01/05/2026
残したい高田の記憶
KDL会員 高野恒男
1907(明治40)年、高田町に第十三師団が設置されることが決定。翌年には、第十三師団司令部と附属する連隊が配置されました。1911(明治44)年、高田町は市制が施行されて高田市となりました。この年にオーストリア・ハンガリー帝国のレルヒ少佐が連隊の視察を目的に来高しスキーの技術を伝えました。この事が契機となり、「日本スキー発祥の地」として全国に高田市の名が知れわたったのです。この高田という地名は全国に多数あるのですが、高田市が存在しているために、各地が市制を施行する際には、同名を避けました。岩手県の陸前高田市、奈良県の大和高田市、大分県の豊後高田市、という様に、旧国を冠しました。
私たちの高田市は、1971(昭和46)年に直江津市と合併し、上越市となります。大きな城下町の名が消えるのは異例中の異例と地名学者は記しています。日常会話の中で、高田、高田市の名前が出てくる事が少なくなりました。あれこれと思っている時に、現在でも高田市の記憶を残している物、看板や標示物がないか探すことを思いつきました。雁木通りの目につく場所にあるのではないかと長期間町歩きを実行しました。なかなか見つからなかったのですが、根気よく探しました。その結果、三点見つかりました。一、鉄板に書かれた赤色の防火水の表示板です。鉄柱に溶接されていたので、落下せずに残っています。二、雁木通りの古い柱に今は使用されていませんが、ブルー色木製の宅配用牛乳箱です。三、酒造会社のPR用銘柄の入ったタテ長のブリキ板に書かれたカラフルなものです。良くぞ残っていて感激しました。名は体を表すと言われますが、地名もその地域の歴史、文化、習俗を語ります。高田の地名は高田城址公園、高田駅、高田郵便局等にまだ多く残っています。これからも高田という地名を日本一の雁木と共に愛着を持って残していきましょう。
★『上越タイムス』2025-08-04 掲載済み