生長の家旭川教化部

生長の家旭川教化部 「汝ら天地一切のものと和解せよ」の教えに基づき、"人と人”、"人と自?

『大雪山のパイオニア』【第3弾 :大町桂月(おおまちけいげつ)】 大町桂月は、明治2年に高知県で生まれた詩人、歌人、随筆家、評論家です。本名は大町 芳衛(よしえ)といい、文学評論家として美分調の名分を持って多くの著書を残しました。なかでも、...
24/08/2025

『大雪山のパイオニア』
【第3弾 :大町桂月(おおまちけいげつ)】

 大町桂月は、明治2年に高知県で生まれた詩人、歌人、随筆家、評論家です。本名は大町 芳衛(よしえ)といい、文学評論家として美分調の名分を持って多くの著書を残しました。なかでも、大正11年に刊行の『大町桂月全集』は有名であり、特に紀行文の持ち味は無類といわれ、多くの愛読者から絶賛されていた人物です。明治から大正にかけて全盛時代の桂月は圧倒的存在感のある文士で人気は絶大であり、言うならば、昭和の司馬遼太郎か吉川英治と言っても過言ではない人物でしたが、旅を愛し無類の酒好きでもありました。

 明治の中期に起こった山水趣味は、文人たちの多くを旅に向かわせました。桂月もその一人で、登山というより自然探訪の旅でちょっとした冒険であり、山水趣味は極めて文化的な行為であったとも言えます。桂月は全国を渡り歩き数えきれないほどの山を登り、行く先々で講演や揮毫会を開きました。

 大正10年52歳の時に、桂月は山水紀行の中で北海道を訪れ、8月18日~29日まで旭川に滞在し、その間に大雪山縦走を実施しました。大雪山縦走は8月20日に層雲峡に入り、周辺の景観の場所を探索し、22日より登山を開始。未踏の黒岳沢を登り、北鎮岳、白雲岳、旭岳、そして天人峡温泉に下る登山でした。

 桂月は大正12年、雑誌「太陽」に「北海道山水の大観」を発表しています。その中で、「石狩川の上流に層雲峡あり。奇抜にして雄偉いなること天下無双也。この無双の神秘峡に、従来未だ名あるを聞かず、止むを得ず層雲別の部落よりて命名したる也」と書いています。さらに「大町桂月の大雪山」より、大雪山とこの地は全国にも類(たぐい)まれなる景観を激賞し、ここを層雲峡と命名し、帰京するや格調高い美文をもって大雪山と層雲峡を世に紹介しました。層雲峡にある銀河の滝、流星の滝、大函、小函の景勝名も桂月が命名したと言われています。

 層雲峡温泉には、桂月の記念碑があり、当時無名だった山には桂月が登ったことで、後に桂月岳と名前が付けられ、「層雲峡の名付の親」とも言われるようになりました。桂月により大雪山のと層雲峡が全国に知れ渡ることで、その後の大雪山国立公園の誘致活動や、登山道などの開発に大きな影響を与える起源になったことは言うまでもありません。

『大雪山のパイオニア』【第2弾 小泉秀夫(こいずみひでお)】  第2弾で、大雪山のパイオニアとして紹介したいのが『小泉秀夫』です。小泉は明治18年に山形県米沢市で生まれました。明治44年旭川中学校 (現・旭川東高等学校)の教諭となり9年間在...
10/08/2025

『大雪山のパイオニア』
【第2弾 小泉秀夫(こいずみひでお)】
 
 第2弾で、大雪山のパイオニアとして紹介したいのが『小泉秀夫』です。小泉は明治18年に山形県米沢市で生まれました。明治44年旭川中学校 (現・旭川東高等学校)の教諭となり9年間在籍しました。

 小泉は、学者ではなく独学で教員免許の資格を得た博物学 (植物、鉱物、地形、地質学など)の総合的な学問の中学校の一般教員に過ぎない人物ですが、旭川に赴任以来、大雪山に精通した案内人の成田嘉助と共に、大雪山を全山踏破し、膨大な植物を採取して、植生や地形や川の名に至るまでを綿密に調べ上げました。

 旭川の中学教諭の9年間に、大雪山には7回登っています。旭川の離れ長野の教諭時に2回の合計9回(50日間)大雪山に登りました。その多くは天人峡温泉(当時は松山温泉)からの大雪山を目指した登山で、当時はこれといった登山ルートがなく、未踏のルートを開拓しての登山でした。

 6月下旬に、現在の天人峡温泉に行ってみましたが、3件あった観光ホテルのうち2件が解体されていました。

 小泉が大雪山の調査登山記録を発表したのが、日本山学会の機関士『山岳』で、これが大雪山の情報が全国へ発信された最初の論文でした。その後、旭川の実業家であり現在の層雲峡温泉観光開発を企画する、荒井初一が、大雪山調査会を設立しますが、荒井の要請によって、小泉はガイドブック『大雪山登山法及び登山案内』を大雪山調査会より発行しました。

 ガイドブックには、小泉が付けた山や沢などのが数多く記載されています。このガイドブックが多くの人の目に触れることで、「大雪山の名付けの親」と言わるようになり、その全容を世に知らしめるという偉業を果たし、更に「大雪山の父」とも呼ばれるようにもなりました。

『大雪山のパイオニア』【弾1弾:清水敏一】 6月上旬、東川町に行って来ました。東川町は旭川市の中心街から車で30分の距離にあります。主な産業は農業ですが、写真の町として写真甲子園が有名で、近年移住者も多くなり、自治体としては全国初の日本語学...
27/07/2025

『大雪山のパイオニア』

【弾1弾:清水敏一】

 6月上旬、東川町に行って来ました。東川町は旭川市の中心街から車で30分の距離にあります。主な産業は農業ですが、写真の町として写真甲子園が有名で、近年移住者も多くなり、自治体としては全国初の日本語学校を開設しています。さらに東川町は大雪山連邦にある旭岳の玄関 口で、大雪山国立公園にある旭岳温泉までは、東川町から約30kmの距離にあります。

 その東川町に複合交流施設の「セントピア2ほんの森」という施設があり、その施設内の図書館の専門員で、清水敏一(しみずとしかず)さんを訪ねて来ました。

 この施設は東川町の写真文化、家具デザイン文化や、大雪山文化など、世界に誇るコンテンツ展示と図書館機能が融合した 複合交流施設になっていて、その図書館の中には「大雪山アーカイブス」というコーナーがあり、大雪山の山岳史や出版物が数多く集められています。

「大雪山アーカイブス」のコーナーにある大雪山に関する山岳の歴史資料や、数多くの本を編集し、自らも著者として大雪山に関する本を出版し、そのコーナーの専門員として活躍する清水さんにお会いしたくて訪ねたのですが、残念なことに2年前に90歳で亡くなっておられました。

 清水さんは 昭和8年京都で生まれ、昭和39年に北海道の岩見沢市に転住。登山家として活動しながらも山岳史家として編著書を記し大雪山に関する先人の功績に光を当てる活動をしてきました。平成28年に東川町に転住、大雪山アーカイブズの専門員として企画・運営に携わり、山岳・登山文化を広く世に伝える活動もしてきました。

 清水さんは、大雪山のパイオニアとして大きな功績を残した2の人物の本を出版されています 。1人は『小泉秀夫』で、もう1人は、『大町 桂月』です。

 大雪山の山岳史を語るにあたり絶対に欠かせられない2人の人物、この2人は 大正時代に大雪山に登り、その後の大雪山国立公園の誘致にも大きな影響を与え、大雪山を日本全国に広めた方々でした。

 今後の弾2弾、弾3弾ではこの2人のパイオニアを紹介していきます。

16/07/2025

生長の家総裁が新しい動画を九折スタジオに公開しました。

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0700810

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