愛国女性のつどい 花時計

愛国女性のつどい 花時計 女性だけの市民活動団体「愛国女性のつどい花時計」のページです。

平成22年4月に2人の女性が立ちあげ、女性だけのデモ「日本のお母さんパレード」を実施しました。着物姿の女性たちがカラフルなプラカードを持ってにこやかに行進しながら「夫婦別姓反対、子ども手当て反対」をアピールする姿はブログ等で話題になりました。
平成23年からは、東日本大震災の被災地支援活動や、在日外国人行政を調べてデータ化する「全国一斉調査キャンペーン」を開始、平成24年からは渋谷ハチ公前で女性だけの街頭演説会を定期的に実施するなど、活動の幅を広げています。
マスメディアからの問い合わせも多く、これまでに雑誌「AERA」やTV毎日放送局などに取り上げられました。

04/05/2026

[旗日のお知らせ]5月5日は「こどもの日」です

本来は「端午(たんご)の節句」です。陰暦(旧暦)の5月は午(うま)の月で、その5日だから端五→端午となった、という説があります。数字の五は陰陽五行説の陽の数で、めでたい数です。旧暦の5月といえばそろそろ梅雨に入る時期です。古代、シナ大陸ではこの頃山へ行って薬草を取り、菖蒲酒を飲んで邪気を払っていたとか。それが飛鳥時代に日本に伝わり、菖蒲をいれたお風呂に入る習慣ができたそうです。菖蒲→尚武=武芸を重んじること、という発想で江戸時代にはこの日を「尚武の節句」と呼んでいたそうです。
 雛祭りが女子の節句であるのに対して端午の節句は男子の祭りでした。武士の家ではこの日、甲冑や旗指しもの(小旗)を立て、武者人形を飾って息子の健やかな成長を祝いました。鯉幟を立てるのはシナの故事「鯉が竜門の滝をのぼって竜になる」に由来します。わが子が強い武者になることを祈る親心の表われです。

03/05/2026

[旗日のお知らせ]5月4日は「みどりの日」です

昭和天皇が崩御された後、昭和天皇のお誕生日であった4月29日を「天皇誕生日」から別の名前に変えることになりました。当時の小渕恵三官房長官の私的諮問機関で「昭和天皇は植物に造詣が深く、自然をこよなく愛されたのだから緑にちなんだ名前がふさわしい」という意見が多数を占め、「みどりの日」になりました。その後、4月29日が「昭和の日」と改称されたことを受けて「みどりの日」は5月4日に移動しました。ちょうどゴールデンウィークの最中であり、一年中でもっとも緑に恵まれ、さわやかな行楽の季節です。この日は国公立公園が無料開放され、国民が自然に親しむための各種行事が行われます。

02/05/2026

旗日のお知らせ]5月3日は「憲法記念日」です

昭和22(1947)年5月3日に日本国憲法が施行されたことを記念して祝日と定められました。しかしこの憲法はわが国が大東亜戦争に負け、占領されていた時にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が作成した憲法です。英語を翻訳したものなので、日本語として読むに耐えない、不自然な表現になっています。「平和憲法」どころか「占領憲法」と言えるでしょう。いくら占領中だからといって戦勝国が敗戦国の憲法に手をつけることは国際法に違反しています。 
憲法作成に関わったGHQのメンバーの中に法律の専門家はいませんでした。初めての仕事に彼らは戸惑い、外国の憲法の条文を調べ、部分的に抜粋したものを繋ぎあわせて一週間で作り上げました。GHQが憲法を作成した理由は日本が二度とアメリカの脅威にならないようにすることでした。日本人としての民族意識とアイデンティティーを破壊し、骨抜きにすることでした。日本国憲法は改正、あるいは破棄して、日本の文化と伝統に沿った自主憲法を作るべきです。

28/04/2026

[旗日の知らせ]4月29日は「昭和の日」です

昭和天皇のお誕生日です。昭和天皇がご存命中、戦前は「天長節」、戦後は「天皇誕生日」でしたが、昭和64(1989)年1月7日に崩御されたので、「天皇誕生日」は上皇陛下のお誕生日である12月23日に移りました。4月29日は名称を「みどりの日」に変えて、そのまま祝日として残りました。
 しかし激動の昭和を生き抜き、大東亜戦争の終結に卓越した指導力を発揮された昭和天皇にふさわしい名称を残そうとする国会議員によって「昭和の日」を実現する運動が起こりました。議員立法を三度、国会に提出し、平成17(2005)年の第162回国会で法案が成立に至りました。これによって平成19(2007)年から4月29日は「昭和の日」となり、「みどりの日」は5月4日に移動しました。
 世界の歴史を見ると、戦争に負けた国が王制を維持した例はほとんどありません。第一次世界大戦の敗戦国だったドイツ、オーストリアの君主制は滅びました。大戦中にロシア革命が起こり、ロシアの皇帝も殺されました。第二次世界大戦ではイタリアを初め、敗れた枢軸国側のユーゴスラビア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアの王朝がみな倒れました。そのような世界史の流れから見て、昭和天皇が自ら終戦の決断をされ、戦後も退位することもなく歴代天皇の中でもっとも長い在位を保ったことはまさに奇跡と言えるでしょう。
 昭和天皇が終戦のさいに詠まれた和歌です。
 身はいかに  なるともいくさ とどめけり
  ただ たふれゆく 民をおもひて

岡 真樹子(愛国女性のつどい花時計 代表)講演会日 時:4月25日 18:00開場 / 18:30開演場 所:文京シビックセンター・アカデミー文京 B1会議室主 催:英霊の名誉を守り顕彰する会(佐藤和夫代表)
10/03/2026

岡 真樹子(愛国女性のつどい花時計 代表)講演会
日 時:4月25日 18:00開場 / 18:30開演
場 所:文京シビックセンター・アカデミー文京 B1会議室
主 催:英霊の名誉を守り顕彰する会(佐藤和夫代表)

22/02/2026

[旗日のお知らせ]2月23日は「天皇誕生日」です

 今上陛下のお誕生日です。大東亜戦争敗戦前は「天長節」といいました。令和8年2月23日、陛下は宝算66歳になられます。明日は陛下のご長寿と皇室の弥栄(いやさか)を祈ってさまざまな祝賀行事が行われます。
 「天長節」という名称は唐の玄宗皇帝の誕生日を「天長節」と呼んだことに由来します。日本の記録で最初に「天長節」が出てくるのは宝亀6(775)年の光仁天皇のお誕生日です。国家の祝日となったのは明治元年(1868年)です。敗戦前は元日、紀元節、明治節、天長節が「四大節」として、盛大に祝われていました。敗戦後、GHQの占領下で2月11日の「紀元節」は「建国記念の日」、11月3日の「明治節」は「文化の日」、「天長節」は「天皇誕生日」と名称を変更させられました。「天皇誕生日」というのは間違いではないとはいえ、何か素っ気なくて敬愛の念がこもっていないように感じるのは私だけでしょうか。「天長節」に戻すのは無理にしても、せめて敬語を使って「天皇陛下御誕生日」というべきではないでしょうか。
 今上陛下は日本国第126代の天皇です。

10/02/2026

[旗日のお知らせ]2月11日は「建国記念の日」です

 「建国記念の日」は大東亜戦争敗戦前は「紀元節」と呼ばれていました。大切な日を「OO節」と呼ぶのは、国民がこぞって祝うべき節目の日だからです。「紀元節」が制定されたのは明治5(1872)年です。日本最古の官製歴史書『日本書紀』に初代天皇である神武天皇が紀元前660年に奈良の橿原の地で即位した、とあるので、紀元前660年を紀元元年としました。その年の元日を陽暦(新暦)に換算すると2月11日になるので、2月11日を「紀元節」としました。 
 「紀元節」は昭和20(1945)年の敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって廃止されました。しかし昭和26(1951)年頃から「紀元節」を復活させたいという国民の願いが形になり、昭和32(1957)年2月13日に自民党の衆議院議員らによって「建国記念日制定に関する法案」が提出されました。しかし当時、野党第一党だった社会党が反対し、成立には至りませんでした。その後九回、法案の提出と廃案を繰り返し結局、昭和41(1966)年、「建国記念日」ではなく「建国記念の日」とすることで社会党が譲歩し、国民の祝日に加えられました。
 神武天皇は神話の世界の人で実在した人間ではない、と考える人もいるでしょう。しかし神話というものは私たちの祖先が数万年、あるいは数十万年にもわたって経験した記憶の伝承であり、集合的無意識とでもいうべきものです。それは今を生きる私たちの深層心理の中にも生きているはずです。それに神武天皇の存在は『日本書紀』に書かれているので歴史的事実といえるでしょう。「八紘一宇」は日本書紀の原文では「八紘為宇」です。八紘=日本、宇=文明圏というような意味ではないかと思われます。日本は中国や朝鮮とは違う、一つの文明圏である、というのが神武天皇の建国の理念です。その理念にほかの部族が同意して一つにまとまったからこそ統一国家ができたわけです。西暦2026年=皇紀2686年です。神武天皇に始まる皇室は2700年近く経った今も、絶えることなく続いています。こんな国は世界で日本しかありません。明日は玄関に国旗を掲げてお祝いしましょう。

物価高のなかでも一番、私たちが困るのが米価の高騰です。なぜ米の値段は下がらないのか、なぜ米不足なのか、その根本原因をあなたは知っていますか? 農業に関心を持ち、自ら野菜を育てる八雲チャンネルの坂上智守が、令和のトラクターデモに参加してみた自...
24/01/2026

物価高のなかでも一番、私たちが困るのが米価の高騰です。なぜ米の値段は下がらないのか、なぜ米不足なのか、その根本原因をあなたは知っていますか? 
農業に関心を持ち、自ら野菜を育てる八雲チャンネルの坂上智守が、令和のトラクターデモに参加してみた自分の経験をもとに、食の安全と日本の農業について考察します!

※諸事情により、長らく撮影と編集ができなかったため、久しぶりの投稿となりましたこと、お詫び申し上げます。今回は、岡真樹子先生にお越しいただきました。全3回のうちの第一回です。収録は昨年(2025年)の...

11/01/2026

[旗日のお知らせ]1月12日は「成人の日」です]

「成人の日」は本来、1月15日でしたが平成13(2001)年、成立した「改正祝日法」(通称ハッピーマンデー法)施行によって第2月曜日に変わったので、年によって「成人の日」の日付が違う、というおかしな状態になっています。祝日は「旗日」といい、それぞれの家が玄関に国旗を掲げ、国民がこぞって祝う記念日です。「旗日」にはそれぞれ意味があります。例えば「成人の日」を1月15日にしたのはこの日が小正月であり、元服の儀式が小正月に行われていたことに由来する、と言われています。ところが「ハッピーマンデー法」で無理に連休を作ろうとすると祝日を移動させざるを得なくなり、祝日の意味が分からなくなります。「ハッピーマンデー法」は祝日法「改正」ではなく「改悪」といえるでしょう。「ハッピーマンデー法」は廃止にすべきです。
 昭和20年(1945年)の敗戦前は元日を「大正月」、15日を「小正月」と呼んでいました。小正月には小豆粥を食べたり、だるま人形や注連縄(しめなわ)、書き初め、破魔矢を燃やす「どんど焼き」という行事が行われました。
最近は派手な成人式が話題ですが成人式のルーツは昭和21年11月22日、埼玉県北安立郡蕨町で行われた「青年祭」です。敗戦のショックで虚脱状態だった若者を励まそうと、蕨町青年団長の高橋庄次郎氏が蕨第一国民学校の校庭にテントを張って「青年祭」を行ないました。これが評判となり、政府は1948年に公布・施行された「国民の祝日に関する法律」で1月15日を「成人の日」と定めました。その趣旨は「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い、はげます」というものです。もし皆さんの周りに新成人がいたら、成人の日の由来を話してあげてください。

22/11/2025

[旗日のお知らせ]11月23日は本来は「新嘗祭」です]

本来は「新嘗祭(にいなめさい)」です。宮中祭祀の中でもっとも大切にされてきた儀式で、その年に収穫した新穀を天照大神に供え、天皇陛下も自ら召し上がる「神人共食」の感謝の祭りです。飛鳥時代の皇極天皇の御代に始まりました。明治4(1872)年までは陰暦11月の2回目の卯の日に行われていました。明治5(1873)年にわが国は陽暦(新暦)を導入しました。近代化を進める上で、暦が陰暦では不都合があったからです。明治5年の陽暦11月の2回目の卯の日が23日だったので、以後ずっと「新嘗祭」は11月23日になりました。
 神嘗祭(かんなめさい)と新嘗祭は名前が似ていて分かりにくいのですが、神嘗祭は伊勢神宮で天照大神に新穀を差し上げる儀式です。祝日として残されませんでしたが、今でも伊勢神宮で10月17日に行なわれています。   大嘗祭は即位なさった天皇が新穀を初めて天照大神にお供えし、共に召し上がって天皇としての霊性を身につけられる儀式です。一世一度きりの秘儀です。
 大東亜戦争敗戦後、皇室行事はGHQによって廃止させられましたが祭祀にまつわる祝日だけはかろうじて残りました。「勤労感謝の日」という名称はアメリカの労働者の祭りである「Labor Day」とキリスト教の感謝祭「Thanksgiving Day」を組み合わせて作ることをGHQが思いつき、それを和訳したものです。昭和23(1948)年、米軍の占領下で定められた「国民の祝日に関する法律」では「勤労感謝の日」制定の趣旨は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」となっていますが意味が分かりません。11月23日はやはり本来の「新嘗祭」に戻すべきです。

03/11/2025

[旗日のお知らせ]11月3日は「文化の日」です。

本来は明治天皇の御誕生日です。明治天皇が御存命中は「天長節」と呼ばれていました。明治45(1912)年7月30日、明治天皇が崩御されたので「天長節」は大正天皇の御誕生日である8月31日に移りました。しかし近代国家の建設に成功し、栄光と苦難の時代、明治に君臨した明治天皇を慕う国民の気持ちは強く、大正9(1920)年、明治天皇と昭憲皇太后をまつる明治神宮が創建されました。この時、全国からのべ11万人の若者が上京して神宮の造営にボランティアとして参加しました。さらに11月3日を祝日として復活させようという運動が起こり昭和2(1927)年、「明治節」という祝日が制定されました。明治天皇が亡くなって15年後のことです。
 しかし大東亜戦争敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって「明治節」は廃止され「文化の日」という名称に変えられてしまいました。昭和23(1948)年に施行された「国民の祝日に関する法律」で定められた「文化の日」の趣旨は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」というものですが、これでは何のことだか意味が分かりません。11月3日を祝日として残す以上、明治天皇にちなんだ「明治の日」という名称にするべきだと思います。「文化の日」を「明治の日」にする運動は現在、進行中です。
 「文化の日」には皇居で文化の発展に寄与された人々に文化勲章が贈られます。また文化功労者や各種の褒章の受章者にも伝達式が行われます。

住所

Chuo-ku, Tokyo

ウェブサイト

アラート

愛国女性のつどい 花時計がニュースとプロモを投稿した時に最初に知って当社にメールを送信する最初の人になりましょう。あなたのメールアドレスはその他の目的には使用されず、いつでもサブスクリプションを解除することができます。

その団体に問い合わせをする

愛国女性のつどい 花時計にメッセージを送信:

共有する

カテゴリー