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充実した結婚を目指して見ませんか?シリーズの1回目です。
09/08/2026

充実した結婚を目指して見ませんか?シリーズの1回目です。

結婚を困難にする大きな要因は男女の違いです。特に夫と妻の独特な必要を理解することによって多くの衝突を避けることができます。ホームページ...

聖書が語る性とジェンダー#6(*これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です。)第6条私たちは、身体に性分化疾患を伴って生まれた者が、神のかたちに造られていること、また神のかたちに造られた他の...
19/06/2026

聖書が語る性とジェンダー#6
(*これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です。)

第6条
私たちは、身体に性分化疾患を伴って生まれた者が、神のかたちに造られていること、また神のかたちに造られた他のすべての人と等しい尊厳と価値を持っていることに同意する。私たちの主イエスは、「母の胎から独身者として生まれた人たち」ということばに表れているように、そのような人々がいることを認識しておられる。他のすべての人とともに、そうした人々はイエス・キリストの忠実な信者として歓迎され、知っている範囲において生物学的な性を受け入れるべきである。

私たちは、生物学的な性別が曖昧であるために、キリストに喜んで従い、実りある人生を送ることができなくなるという考えを否定する。

解説
この世には、曖昧な身体的性別を持って生まれた人々はいるでしょうか。旧約聖書にも新約聖書にもキリストの言葉にも、神が「人を男と女とに造られた」とあります。人を男か女かに造られた全知全能の神にとって、「曖昧な身体的性別」はないでしょう。しかし、私たち人間にとって、しかも最も専門的知識を持った医者たちでさえも、身体的性別を断定できないほど複雑な場合があります。けれども、そのような状況は、その人々の神の前での尊厳や価値や信仰の歩みやキリストにあっての実りある人生を減少させたり、無にしたりすることはないというのが、ナッシュビル宣言の第6条の主張なのです。

このことは、キリストご自身が明確にしています。マタイの福音書19章12節で、キリストは次のように語っています。「母の胎から独身者として生まれた人たちがいます。また、人から独身者にさせられた人たちもいます。また、天の御国のために、自分から独身者になった人たちもいます。それを受け入れることができる人は、受け入れなさい。」日本語の聖書が「独身者」と訳しているギリシャ語の “Eunouchos” は、実は文脈によって多数の意味を持った言葉でした。キリストは、そのうちの3つについて、この箇所で触れられたのです:

1)曖昧な性器を持って生まれた人々のこと。
2)何かの理由で性器を切り取られた男性のこと(例えば、古代の王の妻たちや側女たちの番をする立場の者は、彼女らと性的関係を持たないよう、そのようにされる場合があった)。
3)自ら結婚せずに独身を選ぶ者のこと。

結婚することを当たり前のこととして受け止めていた当時のユダヤ人社会において、キリストは独身でいる正当な理由がいくつもあることを主張したのですが、その延長としてそのような人々の尊厳をも主張しているのです。いずれにせよ、この第6条はキリストが彼らを尊厳と価値を持った者たちとして受け入れているので、私たちもそうすべきこと、そして、本人たちは自分たちが理解できる範囲で身体的性別を自覚し、喜んでキリストに従うよう呼びかけています。

聖書が語る性とジェンダー#5(*これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です。)第5条私たちは、男女の生殖構造の違いは、人が男または女として自己認識を持つという神の計画に不可欠な ものであるこ...
29/05/2026

聖書が語る性とジェンダー#5
(*これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です。)

第5条
私たちは、男女の生殖構造の違いは、人が男または女として自己認識を持つという神の計画に不可欠な ものであることに同意する。

私たちは、身体的な異常や心理的な状態により、生物学的な性別と男または女としての自己認識との間に神が設けたつながりが無効になるという考えを否定する。

解説
私たちの性には大きく見て4つの要因があります。① 身体的性(持って生まれた体の性別)、② ジェンダー意識(自分の性別をどう感じるか、意識するか)、③ 性的指向(どういう相手に魅力や性欲を感じるか)、④ 性行為(自分の身体的性、ジェンダー意識、性的指向に基づいてどのような性行為を求めるか)。

通常ですと、身体的性が土台となり、それに基づいてジェンダー意識や性的指向が確立されていきます。しかし、ジェンダー意識は家庭での育成状況にも影響されるもので、1歳半から4歳ぐらいの間に男の子は自分の男らしさを、女の子は自分の女らしさを自覚するようになります。しかし、幼児期に子どもが虐待を受けたり、親(特に同性の親)との健全な愛着や絆が成立しなかったり、親の間に極端な力関係のアンバランスがあったり、子どもが性的刺激にさらされたりするとジェンダー意識の確立が妨げられ、そのことで子どもが混乱することが稀にあります。早めに適切なカウンセリングを受けることができれば、多くの場合にはこの混乱は解決し、身体的性と調和したジェンダー意識が育ちますが、場合によっては混乱が大人になるまで続くことがあります。そのような状態を「性別違和症候群」あるいは「トランスジェンダー」とも呼びます。またとても珍しいですが、遺伝的な問題やホルモンの問題などで曖昧な性器を持って生まれる人もいます。この状態を一般的に「インターセックス」(IS)と呼びます。ほとんどの場合には、この問題は適切な治療で解決することができますが、これに関してもやはり例外があります。

ジェンダーイデオロギーの一つの主張は、身体的性とジェンダー意識とは必然的な関係がないと言うことです。つまり、女性の体を持って生まれた人が「自分はどちらかと言うと気持ちは男だ」と主張すれば、その気持ちや意識が身体的性別に優先し、社会からは男として扱ってもらえる権利があるという考えです。しかし、聖書には神が私たちの身体をお造りになったこと、私たちすべてを男か女に造られたことが主張されています。このように書いてあります。「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。私は感謝します。あなたは私に奇しいことをなさって 恐ろしいほどです。私のたましいは それをよく知っています」(詩篇139:13、14)。そして詩篇139:16には、「あなたの目は胎児の私を見られ あなたの書物にすべてが記されました。 私のために作られた日々が しかも その一日もないうちに。」と書かれているように、受精した瞬間にいのちが与えられ、性別が決められるのです。上記の第5条が主張しているのは、神様の素晴らしいご計画の内に身体的性とジェンダー意識の間に密接なつながりがあるよう私たちは造られたということです。

聖書にはこのようにも書いてあります、「被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります」(ローマ8:20、21)。つまり、今では性やジェンダーだけでなく、人間の堕落の影響により、多くのことが神様の創造の秩序と目的と異なった、歪んだ状態に陥っているということです。しかし、だからといって神様の創造のご計画が無効になるわけではありません。むしろ、Ⅱコリント5:17にこう書いてあります。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」。確かに罪の結果として私たちの内に歪んだものがありますが、キリストにあるものは「新しく造られた者」としての現実と希望の中に生きることが可能ですし、そうすることが神様に栄光を与えるのです。

最近は「ジェンダー思想」が日本の多くの福音的な教会や教団を混乱させ、聖書の明確な教えと異なる方向へと導く傾向にあります。そのため、日本各地で聖書に忠実なジェンダー観や性の理解を与えるセミナーを実施しています。その内容は:〜 聖書が教えている...
22/05/2026

最近は「ジェンダー思想」が日本の多くの福音的な教会や教団を混乱させ、聖書の明確な教えと異なる方向へと導く傾向にあります。そのため、日本各地で聖書に忠実なジェンダー観や性の理解を与えるセミナーを実施しています。その内容は:
〜 聖書が教えているジェンダーと性は何か?
〜 一般社会やクリスチャンが無意識に持っている「世界観」はどこからきて、ジェンダーの理解をどう影響しているのか?
〜 ジェンダーの混乱は精神医療の立場からどのように理解したら良いのか?
〜 ジェンダーの混乱を体験している人々への教会の働きかけはどのような形を取るのか?

この数年セミナー活動をしてきた場面の例は:
〜 北海道聖書学院、新潟聖書学院、関西聖書学院などの神学教育の場。
〜 保守バプテスト牧師研修会、OMF世界宣教団などの牧師や宣教師の研修の場。
〜 いのちのことば社、CGNTV、キリスト教性教育研究会、ファミリー・フォーラム・ジャパン、性の聖書的理解ネットワーク(NBUS)などの超教派の場。
〜 北海道から沖縄までの様々な地域の教会やチャーチ・スクールなどの場。
目的はこの重要な課題に関して聖書の立場から「愛を持って真理を語る」(エペソ4:15)ことです。この働きが神様に導かれ、守られますようお祈りください。

聖書が語る性とジェンダー#4(*これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です。)私たちは、神が定めた男女間の違いは、神の創造時の計画を反映しており、人間の益と人間の繁栄のために意図されたもので...
22/05/2026

聖書が語る性とジェンダー#4
(*これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です。)

私たちは、神が定めた男女間の違いは、神の創造時の計画を反映しており、人間の益と人間の繁栄のために意図されたものであることに同意する。

私たちは、このような違いが堕落の結果である、あるいは乗り越えるべき悲劇であるという考えを否定する。

解説
第4条は第3条に似ていますが、強調点が異なります。第3条は、男女が価値において平等であることを強調し、第4条は、男女のそれぞれの特徴が神によって定められたものであることを強調しています。

ジェンダーイデオロギーは、男女の特徴の違いを否定する傾向にあります。その主張に基づいて、多くの先進国では、男女の区別なしに軍隊への徴兵が行われています。その場合、女性にも男性と同じような役割を果たすことが要求されます。スポーツの世界でも、いわゆる「性転換」をした男性が、女性のスポーツに参加するケースが増えています。これを推進する運動は、勢いを増しています。

しかし、肉体的にも精神的にも男性特有の特徴、女性特有の特徴があることは否定できません。例えば、イスラエルのワイズマン研究所の研究発表によれば、男性と女性の間には6,500以上もの遺伝的違いがあるとされています。さらに、男性の上半身の筋力は、女性より平均的に50%多いとも言われています。人間関係の分野でも、女性は毎日平均的に、男性の二倍の言葉数を使用しています。男女の違いを示す典型的な事例があります。女の子は、幼い頃から周りの人々の顔の表情を深く観察し、感情を読み取れるようになりますが、男の子は、周りの物の動きに注目し、それに好奇心を抱くようになるので、顔に表われた感情を女の子ほど正確には読み取れないのです。

ゲイ神学を受け入れる人々が、「ジェンダーイデオロギーの主張」と「否定できない男女の身体的、精神的相違」の間で板挟みになったとき、その矛盾を解決するために、彼らがよく引用するのが、創世記3章16~19節の「呪いの言葉」です。彼らは、男女の違いはエデンの園での堕落の結果であると主張します。しかし、聖書は一貫して、男女の違いを肯定的に表現しています。その一つの例が、王と女王との結婚式を描いた詩編45編です。

まずは、男性であるの王の力と栄光が描写されています。

「あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたの唇からは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福しておられるからだ。勇士よ あなたの剣を腰に帯びよ。あなたの威厳とあなたの威光を。あなたの威光は勝利のうちに進み行け。真理と柔和と義のゆえにあなたの右の手はあなたに教えよ。恐るべきわざを」(詩45:2~4)。

次に女王の美しさがたたえられています。

「王の娘は 奥にいて栄華を極め その衣には黄金が織り合わされている。彼女はあや織物をまとい 王の前に導かれる。おとめたちが彼女の後に付き従い 彼女はあなたのもとに連れて来られる。喜びと楽しみをもって 彼女たちは導かれ王の宮殿に入って行く」(詩45:13~15)。

この詩篇では、男女の違いに関する否定的な表現は、いっさいありません。この詩篇が教えていることは、人は神が与えてくださった男女の特徴を喜び、感謝すべきだということです。

聖書が語る性とジェンダー#3(これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)私たちは、神が最初の人間であるアダムとエバをご自分のかたちに創造され、人として神の前で等しい 存在とし、男と女として...
05/05/2026

聖書が語る性とジェンダー#3
(これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)

私たちは、神が最初の人間であるアダムとエバをご自分のかたちに創造され、人として神の前で等しい 存在とし、男と女として区別されたことに同意する。

私たちは、神によって定められた男女間の違いによって、尊厳や価値において両者が等しい存在ではなくなるという考えを否定する。

解説
「神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった」(創2:7)。

「神である【主】は、深い眠りを人に下された。それで、人は眠った。主は彼のあばら骨の一つを取り、そのところを肉でふさがれた。神である【主】は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた」(創2:21~22)。

「神はご自分が造ったすべてのものをみられた。見よ、それは非常に良かった」(創1:31)。

男女の違いは、聖書の様々な箇所において説明されています。両者は、創造された方法も順番も異なります。さらに、結婚生活においても教会生活においても、両者の役割は異なります。役割の違いを、人の価値や尊厳の問題と混同してはなりません。その点についての誤解があると、聖書の教えを否定したり、聖書は時代遅れだと考えたり、間違った解釈を信じてしまったりします。

一例として、飛行機のパイロットと整備士のことを考えてみましょう。パイロットは立派な制服を着て、権威を持って乗客に語りかけます。一方整備士は、汚れた作業服を着て、誰も見ていない所で作業します。彼には、目立った権威も威厳もありません。では、どちらにより価値があると言えるでしょうか。答えは、価値は同じだということです。なぜなら、役割が違っていても、どちらも存在しなければ、飛行機は飛ばないからです。これと同じことが、男女関係についても言えます。神様は、家庭と教会におけるリーダーとして男性を任命されました。しかし、女性たちが果たす大切な役割がなければ、家庭生活も教会生活も成り立ちません。役割や特徴が違っていても、価値や尊厳に違いがないというのは、そういうことです。

この問題には、もう一つの側面があります。現代のジェンダーイデオロギーは、神が創造された男性と女性の区別を否定しようとします。そして、「男性らしさ」や「女性らしさ」は、「スペクトラム」(境界があいまいで連続しているもの)のようなものであると主張します。この考えに基づけば、人を「男性」、あるいは「女性」と決めつけることは、その人のユニークな人間性を否定し、価値がないものとして扱うことになります。しかし、聖書の観点に基づけば、私たちの人間性と価値は、神の「かたち」に創造された男性、あるいは女性であることの中に存在するのです(創1:26〜27参照)。

聖書が語る性とジェンダー#2(これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)私たちは、神が明らかにされたすべての⼈に対する御心は、婚外では純潔を守り、婚内では貞操を守ることであるということに同...
02/05/2026

聖書が語る性とジェンダー#2
(これは性の聖書的理解ネットワーク NBUS からの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)

私たちは、神が明らかにされたすべての⼈に対する御心は、婚外では純潔を守り、婚内では貞操を守ることであるということに同意する。

私たちは、愛情や、願望、約束があることで、婚前または婚外の性交が正当化され、さまざまな形の性的不道徳が正当化されるという考えを否定する。

解説
世界の主流となっている性教育は、「包括的性教育」と呼ばれるもので、大まかに言って二つの原理から成っています。一つ目は、安全な性行為ができるように教育すること、二つ目は、性的決定権を意識させるような教育をすることです。つまり、妊娠、性感染症、そして暴力的な性行為のリスクなどを避けさえしていれば、人々はいつ、誰と、どのようなセックスをするかを決める権利がある、という教育です。

クリスチャンの間でも、このテーマに関して混乱している人々は少なくありません。その理由は、性行為に関する聖書の倫理や基準を学んだことがないからです。また、学校で包括的性教育を教えられてきたため、多数の人との性的関係を避けさえすれば、自分たちは聖書の「精神」に従っている、それで十分だ、と思い込んでいるからです。

しかし、使徒パウロは次のように書いています。
「あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません」(1コリ6:9~10)。

「不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい」(1コリ6:18~20)。

ある人たちは、このような禁止事項はパウロ独特の命令であって、現代の私たちには関係がないと主張します。しかし、パウロが挙げている禁止事項は、その全てが旧約聖書にこと細かに記されているものです(レビ18章の全章参照)。
キリストも、山上の垂訓やその他の箇所で、性的罪に関してはっきりと教えておられます(マタ5:27~32、19:3〜9参照)。
性行為についての聖書の教えは明確です。あらゆる意図的な性的刺激、性的絆、性的快楽をもたらす行為は、結婚という枠組みの中においてのみ行うべきものです。また、互いに愛情があったとしても、将来結婚する約束をしていたとしても、あるいはなんらかの事情で結婚が不可能な状態にあったとしても、結婚関係が存在していなければ、性的関係を持つことは許されません。神は、それを禁じておられます。

自分たちには性的決定権があると教えられてきた世代にとっては、このような聖書の教えは堅苦しくて、偏狭で、非現実的なものに感じられるかもしれません。しかし、私たちを創造してくださった神様が、私たちの最善と祝福を願って、愛の表現としてこのような戒めを与えておられることを覚える必要があります。

聖書が語る性とジェンダー#1(これは性の聖書的理解ネットワークからの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)私たちは、神が作った結婚は、性的で、出産を伴い、生涯にわたる契約関係であり、一人の男と一人の女が夫と妻として一つになるものである...
01/05/2026

聖書が語る性とジェンダー#1
(これは性の聖書的理解ネットワークからの伐採ですが、テモテ・コールが書いた解説です)

私たちは、神が作った結婚は、性的で、出産を伴い、生涯にわたる契約関係であり、一人の男と一人の女が夫と妻として一つになるものであること、またキリストとその花嫁である教会の間で結ばれた契約に基づく愛を象徴していることに同意する。

私たちは、神が結婚を同性愛、一夫多妻、多夫多妻の関係となるように計画されたという考えを否定する。また、結婚が神の前で結ばれる契約ではなく、単なる人間の契約であるという考えも否定する。

解説
最近一部のLGBTQの人々は、いわゆる「同性婚」の合法化を求めています。既に「同性婚」が合法化されている国々では、結婚の定義を広げ、三人以上の「結婚」、子供と大人が結ばれる「結婚」、動物を含む「結婚」などの合法化も検討され始めています。結婚が、人間が作り出した制度であるなら、その定義を変更することもあり得るでしょうが、聖書を神のことばと信じるクリスチャンにとっては、そのような考え方は受け入れられません。それは、神が忌み嫌われることだからです。

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」 (創世記2:24)とあります。聖書の最初の章(創世記1章)で、神によって創造された二つの性の起源と本質が説明され、第2章で、神によって創造された結婚の起源と本質が説明されています。これは、非常に重要なことです。
聖書には、結婚に関する教えが多くありますが、それらの教えはすべて、創世記1章と2章で啓示された真理の補足説明となっています。

例えば、預言者マラキは、結婚は生涯続く契約であると断言しています。
「…それは【主】が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。『妻を憎んで離婚するなら、──イスラエルの神、【主】は言われる──暴虐がその者の衣をおおう。…」 (マラキ書2:14~16)

イエスは、マタイ19:3~9で、パリサイ人たちに同じ内容のことを教えておられます。

ソロモン王は息子たちに、性的な親密さは男女の結婚生活の中だけで楽しむものであると教えています。
「あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。…わが子よ。あなたはどうして他国の女に夢中になり、見知らぬ女の胸を抱くのか」(箴言5:15~20)。

パウロは、コリント人への手紙第一6:18~7:5で、同じ命令を繰り返しています。

結婚がキリストと教会の関係の象徴であることを教えたのも、パウロです。
「妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。…夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。…」(エペ5:22~33)

一方、聖書のどこにも、一人の男性と一人の女性以外の結婚の形態を認めるような記述は見つかりません。同性愛は、旧約聖書でも新約聖書でも明確に禁止されており、女性が複数の男性と関係を持つことも(配偶者の死とそれに続く再婚以外は)、禁止されています。一夫多妻制は旧約聖書では直接的禁止されていませんが、新約聖書では、「一人の妻の夫」であることが教会時代の倫理規範であることを、パウロが示唆しています。

以上の理由によって、聖書を信じるクリスチャンは、いわゆる「同性婚」、一夫多妻制度の結婚、また第1条に定義されている結婚の形態以外のあらゆる「結婚らしき関係」を肯定したり、祝福したり、黙認したりすることはできません。

住所

緑区鴨居2−5−1
Yokohama, Kanagawa
226−0003

電話番号

+81459333875

アラート

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