25/03/2026
山の辺の道にまつわる悲しい物語
「石の上 布留を過ぎて 薦枕 高橋過ぎ 物多に 大宅過ぎ 春日春日を過ぎ 妻隠る 小佐保を過ぎ 玉笥には 飯さへ盛り 玉盌に 水さへ盛り 泣き沾ち行くも 影媛あはれ」
和爾下神社の境内には、日本書紀のこの一節を記した石碑が建てられています。
時は5世紀末、美しい影媛を巡って2人の男が争った悲恋伝説を『日本書紀』(武烈天皇紀)は伝えています。
女は豪族物部氏の娘、影媛。争ったのは時の皇太子(後の武烈天皇)と朝廷の権力者だった平群真鳥臣の子、鮪でした。海柘榴市の歌垣で、影媛の心はすでに鮪のもので自分の意のままにならないと知った皇太子は、大伴金村に命じて鮪を乃楽山で殺し、さらに真鳥をも攻め滅ぼしてしまいます。
我がために討たれる愛しい人を追いかけて、影媛はひたすら北へと向かいましたが、時すでに遅し。影媛は泣きながら歌いました・・・。
海柘榴市から布留、大宅、春日から乃楽山へ・・・。泣きながら影媛がたどった道こそが古代の山の辺の道だったのだろうと思われます。
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