「和」ring-project

「和」ring-project 一般社団法人

「和 RING-PROJECT」の成り立ち、そして今後の展望!

 2011年3月11日東日本大震災発生....
その時、私、代表理事池ノ谷は、釜石市に実家を持つ鈴木氏と共に埼玉県越谷市で仕事をしていました。
揺れがおさまった後、車に戻りTVをつけた瞬間に飛び込んできたのは、釜石の町に津波が流れ込む映像でした。その映像に、二人は絶句し呆然としました。
鈴木氏の妹さんが働いている場所が、まさに映像の場所でした。
私と鈴木氏は、15年来の友人。 
 鈴木氏が、「メディカルトレーナー」の専門学校に入学し上京した時に、通っていた飲食店の店員とお客さんという関係からのスタートでした。 その後、多くの資格を取得した鈴木氏は、2006年釜石市内の実家を改装して「しん灸治療院」を開業。 鈴木氏が岩手に戻ってからも、定期的に連絡を取り合い年に何度かは、お互いの家に泊まりに行く関係となっていました。
数年前よ

り不景気による沿岸部の平均収入の低下と釜石市の人口減少に将来を不安に思っていた鈴木氏より相談を受けていました。 
 私自身も、過去の交通事故の後遺症が悪化して自足歩行困難な状態になり、9時間にわたる手術と1年間の療養生活となってしまい、経営していた飲食店を友人に譲った時で、今後の人生について悩んでいるとこでもありました。鈴木氏のご家族ともご雑談して、私の体調回復に合わせ、二人で力を合わせ埼玉に「しん灸治療院」を開業しようと決め、2011年2月に埼玉県草加市に「しん灸治療院」を開業した直後に震災が起こったのです。
 まさに、3月11日を境に私たち二人の人生は大きく変わりました。
鈴木氏の家族とは、電話はまったく繋がらず連絡がまったく取れず、インターネットの情報をたよりに祈る様な時間を過ごしていました。
3月14日の夜中、鈴木氏の父から電話が鳴り、
「家族は無事だ! こっちには来るな! 今来てもみんなに迷惑がかかる、来ても大丈夫な時期はこっちから連絡するから来るな! 大丈夫だ、心配するな!」
と短い会話をかわし、その後、「必要と思われる物資」を友人知人と共にかき集め情報を集める日々、3月30日に連絡が来て向かったのは4月1日でした。
 初めて被災地に入ったその日は、鈴木氏と共に、家族と再会後は物資を渡しながら友人知人、鈴木氏の岩手の患者さんの安否確認を避難所や思い当たる場所を探しながら、壮絶な光景、表現のしようのない臭いに、例え様のない気持ちで走り回りました。 開業したばかりの治療院を長期にわたり休業する事は、経済的、現実的に出来ず、4月4日埼玉に戻る車中で、
「埼玉と岩手の往復になるけど、出来る事なんでも見つけてやって行こう!」
と、二人で決めました。
翌週より、火〜金曜日は埼玉の治療院を開業し金曜日夜に岩手に向かい、鈴木氏は、しん灸マッサージのボランティアとして避難所を回り、僕は物資を避難所や自宅避難の方々に届け、月曜日の夜に岩手を出るという生活が始まりました。
 私自身は、マッサージや治療は出来ません。出会う方々に物資を渡しながら話を聞いてまわるという日々でした。 被災された方と交流を持つ中で
「車が流されてしまったから、家を見に行けない。」
と言われれば、家のあったであろう場所まで共に行き、共に歩き、
「友達がどこにいるかわからない。」
と言われれば、共に避難所を回りました。そして
「家族が見つかっていない、家の物が見つからない、何でも良いから見つけたい」
という言葉を多く聞きました。 
そして、大槌駅前に自宅があり家族が戻っていない山崎昭子さん(現 リングプロジェクト理事)の
「ガレキって言うけど、あれは私達のすべてなの、財産なの!」
という言葉に、
「家の一部で何か作りお守りみたいに持っては?」
と、提案した所、
「それはいい! みんなきっとほしいはず!」
という言葉をいただき、避難所で知り合った、石川由美20歳と藤原健太21歳と共に、池ノ谷の車でみなさんの家を回り、柱や家具の一部を集め出したのは5月に入ってすぐの事でした(家主さん同伴の元)。
「身につけていられるもの」という事を考え、どのような物にするか試行錯誤して制作しながら、被災したみんなで立ち上がる仲間で団体を作らないか?と避難所や出会ったみんなに話したところ、
「まかせる! 池ノ谷さん名前決めてくれ」
と、言っていただき、「絆」という言葉よりこの場所は「和」という言葉を一番感じるし、自身も一番好きな言葉だと話した所、
「うん、それがいい!」
と決定し、
「だれか、字がうまい人いないですかね?」
と聞いたところ、避難所の責任者の釜石市役所職員 佐野氏が、
「卓也がいる! 今電話してみる!」
と連絡を取ってくださり、すぐに避難所に高橋卓也君親子が来てくださりました。 そして、これまでの経由と事情をお話したところ、
「わかりました! 書きます!」
とその日のうちに書いてくださいました。
また、この日試作品のキーホルダーも完成しました。
この日、6月11日、震災よりちょうど3ヶ月「和 RING-PROJECT結成」の日になりました。
この話を聞いたみんなは、
「よし、やっぺし!」
と、私が沿岸部を訪れ日からはじめて前向きな空気になりました。

 しかし.....
この時期に、沿岸部の空気は一変しました。
それまで仲の良かった避難所が険悪になる場所が増え出したのです。
その原因は、仮設住宅の入居順序でした。
また、自宅に被災された方を受け入れていた方々の限界も近づいていました。
なぜなら、避難所やり災証明を持っている方に物資の配布はありましたが、物資配布はすべて、り災証明を持っていないと一切もらえなかったからです。 震災直後、自宅被災を免れた方々の多くの方が、布団や衣類を避難所に提供し、朝から晩までおにぎりや食事を数千人分作っていた方が多く、また自宅に被災された方を受け入れていた方ばかりだったのです。 この家を被災した方としなかった方の温度差も大きな溝となり出していました。
また、ボランティアセンターや行政も混乱状態が続いていましたので、私池ノ谷自身も含めボランティアに来られる方々が、手続きや手配、作業内容等の不備が多々発生し、モメてしまう状況でした。
 7月中旬、池ノ谷自身の岩手埼玉の往復での走行距離は4万キロを超え、体力的にも精神的にも限界が近づいていました。
 8月に入ると同時に、埼玉の治療院は鈴木氏一人で営業する事にして、池ノ谷は沿岸部に移住し、共にこの町の方と過ごす事を決めました。

「ガレキのキーホルダー」制作開始当初は、被災したみんなが持つためにというのが、第一目的でした。
家族をなくされた方には、自宅の柱に家族の名前を書いていただき、その文字を彫刻刀で掘り色を入れニスでコーティングしてお渡しする事や、何かしらのオブジェを制作しお渡しする事をしていました。
この噂を聞きつけた方々が次々とご自宅の一部を工房に持ち込まれました(現在も持ち込まれる方が後を絶ちません)。
また、関東の物資集めに協力してくださったみなさんや、共に被災地を訪れた友人知人に、制作したキーホルダーを見せた所、
「売って少しでもお金にしては? 俺たち買うから!」
とみんなが言ってくれて、販売始まりました。
 6月の初期メンバーは、釜石市の避難所で知り合った「石川由美20歳」「藤原健太21歳」そして、大槌駅前に自宅があった「山崎昭子氏48歳」と私の4名で、試作品や町のみんなのキーホルダー制作を釜石市の上中島にある鈴木氏の治療院駐車場で開始しました。

7月中旬、キーホルダー制作者のみんなが、沿岸部の平均時給640円になる様に作業時間や材料費を元に、商品原価格を640円、販売価格を800円に決定。
池ノ谷の友人による販売が始まり、仮設住宅に移られた方々が内職を開始。
また、自宅/職場を失いながらみなし仮設で、釜石/大槌復興支援サイトをボランティアで制作していた、佐々木秀樹夫妻(現 当団体事務局長)が、キーホルダー制作に参加してくださり、ホームページ制作もしてくださる事が決まりました。
そして、8月には石川の友人である大槌町の職場と車を失った「後藤克友20歳」「阿部真隼20歳」も参加が決定し、元大槌役場前にある阿部石油さんと、釜石市シープラザにある菊鶴商店さんにて販売開始。(640円でお渡しして、800円で販売、160円を店舗の修繕資金にしていただいています。) 
 売れるか売れないかもわからないまま、私個人の預金が資金すべてで、若い4人は、月8〜10万円の給料と食事代と交通費を池ノ谷が約束、内職者12名、時給換算で640円になる様に作業工程を作り、内職者には制作したら即日支払いで開始。
また、仮設住宅まで石川の車(メンバー中、唯一残った車)で、若者達が材料を届け制作した分の賃金を払い、買い物も車を失った方々の代わりに開始。 道具や備品はすべてキーホルダーの売り上げで買い、焼き印4個にマルノコとナタと紙ヤスリから始めたのですが、電動工具を少しずつ増やす事が出来きて、焼き印も12個まで増えました。
9月になると、ホームページが完成。
10月には、通販サイト開設。
11月には、内職者は40名弱まで増えました。 キーホルダーは順調に注文が入るのですが、イベントなどでの販売のご支援は、イベント終了後の入金という事が多く立替金200万円を超えました。 この状態が続くと、資金が回らなくなる事になり、続けられないという状態に追い込まれました。
プロジェクト開始後最大の存続の危機でした。 
12月に入り、事情をみんなに話しだした時に、大槌町高橋副町長よりお声がかかり、成り立ちと現状、将来の展望やをお話したました。 すべてを聞いてくださった高橋副町長さんは、
「なんとか法人化してください。 そうすれば、大槌町産業再生モデル事業として被災された方数名に対し緊急雇用促進制度を適用出来きるように、行政も努力していきますから!
そして、今後将来に繋がる産業を共に考えていきましょう!」
とお話してくださり、希望が生まれました。
その事により、もう一踏ん張りだ!と、みんなで力を合わせ、多くの方の知恵とお力を借り2012年2月14日に、「一般社団法人 和 RING-PROJECT」を設立する事が出来ました。
世界中の皆様からのご支援によって20,000個を超えるキーホルダを制作する事が出来ました。
また、1月、2月と、池ノ谷がブログによって
「一品50円~200円でバザーとして支援物資を販売させてください。」
と、物資支援のお願いをしました。 これは、仮設住宅に限らず、震災直後より辛い思いをしている自宅避難、みなし仮設、半壊支度を直して生活している方々に、必要な物を必要なだけお渡しするためでした。 家が残った人は、無料物資配布では、気まずくて来れないという方のご意見を多く聞いていたからです。
この時集まった物資は、10tトラック6台の量になりました。 物資を置く場所がなく、農家さんの納屋や空いていている倉庫などを町中の方にお願いしてバザー開催まで置かせていただきました。
バザー会場は、廃校した釜石商業高校の体育館を会場にお貸ししていただき、仮設住宅で暮らすみんなが地域を越え集まり、布団衣類、雑貨、サイズ別にみんなで1週間、朝9時から夕方6時まで仕分作業を行い、当日の運営もボランティアさんのお力を借りながらみんなでバザーを開催しました。
売り上げは、お弁当代や体育館内の暖をとるためのジェットヒーターの灯油代、ブルーシートなど必要経費を除いたすべてを、会場のある平田自治会の「津波で流された舘山神社3年祭の衣装代」として、全額を寄付しました。 また、ご支援してくださる全国の皆様の気持ちを物資仕分けする事で、暖かい気持ちのこもったお手紙や手作りのマフラーや靴下を手にして、本当に心の底から感謝の気持ちを改めて感じ、勇気をいただいたのです。
また、みんなで協力し合う事で、みんなの意識が変わって行くのをそこの場所にいたみんなが感じました。 「いつまでも、甘えていてはダメだ! 出来る事は自分たちでやらなくては行けない!」と、本当にこの数日間で顔が変わっていったのです。
「待っているだけではなく、何かを始める事が大切なんだ!」
と、本当に実感しました。

そして、今年4月1日、「平成24年度大槌町産業再生モデル事業第一号」と認可を頂き、社員10名に平均13万円の緊急雇用制度を適用していただきました。
この事により、「キーホルダー」にかわる「もの作り事業」を開始、現在将来に繋がる商品を開発しております。 もちろん、内職者36名と工房で作業する数名は昨年通りで「キーホルダー」の販売資金から捻出し、私は代表者であるために、何の保証もありません。 また、昨年度の売り掛け金は少しでも資金を貯めておかないといつどうなるかわからないので、運営資金に回しています。 
 2012年7月、工房を建てようと資金を貯めていたのですが、大槌町民の気持ちや温度差が日々強くなっていく事を肌で感じていた事で、何かをしなければという気持ちが日々私達に強くなりだしました。
みんなで話し合った結果、大槌町前町民に対するアンケート全25ページ12000部と、町内54カ所に目安箱を寄贈し設置しました。 配布、回収は、作業の合間に4人で行っています。
貯めてきた資金の全額投資になってしまいましたが、これによって、温度差の緩和とみんなが声を上げる新たな一歩となりそうな空気が流れ出しました。
また、昨年から今現在まで、内職者も仕事が見つかり辞める方もいれば、仕事を失い始める方もおり、100名以上の方々が参加してきました。 現状は、25名弱の方に参加していただいていますが、「やりたい!」という方は、現在も何名いるかわからないほどお声をいただいています。 しかし、資金的に厳しくこれ以上内職者を増やす事が出来ないのが現状あり、「ガレキのキーホルダー」もいつまで購入してくださる方がいらっしゃるかわからない状況、内職者を募集もする事も出来ません。
しかし、町に残るため、この町で生き抜くために、現在、このキーホルダーから繋がったみなさんと力を合わせ「地産地消のレストラン」をオープンする事と、手作りの家具や木工品を制作する工房を建てる事を目標に、みんなで一歩でも前にと、希望を持ち日々過ごしています。

また、平成24年4月1日より大槌町産業再生事業モデル事業として『ものづくり事業』『情報発信事業』の2事業を大槌町と委託事業契約し、震災被災者の為の国の助成制度である緊急雇用制度を11名に対して適応していただき、給料と消耗品と諸経費に対する助成金を頂いています。この助成以外は企業さんや財団さん支援や助成を僕たちは、1度たりとも受けていません。(実は、何度も色々な助成に申請しましたが、営利的要素が高いとのことですべて却下されてしまいました)
しかし、大きな助成を受けなかったという事が、「やれば出来るんだ! やっぺし!」という、大きな勇気と意識を生んでいます。
どこまで、いつまでなにが出来るかわかりませんが、希望を捨てず力を合わせて歩んで行きます。

本当に、ご支援ありがとうございます。

一般社団法人 和 RING-PROJECT代表
池ノ谷 伸吾

住所

岩手県上閉伊郡大槌町小槌15/67
Kamihei-gun, Iwate
028-1121

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