27/04/2026
【代田農村公園と稲荷神社】
みなさん、こんにちは!
河東地域づくり委員会事務局です。
今回は、4月初旬に訪れた代田農村公園と稲荷神社の桜🌸をご紹介します。
レトロな雰囲気漂う東屋とベンチが印象的な農村公園の桜並木。のどかな空気に包まれながら、この桜の下でのお花見は、きっと格別で贅沢な時間になることでしょう。
公園から歩みを進めると、稲荷神社の社殿に寄り添うように咲く桜が見えてきました。実はこの地には古くから伝わる不思議で、少し切ない物語があるのです。
■伝説
<代田の夜田植・白木の米>
『昔、今の代田に伝ェ門という、一人者の親切な男が住んでいた。ある朝、草刈をしていると、村人達の狐狩の声がする。と突然、一匹の白狐が現れて、しきりに「命を助けてくれ」という素振をする。伝ェ門は「承知した」と、うなずくと狐はそのまま、どことなく見えなくなってしまった。
そこに村人達が来て、「白狐を見つけなかったか」と聞くので、「気付かなかった」と言うと、村人達もそのまま狐狩をやめたので、伝ェ門も安心して家に帰った。
さて、夜になり伝ェ門はひとり夕食をすまし、寝ようとしていると、夜おそく一人の若い女が訪れ、「旅の者ですが。夜になって歩けないから泊めて下さい」と言う。伝ェ門は一人者だから、若い女は泊められない」と言ったが、ぜひにと、せまられ仕方なく泊めてやった。
翌朝となったが、女は出て行こうともしないのみか、一生けん命に働いてくれるので、そのまま、伝ェ門の妻となって暮らすことになった。そうして暮らしているうちに、二人の間に男の子が生まれ、伝次郎と名付けた。
この子が、五つ位になった時のこと、さつき仕事の疲れで家中、昼寝をしたとき子どもが、ふと目を覚まし母親が尻尾を出しているところを見つけた。驚いた彼女は、直に姿を隠してしまった。妻に逃げられた伝ェ門は、田植えをするのに人手がなく、人を頼みたいと、方々、歩いたが誰も来てくれない。
仕方がなく一人で田植えをしようと、五反田に来てみると、一面、青田になっていた。驚きのあまりボンヤリ見ていると、村人が来て、「伝ェ門さんは大したものだ。昨夜、大勢で昼間のように明るくして、穂に穂がはらんで、白ぎの米になれ、白ぎの米になれと、田植歌を歌いながら田植えして、とても素晴らしかった」と言うのであった。
それから秋になり、村の稲が全部、穂が出揃ったけれども、伝ェ門の家の田は穂が出ない。不思議に思っていると、ようやく、みんなの穂が稔る頃になって穂が出揃った。しかも全部白ぎの米(白米)がなっていた。
それを見て、伝ェ門は妻はかつて、助けた狐であり、その恩返しであったのかと感謝したとのことである。代田の名も、ここから出たといわれ、また伝次郎前、五反田の地名も今に残っている。
また、代田の名の起りについて、次のようにも伝えられている。その昔、あるところに連綿と栄える旧家があった。あまりに栄える旧家の生活にあこがれた稲荷社に住む狐が、せめて三日でもと、娘に姿を変えて嫁入りした。
夢の間に一年余り過ぎ去り、子まで生んだが、さすがに窮屈な毎日の暮しに、疲れ果てた狐は、もとの稲荷社の穴住いが恋しくなり、ある日、姑に暇を乞うた。姑は「明朝、夜明けまで、川辺の田圃を植え終ったら」と、到底、人間業では不可能な無理難題を言いつけた。
狐の化身は、子を負い、一夜のうちに川辺の田圃、三反余りを夜明けまで植え終りホッと一息、ふと気が付けば、あまりにも烈しく働いたため、いつ失くしたのか子の首が無かったのに気付き、悲しく鳴いて姿を消したとか。
里人は、誰言うことなく、狐が夜植え田を「夜田」と呼ぶようになった。その後、夜田は「世田」と改め、その後「代田」と書くようになった。』
(出典 河東の民俗 福島県河沼郡河東町教育委員会)
先にご紹介した稲荷原や方便、そして代田と、不思議と狐にまつわる話が多いですね。
この桜の風景の中に、伝説の面影を感じていただけましたでしょうか?
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