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【開催報告】ことばのたき火場 第136回「違和感」を自分を生きる道しるべに。誰もが自然体でいられる食卓を灯し続ける ―山中千怜さんが語る「たまたま」出会えた温もりと、前向きに切り開く自立への決断■ 驚きと喜びが交差する、温かな「たき火」の始...
13/08/2026

【開催報告】ことばのたき火場 第136回
「違和感」を自分を生きる道しるべに。誰もが自然体でいられる食卓を灯し続ける
―山中千怜さんが語る「たまたま」出会えた温もりと、前向きに切り開く自立への決断

■ 驚きと喜びが交差する、温かな「たき火」の始まり
 会場の扉を開けると、そこには優しく、どこか懐かしい「ことばのたき火場」の温かな空気が広がっていました。今回のゲストは、気仙沼を拠点に「おとなり食堂」や「自治会支援」など多岐にわたる活動を手掛け、周囲から「ちさってぃ」の愛称で親しまれている山中千怜(ちさと)さんです。

実は、この日の始まりには、映画のような劇的なサプライズが待っていました。少し遅れて会場に現れた参加者の「シュンティ」こと渡辺さん。彼が席に着いた瞬間、二人の目が丸くなりました。「えっ!本当にびっくり!」「まさかこの仙台の、この界隈で交わるとは……!」と、お互いに動揺を隠せないまま驚きの声をあげたのです。 それもそのはず、二人は同い年であり、去年まで千怜さんが気仙沼でコーディネーターを務めていた「ぬま大学」という市民プログラムに、シュンティさんが受講生として参加していたという、深い絆で結ばれた仲間同士だったのです。 この偶然の再会がもたらした心地よい熱気が、会場全体の緊張をふわりと解きほぐしていきます。場の温度がぐっと上がったところで、千怜さんのスピーチが始まりました。

「本当に自分の話をするのが苦手なんです」とはにかみながら語る千怜さん。ライブ感のある対話を楽しみたいと、あえてガチガチのプレゼン資料は作らず、先月地元の中学校で話したという優しく可愛らしいスライドをモニターに映し出しながら、自身のこれまでの歩みをポツリポツリと、しかし真摯に語り始めてくれました。

■ 震災から始まった、一つの場所にとらわれず動き続ける人生
 モニターに映し出されたスライド『これまでのこと』には、千怜さんの波乱に満ちた10代・20代のライフヒストリーが描かれていました。 最初の大きな転機は、中学3年生の卒業式を翌日に控えたあの春、地元・気仙沼で被災した東日本大震災でした。当たり前の日常は一瞬にして失われ、卒業式は延期、高校の入学式も大幅に遅れるという混乱と復興期の中で、彼女の青春時代はスタートしたのです。

そんな中、千怜さんは同級生が立ち上げた「気仙沼の高校生団体」に参加します。高校生自らが地域の観光を盛り上げようとする熱い活動を通じて、千怜さんは数多くの魅力的な大人たちと出会いました。「こんなにも自分たちを信じて、応援してくれる大人たちがいるんだ」「何もないと思っていた気仙沼だけど、意外と面白い場所なのかもしれない」。それまで地域に対して特段の思いを抱いていなかった彼女の心に、気仙沼への確かな愛着が芽生えていきました。

一度はそのまま気仙沼に残ることも考えた千怜さんですが、「もっと広い世界で力をつけてから、気仙沼に戻ってきて面白いことをしよう」と決意します。高校卒業後は地元を飛び出し、仙台の宮城大学へ進学して食品科学を学びました。その後、仙台での就職を経て、「東京も見てみたい」と20代半ばで東京の一般企業へ転職。コロナ禍真っ只中の激動の時期を東京で過ごしました。 現在は、ご縁があって今年の4月から長野県小諸市との「2拠点生活」を送りながら、会社員という枠にとらわれず、複数のプロジェクトを軽やかに掛け持つ、自由でマイペースな生き方を体現しています。一つの場所にとらわれず、直感のままに動いてみる。そのバイタリティの根底には、復興期を駆け抜けた彼女ならではの「動き続けるしなやかさ」がありました。

■ おばあちゃんの死と、食卓の原体験から生まれた「おとなり食堂」
 スライドが『地域コーディネーター』『おとなり食堂』へと切り替わると、千怜さんの活動の核心である「幸せの探求」に話が及びます。 25歳の時、東京にいた千怜さんを襲ったのは、気仙沼で一人暮らしをしていた大好きなおばあちゃんが、誰にも看取られることなく一人で亡くなってしまったという、あまりにも悲しい知らせでした。 「離れていても、もっと自分にできることがあったのではないか」――おばあちゃんを救えなかったという深い後悔と、「贖罪(しょくざい)」に似た強い想いが千怜さんの胸を支配します。地域における孤立や見守りの必要性を痛感した彼女は、25歳で気仙沼へUターンすることを決意しました。

しかし、なぜ千怜さんはその繋がりの場として「食」を選んだのでしょうか。そこには、彼女の繊細な原体験が隠されていました。 実は、千怜さんは幼少期、実家での家族との食卓に良い思い出がなく、食事そのものに強い苦手意識とコンプレックスを抱えていたと言います。そんな彼女の心を救ったのが、大学進学後に家族以外の人たちと出会い、共に食卓を囲んだ経験でした。 「家族以外の人と囲む食卓が、こんなにも温かくて楽しいなんて」 「食事を共にする時間だからこそ生まれる、程よく、居心地の良い距離感がある」

食卓が持つ不思議な力に救われた千怜さんは、おばあちゃんへの贖罪の想いと、自身が救われた食卓の温もりを重ね合わせ、2023年、津波被災者の方々が暮らす災害公営住宅を舞台に「おとなり食堂」を立ち上げます。1食500円で、多世代の誰もがフラットに集まり、温かいご飯を一緒に食べる居場所。それは、孤独や孤立、孤食を防ぐための、優しく力強い地域のセーフティネットとなっていきました。

さらに彼女の活動は進化を続けます。おとなり食堂で住民と深く関わる中で、公営住宅には高齢化や経済的困窮、精神的な生きづらさを抱え、既存の町内会や自治会に馴染めず孤立している「社会的弱者」と呼ばれる人々が多く暮らしている現実に直面しました。 「1対1の食卓だけでは、彼らを本当の意味で支え続けるのは難しい。暮らしの土台である『自ら地域を治める仕組み(自治)』そのものを、当事者と一緒に見直していかなければ」 そう痛感した千怜さんは、今年から自治会の役員たちと徹底的に対話を重ねる「自治会支援(気仙沼探究部)」の活動を本格化させました。「そもそもこの古いイベントは本当に必要なの?」という本質的な問いを一緒に投げかけながら、高齢化した住民たちが毎日を心から安心して、楽しく生きられるための地域自治を伴走支援しているのです。

スライドの最後には、千怜さんが大切にしている「幸せの3つの軸」が綴られていました。 「私にとっての幸せって、ぶっちゃけ何なのか分からないんです。でも、そんなテーマでこうやって頭を抱えて悩めること自体が、マジで幸せだなと思うんです」 そう笑顔で語る彼女の軸は、非常にシンプルで、かつ深い説得力に満ちていました。 ① 選択肢があること(自由度・何かに囚われないこと) ② 納得感を持つこと(他人軸ではなく、常に自分の違和感に向き合い自分軸で選ぶこと) ③ 今を生きること(過去の後悔や未来の不安にとらわれず、悩んでいる今の自分すら面白がること)

■ 家族という深い呪縛に迫る、真摯な対話の局面
 千怜さんが一通りのライフストーリーを語り終えた後、対話会はより深く、パーソナルな領域へと入っていきました。主催者の山崎さんが、千怜さんの胸の奥にある「家族との関係」について、優しく、しかし確信に満ちた問いを投げかけます。 「さっき、家族とあまりうまくいっていなかったと言っていたけれど、そこにはどんな感情があって、おばあちゃんはどんな存在だったのか、話せる範囲で教えてもらえませんか」

千怜さんは少し視線を落とし、静かに、一言ずつ言葉を紡ぎ出しました。 彼女の両親は、二人とも教師。さらに姉も教師という、絵に描いたような「教育者一家」でした。家庭は非常に過干渉で、彼女が何をしているかをすべて把握し、常に高い期待を寄せる場所だったと言います。 「親の機嫌を損ねてはいけない、失望させてはいけない、怒らせてはいけない」 幼い千怜さんの心には、その抑圧が深く、強固に染みついていきました。高校生団体に入った時、大人から「あなたの好きなことを何でもやっていいよ」と言われたにもかかわらず、自分の中に「やりたい」という自分軸が完全に失われており、立ちすくんで何もできなくなってしまったという痛烈な記憶を、千怜さんは振り返ります。

大学進学を機に一人暮らしを始め、初めて物理的な解放感を得た千怜さん。しかし、一歩外の世界に出て他者と出会う中で、「自分の育った家庭は、少しおかしかったんだ」「他の家とは違っていたんだ」と客観的に気づかされた瞬間、今度は別の深い闇が彼女を襲いました。「これまで自分が過ごしてきた時間は一体なんだったんだろう、もったいなかったな」という深い後悔と、根深い自信のなさが、彼女の心にこびりついて離れなくなってしまったのです。

それでも千怜さんは、ただ傷つくだけでは終わりませんでした。30歳になった今年、彼女はある決然とした、しかし驚くほどすがすがしい決断を下します。 Uターン後、大好きなおばあちゃんが遺してくれた空き家に住んでいた千怜さん。しかし、その家は現在、両親の所有物でもありました。 「おばあちゃんの家に住み続けている限り、どうしても両親との関係性の縁が引きずられてしまい、自分の心に違和感が残り続けてしまう。でも、この5年間、おとなり食堂を本気でやり切る中で、おばあちゃんに対する贖罪の気持ちは十分に果たせた、自分の中でやり切ったという納得感を持てたんです。だから、この家を離れて引っ越すことにしました」

そして、千怜さんは穏やかな笑顔のまま、こう続けたのです。 「新しい家に引っ越したら、親とは1度、縁を切ってみようと思っています。1回切ってみたいんです」

これは、決して怒りや憎しみに任せた「断絶」ではありません。これまでは親の期待に応えること、関係を修復することだけが正解だと思い込まされてきたけれど、自分の人生を納得感と自分軸で生きるために、お互いのために「1度、適度な距離を置いて自立する」という、きわめて前向きで主体的な選択でした。客観的な視点をくれるパートナーの存在も、彼女のこの決断を優しく支えていました。

千怜さんにとっておばあちゃんは、小学6年生の時に初めて家出した際、1ヶ月間も無条件で優しく受け入れ、ただ一緒に穏やかに暮らしてくれた、人生で唯一「そのままの自分でいられた安心の原風景」だったのです。

■ 交錯するそれぞれの人生と、自分を指す「矢印」
 千怜さんのあまりに率直で、嘘偽りのない言葉の数々は、たき火の周囲にいた全員の心に、それぞれが抱える家族への想いを激しく去来させました。

60代の澁木さんは、自身の歩んできた人生と照らし合わせ、静かに口を開きました。 「僕も若い頃は父親にものすごく反発してね、徹底的に喧嘩をして、結婚式にも『親なんて来なくていい』とまで言ったんだ。でも、親が死んでこの年齢になって振り返ると、あれは自分が大人じゃなかったな、気にせず聞き流しておけばよかったなと、深い反省がある。親孝行できなくて申し訳なかったという気持ちも含めてね。親がどんな過干渉だったとしても、そういう環境があったからこそ今の自分がある。すべてをマイナスではなく、自分を成長させてくれたプラスの刺激として受け止めた方がいいよ」

長年人生を生き抜いてきた先輩としての、痛みを伴うリアルな助言。それに対し、山崎さんは千怜さんの心に寄り添うように優しくフォローを入れます。 「無理に納得する必要も、無理に違和感を打ち消す必要もないんだよ。1回切ってみるというのも、千怜さんにとって今のタイミングで腹落ち感を得るために、どうしても必要なプロセス。そうやって一度距離を置いたからこそ、いつか親が亡くなった後なのか、あるいはその前なのか、客観的に親という存在を捉え直して、感謝できる日が来るかもしれないんだから。今は自然体のままでいいんだ」

その時、千怜さんと同い年のシュンティさんは、千怜さんの話に胸が詰まっていました。実は、彼はちょうど昨日まで実家に帰省しており、今日仙台に戻ってきたばかりだったのです。 親の期待、過干渉から逃れたいけれど逃れきれない自分自身の葛藤。それが千怜さんの語る言葉と生々しく、完璧に重なり合い、シュンティさんは「心に突き刺さって、言葉にならない……」と言葉を詰まらせていました。

しかし、シュンティさんは千怜さんの決断の中に、目の前が明るくなるような光を見出していました。 「千怜さんの話を聞いていて、本当にすごいなと思ったのは……すべての矢印(ベクトル)が、相手ではなく『自分自身』に向いていることなんです。親を一方的に責めたり、環境のせいにしたりするのではなく、おばあちゃんへの贖罪も、引っ越しも、親と1度縁を切るという決断も、すべて『自分が納得感を持って生きるために、自分がどう行動するか』という自分へのフォーカスになっている。その考え方に、ものすごく救われた気がします」

千怜さんは、シュンティさんの言葉を深く深く噛みしめるように、こう答えました。 「他人に矢印を向けるのって、どこかで怖いことなのかもしれない。だからどうしても自分に向いてしまう。でも、自分が今なぜこうなっているのかを紐解くためにも、こうやって自分の過去と向き合って、違和感を丁寧に見つめ直す時間は、私にとって本当に大切なことなんだと改めて気づかされました」

■ 結び:たき火の余韻と、未来へのエール
 イベントが終わり、心地よい静寂の中で私たちが受け取ったのは、「自分らしく、自然体で生きる」ということの、本当の強さと温もりでした。

千怜さんが抱えてきた葛藤、そしてそれを自らの手で一つひとつ切り開き、勝ち取ってきた「1度、親と縁を切ってみる」というすがすがしい決断。彼女がそのプロセスの果てに浮かべた驚くほど澄み切った笑顔は、まるで温かな見えない「電線」のように、たき火を囲む私たち全員へと伝染していきました。

「結局、みんなで美味しくご飯を食べられる状態が、一番幸せ。たまたま恵まれた環境に生まれた人も、たまたまそうでない環境にいる人も、みんなが『たまたま』同じ星の下で生きている。だからこそ、みんなでご飯を囲んで『美味しいね』って笑い合える世の中を作っていきたい」

他人からの期待や、家族という呪縛。そこから抜け出す一歩は、とても怖くて、痛みを伴うものかもしれません。しかし、自分の心のなかに生じる「違和感」を無視せず、納得感を持って自分で自分の環境を選び取ったとき、その先には、こんなにも美しく、すべてを包み込む「すがすがしい笑顔」が待っているのです。

さあ、あなたも一歩、心の違和感に耳をすませてみませんか。 周りの期待ではなく、あなた自身の「自分軸」で動き出したその瞬間に、あなたを縛る鎖は解け、誰もが自然体で笑い合える、温かな食卓への扉が拓かれるはずですから。

【開催報告】ことばのたき火場 第135回強さの鎧を脱ぎ捨てて見つけた、等身大の「最小幸福論」―鈴木颯良くんが語る、自分サイズのピースを拾い集める生き方と、その背景にある葛藤の軌跡―今回の「ことばのたき火場」は、いつもとは少し違う、非常に洗練...
13/08/2026

【開催報告】ことばのたき火場 第135回
強さの鎧を脱ぎ捨てて見つけた、等身大の「最小幸福論」
―鈴木颯良くんが語る、自分サイズのピースを拾い集める生き方と、その背景にある葛藤の軌跡―

今回の「ことばのたき火場」は、いつもとは少し違う、非常に洗練されたプレゼンテーションから幕を開けました。ゲストは現在22歳の鈴木颯良(そら)くん。落ち着いたトーンで「あなたは今、満月ですか?」と参加者に問いかけるところから、彼のトークはスタートしました。

■ スピーチ:完璧な「満月」を目指さない、ゆとりある「最小幸福論」
 颯良くんが語る「幸せ」とは、仕事や人間関係などすべてが満ち足りた「満月」のような状態ではありません。幸せはずっと続く空気のようなものではなく、その瞬間に自分の気持ちが向いているベクトルにだけ存在するものであるといいます。だからこそ、自分の欠けている形を理解し、その時々にピタリとはまる「小さなピース」を一つずつ拾い集めていくことが大切なのだと語ってくれました。
たとえば、サイゼリヤでミラノ風ドリアを頼んで、ちゃんとミラノ風ドリアが出てくること。得意なピアノを弾くとき、自分の思い描いた音と指から出る音が重なる瞬間。そうした日常の小さなゴールを設定し、期待値を上げすぎずに三日月を少しずつ太くしていく――彼はそれを「最小幸福論」と呼んでいました。人生を変えるような巨大な幸運にすべてを預けるのではなく、小さな幸せをたくさん持っておくという彼の考え方は、20代前半とは思えないほど豊かで、ゆとりを感じさせる心地よいものでした。
しかし、この美しい理論は、初めから彼の中にあったわけではありませんでした。スピーチの後半で、颯良くんは自らの葛藤を明かします。かつての彼は「自分が圧倒的に強くなれば、すべて解決できる」と信じ、同世代よりも早く外の世界に出てビジネスを経験し、「強さの鎧」を身にまとっていました。しかし、そのギラギラした鎧を着たまま大学という日常に戻った結果、同級生からは生意気だと敬遠され、周囲との間に深い溝ができてしまいます。「強さを外に誇示し続けることは人を遠ざけてしまう」。そう気づいた彼は強さの鎧を脱ぎ、自分が影響を与えられる小さな範囲で良い構成要素になれればいいと考えるようになったそうです。

■ 質疑応答:紐解かれる生い立ちと、見事な「種明かし」のライブ感
 スピーチが終わり、参加者との質疑応答に入ると、場の空気は一変しました。特にこの日の見事なアクセントとなったのが、小学校時代から颯良くんをよく知る同級生のお母様・三木さんの存在です。三木さんの証言や会場からの問いかけによって紐解かれていった彼の生い立ちは、先ほどの静かな理論とは裏腹に、驚くほどディープで破天荒なものでした。
まず話題に上ったのは、長男として育った彼のご家庭のルール。彼のご両親は「テストで460点以上を取る」といった親が定めた明確なハードルさえ越えれば、基本的には何をしても見守ってくれるという、厳しくも個人の意思を尊重してくれる環境だったそうです。 そんな自由な環境と彼のスケールの大きさを象徴するのが、三木さんが明かしてくれた「ゲームセンター5000円事件」です。ある日、颯良くんの親御さんから5000円を託され、三木さんが子供たちをゲームセンターへ連れて行った際のこと。なんと颯良くんは、預かった5000円を、絶対に取れないような大きなクレーンゲームに全額つぎ込んでしまったのです。その結果、三木さんの息子さんが「一緒に怒られてごめんな」と申し訳なく思ってしょぼくれている横で、当の本人は全く悪びれることなくケロッとしていたという大物エピソードには、会場も大爆笑に包まれました。

■ 自分が恵まれた環境にあるという気づき
 そして会場がさらにどよめいたのが、彼の特異な生育環境です。祖父が鉛筆会社のトップを務める経営者一族の元に生まれ、物心ついた頃からタキシードを着てワイングラスを持ち、大物経営者たちのパーティーで大人たちに挨拶をして回っていたと言います。目の前で飛び交うのは、企業の買収や経済状況といったビジネスのリアルな会話。破天荒な経営者たちをロールモデルとして育つ中で、自然と「経営の匂い」を肌で吸収してきたのです。
しかし幼い頃の彼は、戦隊モノのふりかけを食べているからみんなと同じだと思っていたそうです。ところがある日、「みんなは家でケーキを食べるのに、なぜうちは毎年メトロポリタンに行くのか?」「なぜスーツを着てクリスマス会をしないのか?」と疑問に思い、小学5年生の時に祖父を問い詰めました。そこで「実はそういう家だよ」と教えられ、家の鉛筆や文房具がすべて会社から名前入りで支給されるため「自分で鉛筆を買ったことがない」ことの理由が初めて腑に落ちたという、恵まれた環境を自ら確認したエピソードには、驚きと納得の声が上がりました。

■ ピアノ少年が挑んだ野球での「理不尽な壁」と大学でのリベンジ
 特別な環境で育ち、中学の生徒総会では「誰が安全管理するんですか?」と大人顔負けの理詰目で先生を追い詰めるような、早熟で少し生意気な一面も持っていた颯良くん。しかし、彼にも努力ではどうにもならない理不尽な壁がありました。それが「体格」です。
実は颯良くん、卒業式でピアノを弾くほど音楽が得意で、周囲の誰もが吹奏楽部に入ると思っていました。しかし、三木さんの旦那さんから「野球部やろ」と声をかけられ、ご両親からも「吹奏楽部は楽器が高いから野球でいいよ」と言われたことで、なんとノリで野球部に入部してしまいます。(ちなみに、小学生時代の野球の試合で大振りして目が回り、あろうことか全力で三塁へ走ってしまったという破天荒すぎる「振り逃げ事件」も三木さんから暴露されていました!)
いざ野球に打ち込んでも、どんなに素振りをしても、体が大きな選手にはスイングスピードで敵いません。理不尽な思いを抱えながらも、彼は駅伝の大会で区間賞を取り、「走ること」なら勝負できると気づくなど、自分が勝てる場所を自ら見つけ出すしたたかさを持っていました。
そんな彼が大学生になり、体がごつくなったことで「ワンチャンもう一回野球でリベンジできるかも」と思い立ち、サークルへ足を運んだそうです。すると、かつての苦戦が嘘のように、自分でも驚くほどホームランを量産できたといいます。「やっぱ体でかいやつが勝つスポーツなんだ」――自分が打てるようになったことで、当時のハンデが才能ではなく純粋に体格であったことを、振り返る意味で清々しいまでに悟ったというエピソードには、会場も思わず笑いに包まれました。

■ 葛藤を経たからこその「最小幸福論」
 そして話題は、スピーチでも触れられていた「大学での挫折」のさらに深い部分へ。学生時代、インターン先の社長から「俺を超えろ」と発破をかけられた颯良くんは、いつ寝ているのかもわからないほど猛烈に働き、社会人のプロにも負けない圧倒的な実力を手に入れました。しかし、そのギアを上げきった状態のまま大学へ行ったことで、強烈な違和感に苛まれます。外の世界の自分と、大学にいる自分。どこに自分の居場所があるのか分からなくなり、最終的に彼は無理に自分をはめ込むのをやめる選択をしました。
質疑応答を通じて、点と点が繋がっていくような感覚がありました。 特別な環境で育ち、実力をつけるために背伸びをし続け、そして壁にぶつかって「降りる」ことを経験した颯良くん。幼い頃から彼の成長過程を見てきた三木さんからも、「昔は尖っていたけれど、本当に丸くなったし、話し方も柔らかくなった」と、目を細めるような温かい感想が語られました。
無理に肩肘を張るのをやめ、等身大の自分を受け入れた彼だからこそ、冒頭で語られた「期待値を上げすぎず、今の自分に合う小さなピースを拾い集める」という抑制気味の幸福論に行き着いたのだと、すべてが腑に落ちました。
見事な理論から始まり、生々しい対話を通じて、まるで一周回って種明かしがなされたような圧倒的な納得感。彼の面白く、そしてどこか泥臭い人生の軌跡に、これからもエールを送り続けたいと心から思える素晴らしい夜でした。

【開催報告】ことばのたき火場 第134回 高校中退は「ドロップアウト」ではなく「テイクオフ」。未知の世界に飛び込み、自らの人生を手作りする物語 ―田原花音さんが語る、オンラインの邂逅から見つけた「学校以外の居場所」今夜の舞台は、仙台市市民活...
13/08/2026

【開催報告】ことばのたき火場 第134回
高校中退は「ドロップアウト」ではなく「テイクオフ」。未知の世界に飛び込み、自らの人生を手作りする物語 ―田原花音さんが語る、オンラインの邂逅から見つけた「学校以外の居場所」

今夜の舞台は、仙台市市民活動サポートセンターの研修室。 普段は様々な学びや活動の拠点となるこの場所に、今夜は温かな「ことばのたき火」が灯りました。 第134回を迎えたこの場には、ゲストである田原花音さんの活動を以前から見守ってきた友人や、彼女の型破りな経歴に関心を寄せる人々が顔を揃えました。 冒頭のチェックインでは、単なる興味を超えた「彼女の言葉を真正面から受け止めたい」という熱い期待感が会場を包み込みます。 そこに現れた田原さんは、柔らかい陽だまりのような雰囲気を纏いながらも、その瞳の奥には、自ら選んだ道を歩む者だけが持つ、しなやかで強固な「芯」が宿っていました。 彼女はかつての自分を振り返り、「高校の学生証の写真は、今見ると本当に『病んでそう』で、ストレスが顔に出ていた」と笑います。 しかし、今、目の前にいる彼女の表情は、それとは対極にある生命力に満ちていました。

■軌跡の始まり:南相馬から仙台、そして「都会」への戸惑い
 田原さんの物語の原点は、福島県南相馬市にあります。 2004年に生まれ、山奥の自然に囲まれて育った彼女の日常は、2011年の東日本大震災によって断絶されました。 喜多方への避難を経て、中学3年生の夏という、アイデンティティが形成される重要な時期に、彼女は仙台・長町へと転居します。 当時の彼女にとって、仙台は「ビルばかりがそびえ立ち、人が溢れる怖い場所」でした。 山や田んぼが当たり前だった彼女にとって、アスファルトの街並みは「自然がなければ呼吸ができないのではないか」という本能的な不安を抱かせるものだったといいます。 しかし、実際に住んでみた長町は、そんな彼女を「ウェルカムな空気」で迎え入れました。 「杜の都」の豊かな緑は彼女に安堵を与え、24時間営業の店がもたらす利便性は、かつての生活を知る彼女にとって新鮮な驚きでした。 自然との共生という感性を守りつつ、都会の合理性を柔軟に受け入れていく、この時期の経験が彼女の土台を築いたのです。

■デジタルネイティブの覚醒:コロナ禍とオンラインでの邂逅
  高校進学後、彼女の人生は予期せぬ形で加速します。 きっかけは、コロナ禍による一斉休校でした。 高校1年生で入部したJRC部(ボランティア部)の活動を通じて、SDGsのカードゲームイベントに参加。 そこで出会った渋谷雅人(しぶっち)氏をはじめとする大人たちに促されるままFacebookの世界へ飛び込んだ彼女は、実名・顔出しが基本の大人のコミュニティで、全国各地の多様な価値観と対等に交わり始めます。 ここで、デジタルネイティブとしての彼女の才能が瞬く間に開花しました。 彼女の中学校では、友人の誕生日に思い出の写真を繋ぎ合わせた動画をプレゼントする文化があり、同級生の誰もが息をするように動画編集に親しんでいました。 彼女は「分からないことはまずググり、何でも機械で覚えていく」というデジタル世代特有の強みを活かし、Facebookでライブ配信を行う大人たちに向けて、自ら動画編集のセミナーを開催するようになります。 さらに、コロナ禍で外出が制限される中、沖縄の参加者がオンラインでウクレレを教え始めたことにヒントを得て、全国の大人たちが各自で演奏した動画をひとつにまとめるプロジェクトを企画。 オーストラリアからの参加者も交えた40人規模の合唱動画を見事に完成させ、物理的な距離を超えて「心が繋がる」ことを確信します。 また、無料ツール(Wixなど)を使って大人たちのホームページを制作してあげるなど、「特別な知識がなくても、行動しながら学べば相手に価値を提供できる」という成功体験を重ね、学ぶことと与えることの好循環を回し始めたのです。

■決断と葛藤:学校の枠を飛び出し、未知の世界へ
 オンラインでの刺激的な対話は、既存の教育システムに対する強烈な違和感となって跳ね返ってきました。 コロナ明け、再開された学校へ戻った彼女は、わずか1週間で「中退」を決断します。 しかし、決断の代償は小さくありませんでした。 外へ出れば同級生に会うかもしれないという恐怖や、「いい大学へ」という祖父母からの期待とのギャップに苦しみ、約2年間の壮絶な葛藤を経験します。 そんな彼女を外へ連れ出したのは、やはり外の世界の大人たちでした。 全国にいる書道家やカメラマンなど、型破りな生き方をする大人たちに自ら会いに行くことで、手触り感のある確信を得ていきます。 その後、さらなるスキルアップを目指してスクールでWebマーケティングを学び始めた彼女は、「顧客のニーズ」と「商品の強み」を分析して繋ぎ合わせる広告運用の仕事にのめり込み、本格的に個人事業主としてのキャリアをスタートさせます。 めきめきと頭角を現した彼女は、なんと18歳にしてそのスクールの講師や東北エリアでの無料セミナー登壇を任されるまでになりました。 約2年間で100人以上の生徒を指導する立場となりましたが、当時彼女はまだ18歳。 「若いというだけで舐められてはいけない」というプレッシャーから、登壇する際は「いかに年長者に見せるか」を意識し、鏡の前で必死に「老けメイク」などの老け作りを徹底していたという微笑ましくも切実な裏話には、会場から驚きと感心の声が漏れました。 しかし、企業から予算を預かり、売上が上がる時もあれば下がる時もある「数字」と常に睨み合うプレッシャーは凄まじく、「心臓が持たない」と感じるほどの重圧を抱えるように。 結果を出すプロの世界での成功は華々しいものでしたが、画面越しの数値を追いかける日々は、次第に彼女の心と身体を疲弊させていったのです。

■越境する経験:新潟の土に触れ、介護の現場で得た「生きる力」
  「数字を追う仕事」に限界を感じた彼女が次に求めたのは、デジタルとは真逆の手触りでした。 若いうちに食の大事さを知りたいと、新潟県での1年間にわたる住み込み農業体験へと飛び込みます。 米、大豆、菊芋を育てる日々。 真冬、深夜1時に呼び出され、猛吹雪の中で行う過酷な除雪作業の助手も経験しました。 同時に経験した介護のアルバイトでは、人生の課題への洞察を深めました。 「デジタル」から「アナログ」へのダイナミックな旋回が、彼女に確かな生きる力を育みました。

■長町に灯す新たな火:ラジオ体操、焚き火、そして「繋がり」の再構築
 多様な経験を携え、田原さんは地域おこし協力隊として「長町」へと戻ってきました。 彼女が最初に取り組んだのは、長町駅前での「ラジオ体操」でした。 当初は1人で、通勤客の視線に晒されながらのスタートでしたが、次第に人は増え、ベビーカーを押す母親や高齢者など多世代が集う風景が出現しました。 「ながまちたき火場」や「ドリンクラリー」といった彼女の活動は、単なるイベントではなく、希薄になった都市の人間関係を再構築する挑戦です。 彼女の眼差しは、長町の街に昔の「長屋」のような温かなコミュニティを再生することを見据えています。

■人格形成の核と「幸せ」の定義
 質疑応答では、家族との関係性について語られました。 かつては退学を巡って母親と激しく衝突し、依存的な関係に苦しんだ時期もありましたが、新潟での物理的な距離を経て、現在は互いを尊重し合える良好な関係を築いていることが明かされました。 また、自身を「飽き性」と称することに対し、参加者からは「まさに変化し続ける『ローリングストーン』だ」との評が飛び出しました。 彼女が定義する幸せとは、「自然の匂いがする時」や「味噌汁を飲んだ時」といった日常の微細な光景。 そして、他者との繋がりの中で「自分とは何者か」を探求し続ける時間そのものでした。

■挑戦を続ける一人の「ローリングストーン」として
 田原花音という若者の生き方は、既存の「教育」や「キャリア」という物差しがいかに限定的であるかを突きつけています。 彼女が選択した退学は、広い世界への「テイクオフ」であったことが、今の彼女の笑顔から証明されています。 最後のチェックアウトでは、参加者から「逆境を切り開いていく力がすごい」「生きる力が強くて安心できる」「自分も新しいことに挑戦したくなった」という声が次々と上がりました。 彼女はこれからも、転がる石のように変化を恐れず、新しい「繋がり」の灯を灯し続けるでしょう。 その軽やかで力強い歩みは、私たちの背中を優しく押し続けています。

【開催報告】ことばのたき火場 第133回 虚無のグラウンドを抜け、彼は言葉の火を焚べる。 ―合同会社再考・佐々木湧雅くんが辿り着いた「考える葦」としての生き様あたたかく揺らぐ炎を囲むように、和やかな空気が漂う今回の「ことばのたき火場」。今回...
13/08/2026

【開催報告】ことばのたき火場 第133回
虚無のグラウンドを抜け、彼は言葉の火を焚べる。 ―合同会社再考・佐々木湧雅くんが辿り着いた「考える葦」としての生き様

あたたかく揺らぐ炎を囲むように、和やかな空気が漂う今回の「ことばのたき火場」。今回のゲストは、合同会社再考の代表であり、「まち」と「ひと」を紡ぐ地域実践家として活動される佐々木湧雅さんです。2001年秋田県生まれ、宮城県富谷市育ちの佐々木さん。参加者の前に現れた彼は、どこか飄々とした柔らかい雰囲気を纏いながらも、「All Talk, All Action(有言実行)」という強い信念を抱く、知性溢れる青年でした。彼が辿ってきた果てしない自己探求の旅路とはどのようなものだったのか。パチパチとはぜる薪の音に耳を澄ますように、私たちはじっくりと彼が紡ぐ物語に耳を傾けました。

■祖父から受け継いだ「企画力」と、祭りの経験が培った「適応力」
物語は、佐々木さんのルーツとなるご家族のお話から始まりました。旅行代理店に勤めていたお祖父様は、緻密な工程表を作る生粋のプランナーであり、旅先で現地のタクシー運転手とすっかり仲良くなってしまうなど、不思議と人と結びついていくセンスを持った方でした。
また、幼少期の写真には、お母様の出身地である秋田の「土崎港曳山まつり」の熱気に包まれた姿があります。毎年夏休み前から学校を休まされて参加させられたこの祭りの経験が、普段自分が所属していないコミュニティにポンと放り込まれても、どこでも「古参感」を醸し出せる卓越した適応力を彼に授けました。

■コントロールされた野球漬けの日々と、五味太郎がくれた「安心」
小学校時代、佐々木さんは「引くほどの野球好き」というお父様のもと、厳しいコントロール下で野球漬けの日々を送ります。お父様は過集中のあまり関心外には無頓着でしたが、印刷・デザインの仕事を通じて彼の制作物には熱心な指導と手助けを惜しみませんでした。この経験が、のちに54時間の起業体験イベント(Startup Weekend)で「チーム変態」として優勝を勝ち取るデザインセンスの礎となります。
厳しい練習でコントロールされた日常の中で、彼が唯一息を抜ける避難場所が図書室でした。そこで出会ったのが五味太郎さんの『勉強しなければだいじょうぶ』という一冊です。「この本を読んで、すっかり安心して勉強をしなくなった」という小学生時代の告白に、会場からは温かい笑いがこぼれました。それは単なる怠慢ではなく、外側からの評価に晒され続ける日々の中で、彼が自分自身の内面を守り抜くためのかすかな「安心」の灯火だったのでしょう。

■集合写真の裏の孤独と、「勉強から走って逃げる」日々
中学生になっても野球を続けますが、自己紹介のスライドに映し出された集合写真が示すように、彼の周りにはいつも多くのクラスメイトがいました。休み時間には速攻で図書室へ駆け込んで本を借りてから外の球技に加わり、花火をやろうと声をかければ30人も集まるほど、どんな層の同級生とも話せるキャラクターでした。しかしその内面では、「仲間はたくさんいたけれど、心を開ける友達はいなかった」という静かな孤独を抱えていたといいます。
思索を好む「人文系の頭」が独自の問いを立て始めるこの時期、彼は野球部と並行して駅伝部にも入ります。中学2年まで「自分の意思はなかった」という虚無感や、周囲からの期待から自分を守るかのように、彼は「勉強から走って逃げる」ようにグラウンドを疾走しました。その足取りは、自分を縛り付ける制度から少しでも遠くへ離れようとする、必死の抵抗でもあったようです。

■才能の狭間で知った「愛していない」という絶望と、実存の危機
高校は推薦で名門・東北高校に進学し、3000m障害という過酷な競技に身を投じます。自己紹介のスライドに映し出されたトラックを走る姿はひたむきそのものでしたが、彼の周囲には、のちに箱根駅伝に出場したり、現在も日本を代表するアスリートとしてスポーツ界の第一線で活躍するような、才能と熱量にあふれた同級生たちがひしめき合っていました。
彼らと同じグラウンドで汗を流す中で、佐々木さんは自身との決定的な温度差に直面します。大きな怪我(故障)に見舞われたわけではありません。ただ、どうしようもなく気付いてしまったのです。「自分は、彼らのようにこの競技を心から愛してはいないのだ」と。周りが純粋な情熱で競技に打ち込む中、競技への愛を持てないまま走り続けることは、思索を好む彼にとって何よりも苦しいことでした。理由なき喪失感から競技を続けられなくなった彼は、ついには走って逃げることすらできなくなり、深い「実存の危機」の闇へと足を踏み入れていきます。
自己紹介のスライドに映し出された、錆びついたカッターナイフと並んだ合成洗剤の写真は、その時の絶望を無言で語っていました。思い余って死を試み、自ら目張りを外して思いとどまったこと、ブランコに首をかけ意識を失うことで安らぎを得ようとしたこと。痛切な告白は、暗闇の中でもがいていた青年の息遣いと共に、鮮明に私たちの心に響きました。

■「聴き手」としての覚醒と、中庭のたき火
しかし、その暗闇の中から、彼は光を見出していきます。2020年4月、尚絅学院大学への進学後、彼は「仙台市子育てふれあいプラザのびすく泉中央」での活動に救いを求めました。そこで誰かの相談相手になることが、実は自分自身の存在証明になっていたと彼は語ります。
こののびすくでの活動を皮切りに、彼のエネルギーは再び熱を帯びていきます。ラジオDJに挑戦したり、M-1グランプリに出場してお笑いに挑んだりと、自らの表現や他者と交わる場を多方面へと次々に広げていきました。
そうした活動の広がりの中で、2022年秋には社会実験「MOVE MOVE」で出会った「仙台たき火ティー」の開放的な対話空間に共鳴します。ひたすらに何かが自分を突き動かして彼が一人で大学の中庭に座り込んだ日を経て、2023年5月に「尚絅に火を灯す」の第1回目が産声を上げました。さらに同年11月には、定禅寺通で話を売り買いするBAR『話場』を開設するなど、人とまちを紡ぐ活動を一気に加速させていったのです。

■限界を超えた果ての「休息」
大学を卒業したのち、ONE TOHOKUやワカツクに所属し、地域活動の仕事に奔走した佐々木さん。ここでもお父様譲りの「過集中」ゆえに妥協を許さず、不眠不休で没頭してしまいます。その激務の最中である2025年9月には長町駅前で畳を広げてくつろぐ『たたみかける、まち。』を実施するなどフルスピードで駆け抜けましたが、自らの体力を無意識に削り切った結果、同年11月には心身の限界を迎え、仕事の休止を余儀なくされました。
休養期間中は自らプロジェクトを動かすことはなく、翌年3月の泉中央でのマチツカイ主催『泉、湧く。街、開く。』の活動にも一参加者として「賑やかし」に足を運ぶ程度でした。しかし、そうして無理をせず知人たちとふらりと語り合って心を癒やしたこの時間は、ただ立ち止まっただけの期間ではなく、彼が自分自身のこれからの身の振り方をじっくりと見つめ直す、重要な休息となっていました。

■桜桃忌の決意―「僕らは考える葦である」
そして2026年6月19日。愛読する太宰治の命日「桜桃忌」に彼は勤め先を辞め、自身の新たな舟である『合同会社再考』を立ち上げました。
「合同会社再考は出版社である。本を作るのが仕事ではない。熱を伝えるのが我々の役割だ。僕らは考える葦である。」
自らを「考える葦」と呼ぶその言葉には、かつての絶望や燃え尽きた経験さえも燃料に変え、暗闇に火を灯し続けるという覚悟が宿っています。過去の苦悩が現在の輝きをより一層引き立て、私たち一人ひとりにも、自分らしく在ることへの静かなエールを手渡してくれた、まさに心に火が灯るような夜でした。

本日木曜日ですが、ことばのたき火場年に2回(お盆・正月)のお休み日です!!ご注意を!!来週8月20日(木)から再開です!!お楽しみに!!
13/08/2026

本日木曜日ですが、ことばのたき火場年に2回(お盆・正月)のお休み日です!!ご注意を!!
来週8月20日(木)から再開です!!お楽しみに!!

06/08/2026

ことばのたき火場(ハーベスト版)
-対話を通じていろいろな幸せのカタチに出会ってみませんか?-
ことばのたき火場、今回のゲストは、食や場づくりを通じて人と人との温かいつながりを生み出し続けている山中千怜(ちさと)さんです。
1996年、気仙沼市出身の千怜さん。大学で食品科学を学ぶ傍ら、食卓を囲む心地よさから「ごはん会」など多様な人がつながる場づくりを経験されました。その後、お祖母様との別れを機に孤立や地域のつながりへ強い関心を抱き、2021年に地元・気仙沼へUターン。
現在は、合同会社colereや気仙沼まち大学運営協議会に所属し、人材育成や創業支援の領域に従事しています。また、年齢や立場を問わず誰もが関われる場として、2023年からは市内の災害公営住宅で「おとなり食堂」をスタート。日常の支え合いを育む地域づくりを目指し、地域自治の伴走支援や多世代共生拠点の立ち上げ構想も進めるなど、多方面で活躍中です。
地域に根ざし、人々の孤立を防ぐ温かい居場所をつくり続ける千怜さんが考える幸せや生き方を聴きながら、自分のとっての幸せや生き方あり方を感じてみませんか?
年齢職業関係なくどなたでもご参加いただけます。
会場:仙台市市民活動サポートセンター 研修室4
                  (研修室2から変更)
   宮城県仙台市青葉区一番町四丁目1-3
参加費:無料
定員:20名
18:00 受付開始
18:30 スタート
19:45 エンディング
20:00 完全撤収

【開催報告】ことばのたき火場 第132回ホヤに命を吹き込み、一瞬の生を愛でる――75歳の「ほやおやじ」が見つけた、逆境を希望に変える哲学―木村達男さんが語る「動くことで生まれる勢い」と、世界に誇る三陸の魂 ■潮の香りと温かな「たき火」の始ま...
31/07/2026

【開催報告】ことばのたき火場 第132回
ホヤに命を吹き込み、一瞬の生を愛でる――75歳の「ほやおやじ」が見つけた、逆境を希望に変える哲学
―木村達男さんが語る「動くことで生まれる勢い」と、世界に誇る三陸の魂

■潮の香りと温かな「たき火」の始まり
会場の扉を開けた瞬間、心地よい潮の香りが鼻腔をくすぐりました。今回のゲストは、「ほやおやじ」の愛称で親しまれる株式会社三陸オーシャン代表・木村達男さん。彼がこの日のために持参したのは、自慢の逸品「蒸し海鞘(ほや)一夜干し」です。
「まずは、これを食べてみて」 木村さんの促しに、参加者たちが恐る恐る、あるいは好奇心に満ちた表情で一切れを口に運びます。その刹那、会場に驚きの波が広がりました。ホヤ特有のえぐみは一切なく、凝縮された海の旨みと、気品さえ感じさせる甘みが口いっぱいに広がる。かつて「ホヤは大嫌い」と公言していた参加者ほど、その衝撃は大きく、「これが本当にホヤなの……?」という感嘆の声が漏れました。
芳醇な味わいが参加者の緊張を解きほぐし、場の温度が数度上がったところで、木村さんの独演会が始まります。75歳とは思えない溢れんばかりのエネルギーを放つその背後には、エリートサラリーマンから「ほやおやじ」へと転身した、波乱万丈かつ哲学的な物語が隠されていました。

■エリートサラリーマンから「ほやおやじ」への転身
かつての木村さんは、大手生命保険会社で30年間、組織の最前線を走り続けてきました。39歳で鹿児島支店長に抜擢され、300人もの部下を率いる。それは、まさにビジネスエリートとしての頂点に近い日々でした。
特筆すべきは、当時の極限状態における彼の精神性です。睡眠時間はわずか3時間。「3時間しか寝られない」と嘆くのではなく、「3時間も寝られる」と解釈する。この「制約を肯定的な力へと再定義する」戦略的思考こそが、後の木村さんの不屈の精神を形作りました。
しかし、52歳で早期退職を選んだ彼を待っていたのは、安穏とした老後ではありませんでした。転機となったのは、長野に住む知人との何気ない会話でした。「三陸にはホヤがあるじゃないか。嫌われ者で難しそうだが、あれは面白い食材だよ」――。この「長野のひらめき」が、彼の人生を決定づけました。
地元・石巻(鮫浦)では兄たちが元町長や海外の実業家として活躍する中、木村さんはあえて、業界の「異端児」であるホヤにすべてを賭ける決意をします。53歳、専門知識ゼロからの孤独な船出。それは、自身の「第二の人生」に意味を問うための、壮大な実験の始まりでもありました。

■現場感覚と「30万人の対話」が生んだ新境地
「ビジネスの答えは、常に現場にある」。木村さんが歩んできた22年間は、まさにこの言葉の体現でした。開発した商品は30種類以上、自ら店頭に立ち、試食を提供した相手は実に30万人に及びます。 時には、百貨店のバイヤーから「ホヤだけは勘弁してくれ」と拒絶のジェスチャーを向けられる屈辱も味わいました。しかし、木村さんは諦めませんでした。「なぜ、この美味しさが伝わらないのか」。彼は水産業界の古い体質を打破するため、5年前には「宮城ホヤ協議会」の設立にも奔走しました。現在は、ほやを愛する若手たちに会長職や中心的な活動を任せ、ご自身は副会長として彼らの活動を温かくバックアップされています。行政の方々からの理解や支援にも恵まれ、「県の皆さんには本当にお世話になっている」と感謝を口にするその姿からは、周囲を巻き込みながら業界全体を底上げしていく、懐の深さが感じられました。 何より、彼が重んじるのは現場の「人間」への敬意です。指定工場のベトナム人ワーカーたちとは定期的におやつを差し入れながら交流し、職人たちの誇りを引き出します。特に、熟練の剥き手である「山ちゃん」の神業とも言えるスピードと正確さを語る時の木村さんの熱量は、圧倒的でした。「現場で第一線を支える人の手仕事こそが、商品の命なんだ」。その信念が、三陸オーシャンのブランドを支える盤石な基盤となっています。

■命のスケールと「一瞬」を生きる覚悟
木村さんの活動は、次世代への教育という形でも花開いています。NPO法人ハーベストを通じて、これまでに30校以上の中高生たちへ「人生論」を届けてきました。
木村さんが黒板に「人類4万年の歴史の中の、わずか100年」というスケールを描き出すと、それまで騒がしかった教室に、一瞬で静寂が訪れます。
「人生は、針の穴を通すような一瞬なんだ。だからこそ、自分だけの指紋を持つ君たちにしかできないことがある」
かつて、閉校が決まり沈滞した空気が漂っていた高校で、一人の深く傷ついた生徒がいました。木村さんの真摯な1対1の対話と、「社会人としての本気の眼差し」に触れたその生徒は、暗闇から立ち直り、自らの足で歩き始めたといいます。
木村さんが人生のバトルクライとして子供たちに贈る言葉があります。 「動け、そこに勢いが生ずる」
武田信玄の言葉を借りたこの哲学は、スマホ越しの希薄な関係に慣れた現代への強烈なカウンターメッセージです。画面を見るのではなく、目を合わせる。その「アイコンタクト」こそが、人間関係を、そして人生を動かす原動力になると彼は説きます。

■目の前の笑顔が照らす、75歳の「幸せの形」
数億円の予算を動かしたエリート時代。そして、震災による全滅の危機や多額の借金に直面した苦難の時代。幾多の季節を越えて辿り着いた幸せの形は、驚くほどシンプルでした。
「今、目の前のお客さんが『美味しい』と笑ってくれる。その瞬間の顔が見られることが、何よりも幸せなんだ」
その幸福の証明は、もっとも身近な場所にもありました。横浜生まれで最初はホヤを大嫌いだった奥様が、今では共に台湾へ渡り、店頭で共にホヤを販売してくれている。かつては家業に猛反対していた妻が、最強のパートナーへと変わった。これこそが、木村さんが30万人との対話で磨き上げた「想いを伝える力」の結晶と言えるでしょう。
「一生、この仕事をやり抜く。夢は、ホヤが牛タンを追い越すことだよ」
75歳にしてなお、少年のように語る彼のバイタリティは、衰えるどころか勢いを増しています。逆境を「勢い」へと転換し続けるその姿は、参加者全員の心に熱い火を灯しました。

■結び:たき火の余韻と、未来へのエール
イベントが終わり、余韻の中で私たちが受け取ったのは、「何のために生まれてきたのか」という問いへの、木村さんなりの答えでした。
自分の直感を信じ抜き、動き続けることでしか見えない景色がある。彼が灯してくれた情熱の炎は、参加者一人ひとりの胸に、明日を生きる勇気として宿りました。
「人間、そんなに大きなことはできないかもしれない。でも、指紋が一人ひとり違うように、自分にしかできない何かが必ずある。人生は一瞬。だからこそ、動いて、会話して、誰かを笑顔にする。それが本当の幸せなんだ」
「ほやおやじ」の挑戦は、まだ始まったばかりです。三陸の海が生んだ宝石「ホヤ」が、いつか世界を席巻するその日まで、彼は「動くこと」を止めないでしょう。
さあ、あなたも一歩、動き出してみませんか。そこに、あなただけの「勢い」が生まれるはずですから。

29/07/2026

ことばのたき火場(ハーベスト版)
-対話を通じていろいろな幸せのカタチに出会ってみませんか?-
ことばのたき火場、今回のゲストは、ベンチャーキャピタルやAI開発など多彩な領域を横断して活躍し、現在は佐々木湧雅さんと「合同会社再考」を共同で立ち上げ活動されている鈴木颯良(すずき そら)さんです。
2003年生まれ、宮城県仙台市出身の鈴木さん。大学在学中からベンチャーキャピタルにてスタートアップの発掘や投資後支援などに携わってきました。その後も、若者向けの事業創造コミュニティの運営や、AIを活用したプロダクト開発など、文字通り枠にとらわれない活動を展開しています。
現在は、上場企業で経営企画や事業戦略を担う傍ら、合同会社再考にて、地域に根差す企業の方々の思いや熱を本や写真などに具現化し、再び興していく活動に力を注いでいます。
大切にしているのは「一般的な正解に迎合するのではなく、自分の中のちょっとした違感を無視しないこと」。自分や人の楽しさ、面白さといった美しい感情が消えてしまわないように構造化し、それを最大限生かせるよう「裏方」に徹する鈴木さんが考える幸せや生き方を聴きながら、自分のとっての幸せや生き方あり方を感じてみませんか?
年齢職業関係なくどなたでもご参加いただけます。
会場:仙台市市民活動サポートセンター 研修室2 宮城県仙台市青葉区一番町四丁目1-3
参加費:無料
定員:20名
18:00 受付開始
18:30 スタート
19:45 エンディング
20:00 完全撤収

20/07/2026

ことばのたき火場(ハーベスト版)
-対話を通じていろいろな幸せのカタチに出会ってみませんか?-
ことばのたき火場、今回のゲストは仙台市南部拠点(長町)地域おこし協力隊として活動されている田原花音さんです。
福島県南相馬市出身の田原さんは、現在、仙台市の長町エリアを拠点に地域の魅力を発信し、人々をつなぐ多様な取り組みを展開しています。長町駅前で行うラジオ体操「ながまちラジ活」や「ながまちたき火場」を通して、地域の人が気軽につながれる温かい場づくりを実践。
さらに、長町で活躍する人々を主人公にしたフリーペーパー『まちしるべ』の制作や動画発信など、独自の視点でまちの魅力を伝える活動にも精力的に取り組まれています。
地域に根ざし、人と人とのつながりやまちの魅力を丁寧に紡ぎ出している田原さんが考える幸せや生き方を聴きながら、自分にとっての幸せや生き方あり方を感じてみませんか?
年齢職業関係なくどなたでもご参加いただけます。
会場:仙台市市民活動サポートセンター 研修室2 宮城県仙台市青葉区一番町四丁目1-3
参加費:無料
定員:20名
18:00 受付開始
18:30 スタート
19:45 エンディング
20:00 完全撤収

月曜日のよる一番町通りの路面の書店がなくなった翌日に次回のことばのたき火場のスピーカーである佐々木湧雅くんがワゴンの書店を開いておりました!そんな鉄砲玉のような湧雅くんが今考えている幸せについてじっくり話を聞いてみませんか??https:/...
15/07/2026

月曜日のよる一番町通りの路面の書店がなくなった翌日に次回のことばのたき火場のスピーカーである佐々木湧雅くんがワゴンの書店を開いておりました!そんな鉄砲玉のような湧雅くんが今考えている幸せについてじっくり話を聞いてみませんか??
https://fb.me/e/bL7pxrbTY

住所

本町2-10/33
Sendai, Miyagi
980-0014

電話番号

+81223954311

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