小千谷地域と近隣のまち・むらを結ぶーおぢやhp発信基地の会ー

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昭和40年9月1日、『小千谷文化』創刊号発行。
昭和30年6月15日小千谷市文化財協会設立。
平成2年小千谷市文化財協会から小千谷市総合文化協会に改称。

70年の伝統・60年続く機関誌の発行
《地域の歴史文化発展の先駆者として》
ー郷土を拓き豊かなふるさとを育むー

榎峠調査報告に見る郷土史研究と文化財行政の課題(草稿) ――歴史交通史・考古学的検証の視点から――はじめに 近年、小千谷市では「市民学芸員体験講座」を中心とした市民参加型の歴史調査が積極的に展開されている。その活動自体は、市民が地域史へ関心...
27/05/2026

榎峠調査報告に見る郷土史研究と文化財行政の課題(草稿)
――歴史交通史・考古学的検証の視点から――

はじめに
 近年、小千谷市では「市民学芸員体験講座」を中心とした市民参加型の歴史調査が積極的に展開されている。その活動自体は、市民が地域史へ関心を持つ契機として一定の意義を有するものであり、地域文化の継承という点からも評価されうる。

 しかし、その成果として公表される調査報告が、学術的検証の過程を十分に経ないまま、「地域の歴史的事実」として行政的に位置づけられていく場合、そこには重大な問題が生じる。

 本稿では、小千谷市学芸員名義で公表された「市民学芸員体験講座 第35回【旧三国街道 榎峠 地形踏査】調査成果」[1]を素材として、歴史交通史・考古学・文化財行政の観点から、その構造的問題を検討する。

 本稿の目的は、地域文化の保存そのものを否定することではない。むしろ、文化財行政において「保存」と「歴史的断定」を混同しないための制度的・学術的視点を提示することにある。

一 榎峠調査報告の特徴
 当該報告書は、市民参加型講座の成果として公表されているが、その内容は単なる体験記録にとどまらない。

 報告書は、「旧三国街道の道状遺構」「戊辰戦争時の銃弾」「世界遺産佐渡金山との関係」「文化財指定の必要性」までを一体的に論じている。さらに結論部では、「小千谷市指定文化財 史跡『旧三国街道 黒鉄坂跡』として保存する必要がある」と明示している [1]。

 つまりこの文書は、形式上は「市民講座報告」でありながら、実質的には「文化財指定を視野に入れた価値形成文書」として機能している。問題は、その価値形成過程において、仮説、推定、検証不足、比較未了が十分整理されないまま、歴史叙述が急速に固定化されている点にある。

二 歴史交通史から見た道幅問題
 報告書では、検出した地形について、「法肩幅約4m、法尻幅約3m」と記録し、これを旧三国街道遺構と推定している [1]。しかし、ここには歴史交通史上の重大な問題が存在する。

 近世三国街道は、徒歩・荷駄輸送を主体とした山岳街道であり、その実際の通行面は極めて狭隘であった。関矢家文書などからも、橋梁幅員は一〜二メートル程度であり、近世山道としての限界が確認できる [4][5]。

 さらに重要なのは、明治十一年以降に進められた「清水越新国道」事業である。この事業は、旧三国街道が近代交通に耐えられないほど狭隘かつ急峻であったため、新たな道路体系として整備されたものである。
 そのため、榎峠において比較的安定した三〜四メートル級の道状地形が存在する場合、本来まず検討すべきなのは、明治期改修、馬車道化、林業道、戦後作業道、地震復旧など、近代以降の改変可能性である。
 ところが本報告書では、こうした後世改変史がほとんど検討されていない。
 これは、「近世街道遺構」という結論が、交通史的検証より先行していることを意味する。

 加えて、天保9年(1838年)の「妙見峠普請費用の下付願」[6]には、榎峠・黒金坂周辺において「岩山切広ヶ候様」「掘子」など、道路掘削・拡幅工事を示す記述が確認できる。
 これは、当該地域の街道が近世後期においても継続的改修対象であったことを示す一次史料である。したがって、現在残る広幅員の地形についても、近世初期以来の単一遺構としてではなく、複数時代の改修・崩落・再整備を経た複合地形として、より慎重に検討する必要がある。

三 考古学的検証の問題
(一)銃弾方向論の危うさ
 報告書では、出土したエンフィールド銃弾について、「銃弾頭部が北〜北東を向く」ことから、西ノ平陣地側からの射撃と推定している [1]。しかし、報告書自身が、「中越地震により大きく崩落」した地形であることを認めている [1]。
 この場合、地滑り、崩落、土砂移動、根系攪乱、凍結融解等による二次移動可能性を除外せずに、現在の向きから発射方向を推定することは、慎重な検討を要する。
 本来必要なのは、層序分析、埋没角度測定、周辺土壌分析、崩落履歴検証であり、単純な方位観察のみで戦況を再現することは困難である。

(二)「岩盤を貫いた」という表現
 報告書では、「ライフリング銃が300m離れた場所から岩盤を貫く破壊力」を有していたと述べている [1]。
 しかし、対象となる白岩層は風化泥岩を含む軟質岩層であり、岩石硬度、風化状態、含水率、亀裂、埋没深度などの科学分析なしに、「岩盤を貫いた」と断定することはできない。
 また比較対象として引用される、田原坂、寛永寺は、木材・石垣への着弾事例であり、地中埋没遺物とは条件が根本的に異なる。つまり比較論証としては成立していない。

四 歴史叙述と文化財化をめぐる問題
 本稿は、榎峠周辺が近世三国街道・黒鉄坂に関連する歴史空間である可能性そのものを否定するものではない。
 問題としているのは、「現在確認される道状地形や出土遺物が、直ちに近世街道遺構・戊辰戦争遺構として同定できるかという検証過程の問題である。」

 今回の報告書で最も注目すべきなのは、個々の誤認可能性だけではない。問題の本質は、「仮説」が「行政的歴史」へ変換される過程そのものにある。

 本報告書では、「道状地形」→「旧三国街道」→「黒鉄坂跡」→「文化財指定必要」へと、極めて短い距離で接続されている [1]。
 しかも後半では、佐渡金山、上杉謙信、河井継之助、田中角栄までが、一つの「道の物語」として統合される。これは既に、「学術報告」というより、「「道をめぐる歴史物語」として構成されている。

五 文化財行政における問題
 文化財行政において重要なのは、「保存価値」と「歴史的確定」を区別することである [2][3]。榎峠の地形や景観を保存する意義自体は否定されない。
 しかし、近世三国街道遺構、戊辰戦争戦闘痕、黒鉄坂として断定するには、本来さらに厳密な検証が必要である。

 にもかかわらず、今回の報告書では、「推定」「可能性」「関連」という学術上重要な留保表現が急速に後退し、「旧三国街道黒鉄坂跡」という確定名称が先行している [1]。
 これは郷土史研究において極めて重要な問題である。なぜなら、一度、市指定史跡、解説板、学校教材、観光パンフレットへ組み込まれれば、仮説は事実として社会に定着するからである。

六 「共検的歴史」の必要性
 現在求められているのは、行政や一部研究者のみが「地域の歴史」を独占的に語る構造ではない。必要なのは、市民自身が史料・調査・方法論を共有し、互いに検証し続ける歴史認識である。必要なのは、市民自身が史料・調査・方法論を共有し、継続的に検証していく歴史認識である。

 郷土史は本来、検証、批判、比較、反証可能性によって支えられるべきものであり、「地域愛」や「物語性」によって学術的慎重性が失われてはならない。
結論
 榎峠調査報告は、単なる一調査事例にとどまらない。そこには、市民参加型調査、行政文化、地域資源化、歴史物語形成、文化財化が一体化する、現代地方文化行政の構造そのものが現れている。

 重要なのは、「保存」そのものを否定することではなく、「推定段階の内容が、公的説明として固定化されていく過程」を可視化し続けることである。

 郷土史の未来に必要なのは、「発見の熱狂」ではなく、「検証を共有する文化」なのである。

参考文献
[1] 小千谷市学芸員. (2026). 「市民学芸員体験講座 第35回【旧三国街道 榎峠 地形踏査】調査成果」. 『ホントカ。』掲載資料.
https://hontoka.city.ojiya.niigata.jp/galleries/dVUG2uKNJduC26gmUHCB

[2] 文化庁. (2004). 『行政目的で行う埋蔵文化財の調査についての標準(報告)』.https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/pdf/hokoku_06.pdf bunka.go.jp

[3] 文化庁. (2026.5閲覧). 「埋蔵文化財」.
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/maizo.html

[4] 新潟県. (1987). 『新潟県史 通史編3(近世1)』. 新潟県.

[5] 広神村史編さん委員会 編. (1980). 『広神村史 史料編』. 広神村.

[6] 長岡市 編. (1994). 『長岡市史 資料編3(近世2)』. 長岡市. (天保9年「妙見峠普請費用の下付願」所収)

南魚沼市立図書館に蔵書されています『小千谷文化』最新号(4月25日発行)。🆕新刊扱いではありませんが、郷土資料コーナーで開架されています。🆕『小千谷文化』を見かけたら、ぜひ手に取ってみてください。
09/05/2026

南魚沼市立図書館に蔵書されています『小千谷文化』最新号(4月25日発行)。
🆕新刊扱いではありませんが、郷土資料コーナーで開架されています。🆕
『小千谷文化』を見かけたら、ぜひ手に取ってみてください。

新刊🆕『小千谷文化』第254号地域の歴史と歩んで71年。今号も、郷土文化の価値を共有し、共に歩んでくださる以下の施設へお届けしました。新潟県立図書館および長岡市立中央図書館には、長年にわたり文化活動への深いご理解と「購入」による多大なご支援...
04/05/2026

新刊🆕『小千谷文化』第254号
地域の歴史と歩んで71年。今号も、郷土文化の価値を共有し、共に歩んでくださる以下の施設へお届けしました。新潟県立図書館および長岡市立中央図書館には、長年にわたり文化活動への深いご理解と「購入」による多大なご支援をいただいております。
《蔵書施設一覧》
〈公共施設〉
・国立国会図書館
・新潟県立図書館
・長岡市立中央図書館
・魚沼市立図書館
・南魚沼市立図書館
・新潟県立歴史博物館
・新潟県立文書館

〈大学施設〉
・新潟大学附属図書館
・新潟産業大学附属図書館
・長岡大学図書館
・上越教育大学附属図書館

※蔵書登録が未了の施設も含みます。

お近くの図書館で『小千谷文化』を見かけたら、ぜひ手に取ってみてください。
第254号は、国立国会図書館をはじめ、新潟県内の主要な大学・公共図書館で閲覧可能です。地域の文化を支えるのは、資料を守る施設と、それを読む皆様の関心です。
(※施設により配架まで時間がかかる場合があります)
次世代へ繋ぐべき「地域資料」としての『小千谷文化』。
この文化的意義に共鳴し、信頼関係を築けている機関に限定して寄贈・送付を行っております。地域の記憶を棚に並べ、守り続けてくださる各図書館・博物館の皆様に深く感謝申し上げます。
#小千谷文化 #郷土史 #地域資料

南魚沼市立図書館
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魚沼市立図書館
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「小千谷市の郷土史はいかに『物語』となったか― 過去を必要としなくなった行政文化 ―」https://www.facebook.com/share/p/1H9mZ4JeC8/――――――――――――――――――――郷土史を『物語』化した文化...
19/04/2026

「小千谷市の郷土史はいかに『物語』となったか
― 過去を必要としなくなった行政文化 ―」
https://www.facebook.com/share/p/1H9mZ4JeC8/
――――――――――――――――――――
郷土史を『物語』化した文化行政施策の検証
【『小千谷文化』第251〜254号の視点から】

「行政空洞化と物語化」「ヘリテージ化の限界」「『小千谷市史』編さん後の断絶」――
こうした視点から、小千谷市の文化行政が「実証的な郷土史」を後退させ、情緒的な「物語」へと再編していく構造が示されている。
この指摘を踏まえると、さらに明確になる論点がある。

■① 身分的多元性の欠落

行政が作る「物語」の最大の問題は、歴史の身分的多元性を削ぎ落としている点にある。

かつての地域社会は、単一の身分や属性では説明できない構造を持っていた。百姓・商業・宗教・対外関係といった複数の役割が重層的に重なり合うことで、社会は成立していたのである。

しかし行政の物語は、この複雑な構造を保持できない。その結果、歴史的主体は「慈愛の父」「自治の先駆者」といった単一の属性へと還元される。

この単純化は単なる表現の問題ではない。
それは、地域社会の構造そのものを不可視化する空洞化の核心である。

したがって、この「物語化」は、より厳密には
👉 身分的多元性の解体過程
として捉えるべきである。

■② 「知・記憶の自治」という対抗軸

この問題は、問いかけのままにしておけない。

行政が過去を必要としなくなった以上、
👉 市民が自ら「知・記憶の自治」を確立する以外に道はない。

ここでいう自治とは、単なる参加ではない。
行政が提示する物語を消費するのではなく、史料に基づき、地域の複雑な構造を自ら検証し続ける主体となることである。

これは「郷土史研究」という枠を越え、
👉 文化運動としての郷土史の再編
と位置づけるべき段階に来ている。

■③ 具体的事例の問題

本稿で指摘される「歴史の模倣」は抽象的な問題ではない。

例えば、
・地名由来の単純化(ばば清水の説明変遷)
・特定人物像の固定化(佐藤佐平次・佐藤半左衛門の顕彰的語り)

といった現象は、本来複数の解釈や文脈を持っていた歴史が、単一の「公式説明」へと収束していく過程として理解できる。

これらはすべて、身分的多元性を前提とした歴史が、物語へと再編される具体的事例である。

――――――――――――――――――――

【結論的補強】

いま問われているのは、
行政がどのような物語を作るかではない。

👉 誰が歴史を検証する主体であるのか
という問題である。

行政の物語化に対する最大の抵抗は、
一見非効率に見える「史料に基づく地道な検証」を、地域の持続性を支える文化運動として再生させることにある。

それこそが、「知・記憶の自治」の具体的実践である。

『小千谷文化』第254号発行日…令和八年四月二十五日🆕新刊只今準備中🆕表紙写真コラージュ①第249号表紙から…山谷村古文書…吉谷村古文書②第250号表紙から小千谷・宇沢弘文講演会…山古志古文書…山古志虫亀の薬師峠追分地蔵と薬師堂由来看板…江...
18/04/2026

『小千谷文化』第254号
発行日…令和八年四月二十五日
🆕新刊只今準備中🆕

表紙写真コラージュ
①第249号表紙から
…山谷村古文書
…吉谷村古文書
②第250号表紙から
小千谷・宇沢弘文講演会
…山古志古文書
…山古志虫亀の薬師峠追分地蔵と薬師堂由来看板
…江戸期薭生村絵図
③山古志虫亀阿弥陀如来木像
④江戸期時水村絵図

小千谷市の郷土史はいかに「物語」となったか― 過去を必要としなくなった行政文化 ―《はじめに》郷土史が直面している問題は、単に研究者が減少していることだけではない。むしろ、文化行政の枠組みの中で、過去を検証する必要性そのものが弱くなっている...
05/04/2026

小千谷市の郷土史はいかに「物語」となったか

― 過去を必要としなくなった行政文化 ―

《はじめに》
郷土史が直面している問題は、単に研究者が減少していることだけではない。むしろ、文化行政の枠組みの中で、過去を検証する必要性そのものが弱くなっていることにあるように見える。
市町村史編さん事業は、戦後の地方自治体において地域の歴史を体系的に整理する試みとして広く行われてきた。そこでは、史料の収集や調査が行われ、地域史研究の基盤が形成された。しかしその後、文化行政や生涯学習施策の展開の中で、郷土史の位置づけは徐々に変化してきた。
ここでは、市町村史編さん以後の文化行政の変化を手がかりとして、郷土史がどのように扱われるようになったのかを整理し、その結果として生じている地域史の変化について考えてみたい。

《1 市町村史編さんと郷土史研究》
1970年代から1980年代にかけて、多くの自治体で市町村史編さん事業が進められた。これは地域の歴史を体系的に整理する行政事業であると同時に、地域史研究を進める契機でもあった。
市町村史編さんでは、古文書調査や聞き取り調査が行われ、地域に残された史料が収集された。こうした作業は、それまで個人の努力に依存することが多かった郷土史研究に対して、一定の基盤を与える役割を果たした。
一方で、市町村史編さんは行政事業である以上、研究の方向や成果の整理の仕方にも行政的な枠組みが存在した。地域の歴史を体系的に記述するという目的は、必ずしも研究上の問題意識と一致するとは限らない。
それでも、この時期の市町村史編さんは、少なくとも史料に基づいて地域の過去を検証する試みとして位置づけることができる。

《2 文化行政の変化と郷土史》
市町村史編さん事業が一段落した後、文化行政の中心は次第に生涯学習や文化施設の運営へと移っていった。博物館や資料館、文化会館などの整備が進み、地域文化の紹介や教育活動が行われるようになった。
こうした取り組みは、地域文化を広く共有する場として重要な役割を果たしてきた。しかしその一方で、郷土史の扱い方にも変化が生じている。
近年の文化事業では、展示や講座、ワークショップなどを通じて、市民が地域文化に参加する形が重視されるようになっている。そこでは、歴史は必ずしも研究対象として扱われるのではなく、地域の魅力やアイデンティティを表現する要素として提示されることが多い。
このような変化の中で、郷土史は史料に基づく検証の対象というよりも、地域文化の象徴として扱われる場面が増えているように見える。

《3 行政空洞化と物語化》
 行政において必要とされているのは、郷土史そのものではなく、歴史を模倣した地域物語として機能する構造である。
 本稿では、この構造を「行政空洞化と物語化」と定義する。
 このとき、史料に基づく検証過程は後景化し、歴史像は物語として提示される。
 この構造は個別の事例にとどまらず、文化行政の運用過程において広く生じうる現象である。
**しかしそのことは、この構造が地域の歴史認識に与える影響の大きさをむしろ示すものである。**
この現象は文化政策研究では、歴史が文化資源として利用される過程を指して「ヘリテージ化」と呼ばれることがある。
その過程は次のように整理することができる。
研究対象

文化資源

象徴
 そして、現在見られる状況は、歴史そのものが文化資源として利用される段階をさらに越えているように見える。そこでは歴史そのものではなく、歴史を模倣した物語が地域の象徴として用いられている。
この構造を整理すると、
歴史

歴史の模倣

物語
という過程が想定される。本稿では、この郷土史を直接利用しない構造を**「行政空洞化と物語化」**として位置づける。

《おわりに》
市町村史編さん以後の文化行政の変化を振り返ると、郷土史の位置づけは大きく変化している。かつては史料に基づいて地域の過去を検証する試みとして位置づけられていた郷土史は、現在では地域文化を表現する物語の一部として扱われることが多くなっている。
この変化は、文化行政の枠組みの中で地域文化を共有しようとする試みの結果でもある。しかしその過程で、史料に基づいて過去を検証するという郷土史の役割は、次第に弱くなっているようにも見える。
郷土史が地域社会の中でどのような意味を持つのかを改めて考えるとき、過去を物語として共有することと、史料に基づく検証を続けることとの関係をどのように位置づけるのかが問われているように思われる。

小千谷市ひと・まち・文化共創拠点

「検証可能性を保持する知としての郷土史」――歴史における暫定性とローカル知識・専門知の共生―― 郷土史とは、地域社会において歴史の検証可能性を保持し続ける知の装置である。 郷土史とは何か。この問いに対して、しばしば「地域の歴史を記録する営み...
03/04/2026

「検証可能性を保持する知としての郷土史」
――歴史における暫定性とローカル知識・専門知の共生――

 郷土史とは、地域社会において歴史の検証可能性を保持し続ける知の装置である。
 郷土史とは何か。この問いに対して、しばしば「地域の歴史を記録する営み」と説明される。しかしそれだけでは、郷土史の本質を十分に言い表しているとは言えない。郷土史が果たしてきた役割は、単なる記録や叙述にとどまるものではないからである。
 地域には、長い時間の中で形成されてきた多様な歴史認識が存在する。
 伝承として語り継がれるもの、地域の記録として残されたもの、研究によって提示されたもの、あるいは文化施策の中で整理されたものなど、その形態はさまざまである。
 こうした歴史像は、それぞれ異なる立場や方法によって提示されながら、地域社会の中で共有されている。
 一度社会に流通したこれらの歴史像は、しばしば「確定したもの」として受け止められがちになる。
 行政の文化施策や顕彰事業がそれを補強する場合もあれば、専門研究の側が地域の言い伝えに十分目を向けず距離を置く場合もある。
 そうした中で、歴史の理解が検証の機会を失ったまま固定化してしまう危険は少なくない。
 しかし歴史というものは、本来、固定されたものではない。新たな史料の発見や視点の変化によって、これまでの認識を見直す余地が常に残されているべきだ。
 歴史学の立場から見れば、過去を完全に確定することは本質的に困難であり、歴史認識は本質的に暫定的な性格を持つ。
 したがって重要なのは、結論を確定させることではなく、歴史がいつでも再検証されうる「検証可能性」を、社会の中に「検証の可用性」として保ち続けることである。
 郷土史の役割は、まさにここにある。地域社会に存在する多様な歴史像を記録し、使われた史料と論理を公開しながら、その妥当性を問い続ける場を確保する。
 この「検証の可用性」を地域の中に装置として具現化することこそ、郷土史の意義である。
 この点で、郷土史は学術研究とは異なる位置を占める。
 研究者が比較考証や方法論を積み重ねて歴史理解の確からしさを高めていくのに対し、郷土史は地域で生まれた問いを可視化し、検証の対象として社会に投げかける。
 完成した答えを出すより、未解決の問いを残しておくところにこそ価値がある。
 さらに郷土史は、ローカルな知識と専門知のあいだに立っている。
 地域の人々が日々感じ、記憶してきた経験をすくい上げ、史料という形で整理・公開することで、専門研究者による本格的な検討の道を開く。
 逆に、専門知が地域の声に耳を傾けるきっかけにもなる。この相互の行き来によって、歴史認識は閉じた伝承でも、行政が決めた公式の物語でもなく、常に生き続けるものとなる。
 同時に、郷土史は権威や制度によって歴史像が一方的に固定されるのを防ぐ働きも持つ。
 どんな歴史認識であっても、再検討の可能性を「可用性」として残し続けることで、歴史は問い続けられる知として地域の中に息づき続ける。
 本誌『小千谷文化』もまた、そのような場の一つとして編集されてきた。
 地域の歴史に関する諸説を提示し、史料を共有し、議論の材料を残すこと。そこに郷土史誌としての役割があると考えている。
 郷土史とは、歴史を確定させる知ではない。むしろ、歴史の理解が再び問い直される余地を社会の中に残し続ける知である。
 地域社会の中にそのような装置が存在することは、長い時間の中で歴史認識を支える重要な条件と言えるだろう。郷土史の意義は、まさにその点にある。

『小千谷文化』254号草稿
『小千谷文化』のアイデンティティ
#新潟県小千谷市
#郷土史

『地名の再編と地域記憶』―郷土史書・行政記録・観光広報の連鎖構造からみた「ばば清水」問題― 小千谷市時水の「ばば清水」は、新潟県の名水として知られている。しかし、その名称と位置をめぐる記述をたどると、郷土史書・行政記録・広報の間で必ずしも同...
15/03/2026

『地名の再編と地域記憶』
―郷土史書・行政記録・観光広報の連鎖構造からみた「ばば清水」問題―

 小千谷市時水の「ばば清水」は、新潟県の名水として知られている。しかし、その名称と位置をめぐる記述をたどると、郷土史書・行政記録・広報の間で必ずしも同一の理解が維持されてきたわけではない。本稿では、「ばば清水」に関する記述の変化をたどり、その形成過程を整理する。
まず、昭和五十四年に小千谷市公民館が発行した『おぢやの伝説』(第三集)では、「馬場清水」は次のように記されている。
昔、時水の山の上に時水城があった。山の中腹に、馬場清水という清水が湧き出ている。(以下略)
ここでは清水の位置は「山の中腹」とされており、城山の内部に属する水源として理解されている。
ところが、その後、同書の編纂に関わった五十嵐秀太郎が刊行した『小千谷の伝説』(昭和六十年)では、同じ伝説が次のように書き改められている。
むかし、時水の山の上に城がありました。城山の麓に馬場清水と呼ばれる清水が湧き出ています。(以下略)
ここでは「山の中腹」とされていた清水が「城山の麓」に位置づけられている。これは単なる表現の違いではなく、清水の地理的位置を移動させる記述の変更である。すなわち、城郭内部に属する水源として語られていた清水が、山麓の湧水として再配置されたことになる。
さらに地形的に見ると、時水地区には城山へ向かう複数の沢が存在する。城の伝承が残る「城ノ入」の沢に対し、現在「ばば清水」と呼ばれている清水がある中ノ沢は、城山の麓ではなく金鉢山東麓の沢入に位置する。すなわち、「城山の麓」という表現は必ずしも城郭と直接対応する位置を示していない。
城中腹の馬場と中ノ沢のばば清水は、地形的にみて同一地点とは考えにくく、異なる清水である可能性が高い。
その後、中ノ沢の清水は「馬場清水」として新潟県の名水に認定された。名水認定の申請主体は小千谷市であり、認定制度と広報は新潟県が担っている。
新潟県に対する情報公開請求により入手した名水認定関係資料によれば、名称の由来や伝承の位置関係について体系的な歴史調査は確認できなかった。その結果、新潟県の広報では現在に至るまで「馬場清水」の名称が用いられている。
一方、小千谷市の広報では、その後「ばば清水」の語源や表記について諸説があることが示され、「馬場」という漢字表記を確定しない扱いが採られるようになった。現在の市の広報では、「ばば清水」という仮名表記が用いられ、特定の漢字表記を断定しない形で紹介されている。
この経過を整理すると、「ばば清水」の名称と位置をめぐる記述は、次の段階を経て公的情報として流通したことになる。
・郷土史書における叙述
・行政による名水認定の申請
・県による名水広報
しかし、その後、市の広報では名称の確定が留保されており、行政記録の内部でも理解の変化が生じていることがうかがえる。
この事例は、郷土史書の記述が行政手続を通じて公的情報となり、さらに観光・環境施策の広報として定着していく過程を示している。すなわち、地名は自然に消えるのではない。郷土史書、行政記録、広報といった記述の制度を通じて再編されるのである。

 近代に地名研究を体系化した 吉田東伍 は、地名を歴史研究の重要な手がかりとして位置づけた。地名は土地の歴史的経験を伝える記録である。本稿の事例は、その地名が記述の制度の中でどのように再編されうるのかを示している。地名をめぐる記述の形成過程を検証することは、地域の歴史的記憶を理解する上でも重要な課題である。
#小千谷市
#新潟県
#新潟県の名水
#地名研究
#吉田東伍

21/02/2026

公共施設は「顕彰の場」なのだろうか。
図書館の役割は、資料を収集し、保存し、市民がアクセスできるようにすることにある。
しかし特定人物を強い価値語で評価する刊行物を、窓口管理で無料配布する場合、公共施設は単なる収蔵機関を超え、「評価の拡散主体」に近づく可能性がある。
問題は人物ではない。
問題は、公共空間と顕彰との距離である。
顕彰はあってよい。
だが、それを誰が媒介するのか。
行政空間がその役割を担うとき、公共性はどこに位置づくのか。
この問いは、特定の事例を超えて、文化行政全体に関わる。

『小千谷文化』第253号《特別論考》第二五二号続編四、『小千谷文化』の試み〜続編〜「地域発の“批判的SDGs”型文化運動モデル」 創作されたDNA物語「自治・利他」から歴史的「知・記憶の自治」継承へ【翻訳版〜続編論考】地域史はいかに統治され...
17/01/2026

『小千谷文化』第253号
《特別論考》第二五二号続編
四、『小千谷文化』の試み〜続編〜

「地域発の“批判的SDGs”型文化運動モデル」
 創作されたDNA物語「自治・利他」
から歴史的「知・記憶の自治」継承へ

【翻訳版〜続編論考】
地域史はいかに統治されるのか——という問いについて――
小千谷市史の正統化構造と〈批判的SDGs〉の射程――

小千谷市の市史や文化政策を見ていると、
ある歴史の語りが、いつの間にか「前提」として扱われていることに気づきます。
それは必ずしも、
「間違った歴史が残っている」という話ではありません。
むしろ気になるのは、
別の読み方や疑問があったかもしれない、
という可能性そのものが、
問い直されないまま静かに引き継がれていくことです。
反論されなかった通史は、
やがて「検証不要の前提」になります。
そのとき消えるのは主張ではなく、
検証する回路そのものです。
最近よく使われるSDGsの言葉も、
地域の歴史理解と無関係ではありません。
「共創」「包摂」「持続可能性」という
聞こえのよい言葉の裏で、
何が前提とされ、何が問われていないのか。
そこを考える必要があると思っています。
歴史研究の役割は、
いまの誰かを説得することではなく、
未来の誰かが検証できる余地を残すことだと思います。
「別の読み方があったかもしれない」
その事実を、消さずに置いておくこと。
それが、地域史に関わる者として、
いま引き受けられる最低限の責任ではないでしょうか。

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新潟県小千谷市時水
Ojiya-shi, Niigata
9470033

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