感じています。意見の相違は、表面的な問題にかんしてではなく、実際の、あるいは想定される性格上の欠陥、性的な親密さ、親の死への対応、お互いへの攻撃的な非難などについてです。このような対立の傷跡は深く、簡単には解決されません。

3.袋小路に陥っている - 夫婦間の意見の相違は、お互いに自分の立場を主張し、一歩も譲ろうとしない状態です。いくら話し合っても、議論しても、問題の解決は一向に進みません。暗黙の了解で対立に蓋をして、お互いに礼儀を尽くしているかもしれませんが、解決には至らず、明日への希望が持てないまま毎日を耐えているだけです。決して結婚式の日に描いていたあり方とは言えません。。

4.大規模な機能不全 - 意味のあるコミュニケーションが途絶え、性的な親密さも失われています。怒りによる支配、受動的攻撃、絶望的なあきらめ、攻撃、操作、コントロール、偽り、隠し事、などの不健康な役割が固まっている。最悪の場合、様々な形の虐待、中毒、不倫、激しい敵意、深い恨み、感情の崩壊、別離はすでに起こっているか、すぐそこまで来ています。

残念ながら、これらの条件は簡単には変えられません。特に、時間の経過とともにパターン化してしまった場合はなおさらです。しかし、良いことは、パートナーのどちらか、または両方が建設的な変化を実行すると決心し、必要な外部の助け(タイムリーな情報やサポートしてくれる人など)が得られ、そして神に頼っていれば、進展は可能であるということです。

聖書的な答えの重要性

なぜ苦しい結婚生活のために「聖書の答え」を指示するのでしょうか?基本的に、聖書は結婚の創造主である神がご自身を明らかにし、私たちに持っていてほしい情報を伝える媒体だからです。

私たちを創造してくださった唯一の神は私たちを愛し、私たちの最大の利益を願っています。聖書には、この神の愛と知恵から流れ出る結婚に関する直接的な教えもあれば、更に様々な結婚の実例が書き記されているため、結婚を成功させる要因や失敗させる要因を学ぶのに重要な教材です。

聖書はまた、悪魔の存在を教えており、その目的は惑わし、滅ぼすことです。(ヨハネ8:44参照)パウロは、「私たちの戦いは、血肉に対するものではなく、この世の闇の力に対するものです 」と警告しています。そのため、私たちは「悪魔の策略に対抗して堅く立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」(エペソ6:11-12)と言われています。悪魔は特に人々の結婚を欺き、破壊することに重点を置いているようなので、結婚生活が危機から危機へと転びつつある時には、自分が何に、誰に立ち向かっているのかを意識することが大切です。

変化への準備

もし神が存在し、全能で、愛にあふれ、私たちの人生に関わりたいと願っておられるのなら、たとえ困難な結婚生活であっても、前向きな変化は可能です。しかし、初めから変化に何が必要かを理解しなければなりません。

まず、自分の置かれている状況を正確に把握することが必要です。観察力を養い、相手と自分の行動パターンを見極めることが必要です。あなたの結婚生活を振り返ってみてください。何のために結婚したのでしょうか?お互いをよく知り、心から愛し合い、神が二人を結びつけたと信じていたのでしょうか。あるいはむしろ、お互いのことを深く知らず、愛してもいないのに、結婚というアイデアに「恋」をしていたのではないでしょうか?人や状況があなたを結婚に押し込んだのでしょうか?それとも、雰囲気やホルモン、性欲に流されてしまったのでしょうか?もし間違った理由で結婚したとしたら、別れた方が良いということでは決してありませんが、それを認め、思いの中で建設的に処理する必要があります。また、危機的状況に直面した時に何が起こっていたかを振り返ってみてください。物事がうまくいっていたときには何が起きていたのか?今、何が起きているのか?何がその行動の引き金になっているのか?そして、その行動の根源は何ですか?

ネガティブな行動パターンの中には、単に無知が原因のものもあります。あなたやあなたの配偶者は、自分がそのような行動をとっていることに気づいていない。それが間違っていたり、破壊的であることに気づいてない可能性があります。他のパターンは、あなたの過去にルーツがあります - あなたが育った家庭環境や、発達時期に身についた習慣かもしれません。また、神の言葉に従おうとしない、プライド、性欲、貪欲、権力欲、偽りなど、霊的な機能不全に起因するパターンもあります。また、結婚生活の中で培われてきたお互いの対応の癖など、結婚生活の「デフォルトパターン」もあるでしょう。

変化するためには、その行動を認め、変化することを決断することの必要があります。あなたやあなたの結婚相手が、お互いに、あるいは第三者に、「ああ、私はこういう行動をしている。これは建設的ではありません。私は変わる必要があり、変わることを約束します」と認めることが必要です。つまり、正直で謙虚な自己認識を深めることです。そして、その変化が現実のものとなるよう、意図的に祈り始める必要があるでしょう。相手が自分の欠点を認めて変わることを望んでいるかもしれませんが、それはあなたが配偶者に押し付けることはできません。自分自身が変われることのみに関して確信が持てるのです。

最後に、変化のためのロードマップが必要になります。破壊的な行動パターンの根源が子供時代にある場合は、その行動の原因となっている心理的な動きを理解するためのカウンセリングが必要になるかもしれません。また、自分がすべき変化を実行するために、アカウンタビリティ・パートナーやサポート・グループが必要になるかもしれません。そして、霊的な変化が起こるように、神の言葉、神の霊の働き、教会の指導者の霊的な助言に心を開く必要があります。

結婚って困難だったの?行き詰った時の聖書の答え著者について序文著者について宣教師の両親のもと、日本で生まれ育ったテモテ・コールは、成人してからの人生のほとんどを、日本での野外教育、教会の設立、家族のためのミニストリーに費やしてきました。ウィ...
03/09/2025

結婚って困難だったの?
行き詰った時の聖書の答え

著者について

序文

著者について

宣教師の両親のもと、日本で生まれ育ったテモテ・コールは、成人してからの人生のほとんどを、日本での野外教育、教会の設立、家族のためのミニストリーに費やしてきました。ウィートンカレッジで学士号、トリニティ・エバンジェリカル・ディビニティ・スクールで神学修士号、パシフィック・インターナショナル・セオロジカル・セミナリーで名誉神学博士号を取得。ケイティと結婚し、5人の成人した子供と6人の孫がいます。1996年にファミリー・フォーラム・ジャパンの設立に協力し、ディレクターとして講演やセミナーを行うほか、子育てや結婚、セクシュアリティやジェンダーに関する書籍や記事を執筆しています。趣味は大工仕事とアウトドアですが、10年間事故による神経・筋肉系の疾患に悩まされてきました。感謝なことにほとんど回復できましたが、この試練を通して、神がいかに苦難を用いて信仰や人格や人生を清め、磨き、導くかをより理解できるようになりつつあります。

序文

誰がこんなことを予想したでしょうか。私たちは、安定した幸せな家庭で育ちました。二人とも学校ではよく勉強し、有意義な友人関係を楽しみ、仕事や責任をうまくこなしてきました。私たちは、人生、信仰、天職について同じ興味を持っていますし、結婚が神の御心であると確信していただけでなく、周りの人も私たちの結婚に関しては賛成してくれていました。 しかし、それだけでは不十分だったようです。結婚して2週間目に最初の激しい衝突が起こり、現在に至って多かれ少なかれ続いています。

どうにか、そして間違いなく神の恵みによって、私たちは別れることなく、5人の子供を成人まで育て、45年間にわたる実りあるミニストリーを行ってきましたが、それは容易なことではありませんでした。家族の誰もが、私たちの結婚生活の苦悩の傷跡を抱えています。私たちは、本を読み、カウンセリングを受け、祈り、断食までもし、変化や方向転換や癒しの希望を与えるものは何でも試しました。しかし、容易な解決策は私たちの手の届かないところにありました。

なぜ私たちが、日本の主要なファミリー・ミニストリーの立ち上げと指導に(神に)選ばれたのか、理解できません。私が長年ディレクターを務めてきたことは、時に残酷な冗談のように感じられます。しかし、私の中には、困難な結婚生活の苦しみを経験している人々に手を差し伸べたいという情熱があります。涙ながら神様から与えられた洞察を忠実に他の人々にも伝えるよう求められているのだと理解しています。

だからこそ、私は以下の教訓を祈りを込めて提供します。それは結婚生活に苦労しないことにつながるということではなく、何とか読者の皆さんが苦労しながらも結婚生活を続けていく助けになるということです。現実には、私たちの多くにとって、結婚はこれまでも、そしてこれからも厳しいものです。この時代では、結婚に諦めることは簡単です。しかし、神は忍耐する者に報いてくださると私は確信しています(この世でなくても、来世でも)。もう一つの悲しい現実は、まれに別居や離婚が避けられないケースがあることです。これらの教訓が、そのような状況に置かれた人が問題をより明確に考えるに助けになることを願っています。

この本には52のレッスンが含まれています。それぞれのレッスンにはテーマがあり、関連する聖句が提供されていますので、読んで理解するのに15~20分かかります。脚注は、主に外部資料を参照する場合や、より詳細な情報が必要な場合に付けられています。これらの学びは個人のデボーション、カップルのデボーション、またはスタディグループでのディスカッションのきっかけとして使用できます。私は、聖書的で実用的な内容を目指していますが、いくつかのトピックでは、より学術的、研究的なアプローチが必要となりました。そのような意味では、読書を楽しみたい方には残念な結果になるかもしれません。この本は、真剣に...いや、必死に...自分の葛藤に対する聖書的な答えを見つけ、結婚生活に前向きな変化をもたらしたいと思っている人のためのものです。

初期の原稿にコメントや提案をしてくださった方々、書き続けるように励ましてくださった方々、そして様々なレッスンのヒントとなった結婚生活の状況にある方々に感謝します(はい、似ているのは偶然ではないでしょう)。そして何よりも、たとえ希望が持てないような状況であっても、「すべてのこと益としてくださる 」神に感謝します。

長い間ここで投稿できず、大変申し訳ありません。この秋はもっと定期的に情報をお伝えしていきたいと願っています。今日は、私が少しずつ福音的な教会、教派の牧師に送っています手紙を紹介します。皆様の教会の牧師先生に見せていただければ幸いです。私たち...
01/09/2025

長い間ここで投稿できず、大変申し訳ありません。この秋はもっと定期的に情報をお伝えしていきたいと願っています。今日は、私が少しずつ福音的な教会、教派の牧師に送っています手紙を紹介します。皆様の教会の牧師先生に見せていただければ幸いです。

私たちは1980年代に小さないのちを守る会の立ち上げにも協力し、長年運営委員をしてまいりました。そこで気付かされたことは妊娠中絶問題の背後には性倫理と性教育の課題があると言うことでした。そのため、FFJでは聖書的な性教育に力を入れ、この30年間に渡り日本全国で約300の教会やその他の場面で講演会、セミナー、訓練会などをしてきました。性に関係する「危機」は変わらず続いていますが、約15年前からジェンダー・イデオロギーが日本に押し寄せ、約5年前からは福音派の教会や出版社までにも浸透してきています。残念ながら福音派に属する藤本満先生のように、歴史を通して聖書信仰共通の理解と解釈に基づいたジェンダーの理解と性倫理に反する立場を取られる牧師や教師が増えつつあり、そのため、多くの牧師や信徒たちは彼らの解釈の問題点や過ちを知らないまま受け入れてしまい、福音派の間で聖書に反する教え、混乱、そして不一致が伝染病のように蔓延してしまっています。

何故私はあえてこの問題に深く取り組んでいるのでしょうか。短く答えるなら「救い」と「愛」と「真理」が私たちクリスチャンのリーダーにとって重要なことであると信じるからです。1コリント6:9−10は、神様が定めた聖倫理やジェンダー観に反するライフスタイルを続けている人々は天の御国を相続することができないとはっきりと断言しています。ですから、この問題は救いに関係する重要な課題です。次にキリストが示された「愛」とはどのようなものでしょうか?それは何でも容認し受け入れるものでしょうか?いいえ、違います。相手にとっての最善のことを願い、してあげることがキリストの愛です。キリストは十字架での死によってそれを大胆に示されました。では、LGBTQのライフスタイルは人々にとって最善でしょうか?決してそうではありません。逆に個人にとっても、社会にとっても極めて破壊的なものであり、真の愛はそれを容認しません(ただし、当事者たちのことは犠牲的に愛します)。ではジェンダーイデオロギーの主張や「LGBTQ容認派」の主張は「真理」でしょうか?

私の妻の生まれ故郷はLGBTQのメッカ、サンフランシスコ、の郊外ですので、私たちは長年に渡って米国でのジェンダーイデオロギーの教会への侵略と影響、そして、その背後にある戦略を見てきました。また日本では知られていない、いわゆる「同性婚」の悲惨な実態をも目の当たりにしていますし、カリフォルニアに住む親類や友人たちの多くはLGBTQなので、彼らの現実をも身近で見ています。一方、LGBTQのイデオロギーとライフスタイルを弁明する藤本先生らが活用するような理論や「聖書知識」もこの問題に詳しい福音派の優れた学者たちが長年に渡って論破してきた様子をも見てきました。ですから、日本の牧師たちや信徒たちがこのような偽りの理論や聖書のはっきりした教えに反することに騙されないよう、ぐらつかないように願い、私はFFJ出版の「聖書とLGBTQ」を書き、「性の聖書的理解ネット」(NBUS)の立ち上げに協力し、数々のビデオセミナーを制作し、このように皆様にもご連絡を差し上げている訳です。皆様が知らされていない可能性がある情報を提供し、他の信頼性が高い資料を紹介しています。是非ご覧になっていただき、ご活用いただければ幸いです。

最後になりますが、もし皆様の教団、地域の教会の交わり、などでもっと深くこの問題について学びたい思いがありましたら、喜んで協力致しますのでご連絡ください。これまでも、北海道聖書学院、新潟聖書学院、いのちのことば社、保守バプテストの牧師研修会、多くの教団の教会なででセミナーや講義をさせていただいていますので、セミナーの内容などについて確かめていただくことができます。またこの秋にはOMFの宣教師たちの勉強会、そして関西方面の神学校での特別講義なども予定しています。

ここまで忍耐を持って読んでくださり有難うございます。皆様の主にあるお働きの上に神様の祝福を祈ります。

ジェンダーと性関係の資料:
〜 ユーチューブでの講演やセミナー

https://www.youtube.com/watch?v=Q0dnImiZURw (ハーベストフォーラムでの講演会「世界観とジェンダー」)
https://www.youtube.com/watch?v=PaPcMHFm6kQ (同じくハーベストフォーラムでの講演会「聖書とLGBTQ」)
https://www.youtube.com/watch?v=kKLOF6e3gho (同じくハーベストフォーラムでの講演会「精神医療とLGBTQ])
https://www.youtube.com/watch?v=J-UKlsgqFDA&t=2s (CGNTVクリナビの番組)
https://www.youtube.com/watch?v=2DhRMfr5wxI (キリスト教性教育研究会でのセミナー)
〜 ジェンダー問題に関する書籍
★ 「お父さんからの10の手紙〜恋愛・交際・性について知って欲しいこと」https://ffj-shop.ocnk.net/product/64
★ 「聖書と心理学から学ぶ性のあり方 〜ジェンダーの問題を考える〜」https://ffj-shop.ocnk.net/product/56
★ 「聖書とLGBTQ ジェンダーを理解する」https://ffj-shop.ocnk.net/product/67
〜その他の資料
★https://www.cedarville.edu/~/media/Files/PDF/Student-Life-Programs/Critical-Concern/Ex-Gays/jones-and-yarhouse-2009.pdf
★ https://www.nbusjapan.com/books/
https://www.nbusjapan.com/news/cat_news/reference/https://www.nbusjapan.com/qa/

2022年4月9日に行われた、ファミリー・フォーラム・ジャパン、ハーベストタイム・ミニストリーズ、聖書フォーラムの共催で開かれた聖会でのメッセージです。タイトル:「ジェンダーと世界観」講師 :テモテ・コール

住所

緑区鴨居2−5−1
Yokohama, Kanagawa
226−0003

電話番号

+81459333875

アラート

ファミリー・フォーラム・ジャパン(FFJ)がニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

その団体に問い合わせをする

ファミリー・フォーラム・ジャパン(FFJ)にメッセージを送信:

共有する

カテゴリー