24/08/2025
『大雪山のパイオニア』
【第3弾 :大町桂月(おおまちけいげつ)】
大町桂月は、明治2年に高知県で生まれた詩人、歌人、随筆家、評論家です。本名は大町 芳衛(よしえ)といい、文学評論家として美分調の名分を持って多くの著書を残しました。なかでも、大正11年に刊行の『大町桂月全集』は有名であり、特に紀行文の持ち味は無類といわれ、多くの愛読者から絶賛されていた人物です。明治から大正にかけて全盛時代の桂月は圧倒的存在感のある文士で人気は絶大であり、言うならば、昭和の司馬遼太郎か吉川英治と言っても過言ではない人物でしたが、旅を愛し無類の酒好きでもありました。
明治の中期に起こった山水趣味は、文人たちの多くを旅に向かわせました。桂月もその一人で、登山というより自然探訪の旅でちょっとした冒険であり、山水趣味は極めて文化的な行為であったとも言えます。桂月は全国を渡り歩き数えきれないほどの山を登り、行く先々で講演や揮毫会を開きました。
大正10年52歳の時に、桂月は山水紀行の中で北海道を訪れ、8月18日~29日まで旭川に滞在し、その間に大雪山縦走を実施しました。大雪山縦走は8月20日に層雲峡に入り、周辺の景観の場所を探索し、22日より登山を開始。未踏の黒岳沢を登り、北鎮岳、白雲岳、旭岳、そして天人峡温泉に下る登山でした。
桂月は大正12年、雑誌「太陽」に「北海道山水の大観」を発表しています。その中で、「石狩川の上流に層雲峡あり。奇抜にして雄偉いなること天下無双也。この無双の神秘峡に、従来未だ名あるを聞かず、止むを得ず層雲別の部落よりて命名したる也」と書いています。さらに「大町桂月の大雪山」より、大雪山とこの地は全国にも類(たぐい)まれなる景観を激賞し、ここを層雲峡と命名し、帰京するや格調高い美文をもって大雪山と層雲峡を世に紹介しました。層雲峡にある銀河の滝、流星の滝、大函、小函の景勝名も桂月が命名したと言われています。
層雲峡温泉には、桂月の記念碑があり、当時無名だった山には桂月が登ったことで、後に桂月岳と名前が付けられ、「層雲峡の名付の親」とも言われるようになりました。桂月により大雪山のと層雲峡が全国に知れ渡ることで、その後の大雪山国立公園の誘致活動や、登山道などの開発に大きな影響を与える起源になったことは言うまでもありません。